物語の出発点だけを見れば、珍しい設定ではない。ひとつの過ちによって人生が大きく変わり、主人公が過去を抱えながら生きていく。ただそんな風にありふれた設定に見えるからこそ、人物の造形や語りの運びの巧みさが際立つ。共感のしやすさとは別の場所で、読み手を人物の人生に付き合わせる力がある。タイトルも秀逸だと思う。
読み終えて、まず思ったのは、朝井リョウという作家は、時代の空気をつかまえるのが異様にうまいということである。『桐島、部活やめるってよ』は、作品名そのものが、いつの間にか一つの現象を説明する言葉のようになった。ある状況を説明するときに、「桐島」的だ、と言えるくらい、作品が社会を見るための補助線になっていた。これは本当にすごいことである。そして『イン・ザ・メガチャーチ』もまた、同じように、これから何かを説明するときの代名詞になっていく作品なのではないかと思った。本作で描かれているのは、アイドル、推し活、ファンダム、物語、熱狂、そしてそこに救われたり、利用されたり、加担したりする人たちである。けれど、これは単なる「推し活小説」ではない。むしろ、現代の人間がなぜ何かにのめり込まずにはいられないのか、なぜ誰かの物語を信じたくなるのか、そしてその熱狂がどこまで人を救い、どこから人を壊していくのかを描いた小説だ。怖かったのは、登場人物たちの行動を完全には笑えないところ。読んでいて何度か嫌な汗をかいた。特に印象に残ったのは、47歳の中年男性の描かれ方である。正直、47歳の男って、こんなに枯れていて、こんなに病んでもいるものなのか、と驚いた。何かをやり直すには遅いようで、でもまだ完全に終わったとも言い切れない。その中途半端な年齢のしんどさが、妙に生々しく描かれていて、なんだか読んでるだけのこっちまでしんどくなった。やっぱり朝井リョウはすごい。
印象的だったのは、南洋の島の描写である。暑さ、湿気、濃い緑、海の気配、人々のざわめき。そうしたものがページの奥から立ち上がってくるようで、どこかゴーギャンの絵の世界に迷い込んだような気持ちになった。明るく鮮やかな色彩の裏に、少し不穏なもの、神話的なもの、人間の欲望や孤独が潜んでいる。その感じが、この小説全体の空気とよく重なっていた。一方で、この作品は単なる異国趣味の小説ではない。南洋の架空の国を舞台にしながら、そこには日本の政治や戦争の記憶、権力者の孤独、近代化によって失われていくものへのまなざしが入り込んでいる。30年以上前に書かれた小説であるにもかかわらず、あまり古さを感じなかったのは、池澤夏樹の世界を見る目が、時代の表面だけを追っていないからだと思う。人間が自然や霊的なものをどう扱うのか、権力を持った人間がどこへ向かうのか。そうしたテーマは、十分に現在の問題として響いてくる。政治、魔術、亡霊、南の島の光と影。いろいろな要素が混ざり合っているのに、不思議と一つの大きな物語として読ませてしまうところに、この小説の力があるのだと思う。いい加減なまとめ方かもしれないが、やはり谷崎潤一郎賞受賞作は面白い。