ほんだながわり

ほんだながわり

「読んだり、観たり、行ったり」だけは、何だかやりっぱなしじゃいけないような気がしたもので…。

いつの日か富裕層になって世界中をフラフラすることを夢見ながら、いまも相変わらずゆらゆらと浮遊草のような生活を送る、28歳、男。と思っていたらいつのまにやらもう29歳…。も遂に終わり、花の30代に突入。といっていたのが、あれよあれよという間に40代に。

読み終えて、まず思ったのは、朝井リョウという作家は、時代の空気をつかまえるのが異様にうまいということである。『桐島、部活やめるってよ』は、作品名そのものが、いつの間にか一つの現象を説明する言葉のようになった。ある状況を説明するときに、「桐島」的だ、と言えるくらい、作品が社会を見るための補助線になっていた。これは本当にすごいことである。そして『イン・ザ・メガチャーチ』もまた、同じように、これから何かを説明するときの代名詞になっていく作品なのではないかと思った。本作で描かれているのは、アイドル、推し活、ファンダム、物語、熱狂、そしてそこに救われたり、利用されたり、加担したりする人たちである。けれど、これは単なる「推し活小説」ではない。むしろ、現代の人間がなぜ何かにのめり込まずにはいられないのか、なぜ誰かの物語を信じたくなるのか、そしてその熱狂がどこまで人を救い、どこから人を壊していくのかを描いた小説だ。怖かったのは、登場人物たちの行動を完全には笑えないところ。読んでいて何度か嫌な汗をかいた。特に印象に残ったのは、47歳の中年男性の描かれ方である。正直、47歳の男って、こんなに枯れていて、こんなに病んでもいるものなのか、と驚いた。何かをやり直すには遅いようで、でもまだ完全に終わったとも言い切れない。その中途半端な年齢のしんどさが、妙に生々しく描かれていて、なんだか読んでるだけのこっちまでしんどくなった。やっぱり朝井リョウはすごい。
 

 

印象的だったのは、南洋の島の描写である。暑さ、湿気、濃い緑、海の気配、人々のざわめき。そうしたものがページの奥から立ち上がってくるようで、どこかゴーギャンの絵の世界に迷い込んだような気持ちになった。明るく鮮やかな色彩の裏に、少し不穏なもの、神話的なもの、人間の欲望や孤独が潜んでいる。その感じが、この小説全体の空気とよく重なっていた。一方で、この作品は単なる異国趣味の小説ではない。南洋の架空の国を舞台にしながら、そこには日本の政治や戦争の記憶、権力者の孤独、近代化によって失われていくものへのまなざしが入り込んでいる。30年以上前に書かれた小説であるにもかかわらず、あまり古さを感じなかったのは、池澤夏樹の世界を見る目が、時代の表面だけを追っていないからだと思う。人間が自然や霊的なものをどう扱うのか、権力を持った人間がどこへ向かうのか。そうしたテーマは、十分に現在の問題として響いてくる。政治、魔術、亡霊、南の島の光と影。いろいろな要素が混ざり合っているのに、不思議と一つの大きな物語として読ませてしまうところに、この小説の力があるのだと思う。いい加減なまとめ方かもしれないが、やはり谷崎潤一郎賞受賞作は面白い。

 

 

本書は、親の老いと向き合う過程を、軽妙さとリアリティを交えて描いた一冊だ。タイトルにある介護未満という言葉が示すように、本格的な介護に至る前の、けれど確実に変化が始まっている期間に焦点が当てられている。著者のスーさんは、コラムニストでありラジオパーソナリティとしても高い人気を誇る女性である。率直でいつもユーモアを忘れない語り口は、この本にも色濃く反映されている。親の忘れっぽさや頑固さ、妙なこだわりといった変化に対して、戸惑いながらも時に笑い飛ばし、時に真剣に悩む。その距離感も絶妙だ。この本は高齢の親との向き合い方を考えるための、いわば指南書といえるだろう。ただ、少し読み進めるうちに少しずつ視点が揺らいできた。最初はスーさんの側に立って共感しながら読んでいたはずなのに、気がつくと、お父上の気持ちに寄ってしまう瞬間が増えてきた。あれこれ気を回され、指摘され、生活を正されていく側の感覚。もちろんそれは善意から来るものなのだろうけれど、さすがに窮屈なんじゃないの? と想像してしまう。もちろんこれは批判ではなく、この本が一方的な視点にとどまらずに、読む側に複数の立場を行き来させる力を持っている証でもあるのだけれど。

 

 

興味深かったのは、AIによって人間の創造性や思考のあり方がどのように変わるのかという議論。AIが文章やアイデアを生み出す時代において、「考える」という行為の意味そのものが揺らいでいるのかもしれない。その変化を脳科学の観点から読み解こうとする試みは、新鮮で、読んでいて刺激的だった。ただ個人的には、同じく池谷さんの著書で、高校生向けに行った講義をもとにしたシリーズ本「夢を叶えるために脳はある 「私という現象」、高校生と脳を語り尽くす」の方が、いろいろ腑に落ちることは多かったかも。