ほんだながわり -3ページ目

ほんだながわり

「読んだり、観たり、行ったり」だけは、何だかやりっぱなしじゃいけないような気がしたもので…。

声高な悲しみではない。むしろ、触れれば消えてしまいそうなほど儚い言葉の連なりである。それなのに読み進めるほど、その静かな凄みに、圧倒された。翻訳を手がける斎藤真理子さんの存在も大きいのだろう。原文の張りつめた静けさや、言葉の余白が、日本語として美しく保たれているように感じる。ただ一方で自分はおそらく、作品のなかに潜む声のほとんどを聞き逃しているのだとも思う。今の自分には、美しさと痛みの輪郭をなぞることしかできなかった。
 

 

物語の出発点だけを見れば、珍しい設定ではない。ひとつの過ちによって人生が大きく変わり、主人公が過去を抱えながら生きていく。ただそんな風にありふれた設定に見えるからこそ、人物の造形や語りの運びの巧みさが際立つ。共感のしやすさとは別の場所で、読み手を人物の人生に付き合わせる力がある。タイトルも秀逸だと思う。

 

 

嶋津輝『カフェーの帰り道』を読んだ。第174回直木賞受賞作である。人物の描き方がとにかくうまい。美化しない。憐れみすぎない。欠点も弱さも、その人の輪郭としてきちんと描く。だから人物が平たくならない。読んでいるうちに、知らない時代の人ではなく、どこかで会ったことのある人のように感じられてきた。時代が変わっても、人の魅力の本質はそう変わらないのだろう。芯のある人、不器用でも誰かを思いやれる人。そういう人はどこにいても素敵なのだと思う。

 

 

 

柚木さんといえば、近年は『BUTTER』の印象が強いが、本作は彼女の初期のベストセラー作品だ。印象に残ったのは、柚木さんの女性の描き方の巧みさである。登場人物たちは特別な存在ではなく、仕事や人間関係に悩む、ごく身近な女性たち。相変わらず、女性同士の距離感や、言葉にしにくい気持ちを描くのが上手な作家だと感じた。本作はドラマ化もされているようなので機会があったら観てみようと思う。

 

 

読み終えて、まず思ったのは、朝井リョウという作家は、時代の空気をつかまえるのが異様にうまいということである。『桐島、部活やめるってよ』は、作品名そのものが、いつの間にか一つの現象を説明する言葉のようになった。ある状況を説明するときに、「桐島」的だ、と言えるくらい、作品が社会を見るための補助線になっていた。これは本当にすごいことである。そして『イン・ザ・メガチャーチ』もまた、同じように、これから何かを説明するときの代名詞になっていく作品なのではないかと思った。本作で描かれているのは、アイドル、推し活、ファンダム、物語、熱狂、そしてそこに救われたり、利用されたり、加担したりする人たちである。けれど、これは単なる「推し活小説」ではない。むしろ、現代の人間がなぜ何かにのめり込まずにはいられないのか、なぜ誰かの物語を信じたくなるのか、そしてその熱狂がどこまで人を救い、どこから人を壊していくのかを描いた小説だ。怖かったのは、登場人物たちの行動を完全には笑えないところ。読んでいて何度か嫌な汗をかいた。特に印象に残ったのは、47歳の中年男性の描かれ方である。正直、47歳の男って、こんなに枯れていて、こんなに病んでもいるものなのか、と驚いた。何かをやり直すには遅いようで、でもまだ完全に終わったとも言い切れない。その中途半端な年齢のしんどさが、妙に生々しく描かれていて、なんだか読んでるだけのこっちまでしんどくなった。やっぱり朝井リョウはすごい。