『庭の話』は、インターネット以降の社会において、自分たちはどのように世界と関わることができるのかを問い直す評論である。巨大な物語が失効し、SNS的な小さな共感圏が増殖する時代に、筆者は「庭」という比喩を提示する。宇野の言う「庭」は、インターネット的な「無限に開かれた空間」とは対照的だ。SNSは、世界を無限に拡張するように見えて、実際にはアルゴリズムによって囲い込まれた快適な内輪へと収束していく。その構造に対し、宇野は「自分の手で耕し、手入れし、責任を負う場」としての庭を対置する。それは、小さいが現実的な公共性であり、匿名的な炎上や消費のサイクルとは異なる回路である。本書が興味深いのは、「庭」という提案が唐突に現れるわけではなく、思想史的な文脈に丁寧に接続されている点だ。特に、吉本隆明の幻想論への言及が印象的だった。さらに面白いのは、吉本の「後継者」とも言われる糸井重里へのまなざしだ。宇野は、糸井的な語り口…親密で、否定を避け、読者を包摂するスタイルが持つ強さと同時に、その限界も指摘する。それは対立を回避し、痛みを減らす代わりに、構造へのラディカルな批評を弱めてしまう可能性をはらんでいると、なかなか率直だ。もっとも、宇野自身が『ほぼ日』の20年来の読者だという。だからこその目線なのかもしれない。ハンナ・アーレントの『人間の条件』へと連なる議論も、軽やかで読みやすい。難解な理論を扱いながら、文章はどこか柔らかい。そのリズム自体が、ある種の「糸井的」な身振りなのだろうか…そんなことを考えながら、本を読み終えた。