ほんだながわり -12ページ目

ほんだながわり

「読んだり、観たり、行ったり」だけは、何だかやりっぱなしじゃいけないような気がしたもので…。

ユダヤ人のルサンチマン思想とニーチェ的ニヒリズムの間で揺れる、斜視の少年の物語。初版は2009年。2022年に、国際ブッカー賞にノミネートされ、再び注目を集めていた作品だ。読み終わった後、イスラエルとハマスの紛争を伝えるニュースを見て、思わず、ため息が漏れた。弱者の強者への反感。読後の感想としては少し飛躍しすぎだと思いつつ、思考が止まらず、感情がさだまらない。中学生のいじめの話を読んで、こんな風にザワザワした気持ちになるとは予想していなかったので、少し驚いてもいるのだろう。しばらく、あとを引きそうな予感がする。

 

 

 

出版社で事務職として働く、ルーティンに忠実すぎてちょっと生きづらそうな女性(浜野さん)が主人公の物語。なので最初は、コンビニ人間っぽい感じの話なのかなと思って読みはじめたのだけれど、彼女が(そのときの彼女から見ると)風変わりな人たちとの出会いを通して、戸惑いながらも少しずつ殻から開放されていくさまに思わず惹き込まれてしまった。世の中はそんなに捨てたもんじゃないし、悪いものもそこそこちゃんと淘汰されていくんだ…そう思えるだけで、世界は割と明るくなるのだなと温かい気持ちになった。そして最後は、器のでっかい優しさに不覚にも涙がこぼれ落ちる羽目に…。おすすめです。

 

久しぶりにドリトル先生を読んだ。30年、いや40年ぶりかも。Pushmi-pullyuをオシツオサレツと訳す、井伏鱒二が素敵だ。子どもの頃は、アフリカへの差別表現があることにすら気づいていなかった。今、読むとさすがに、あっと体が反応してしまう。「そういう時代だった」という言い訳は通用しないという考えに基本的には賛成だけれど、そのときはそうだったというのも事実だから、それをおかしいというのもなんとなく気が引ける。大人になって再びドリトル先生を読んで、いま思うのは、とにかく嫌な思いをする人たちが世の中から一人でも減ればいいということかな。

 

 

ポル・ポトの隠し子と、カンボジアの寒村に生まれた神童が主人公だというので、政治小説かと思って読み始めたのだけれど、ちゃんとタイトルに謳われている通り、ゲームについて書かれたお話だった。正しくはゲーム哲学というのかな。しかしよくもまあこんな話を思いつくものだ。カンボジアの歴史はまあそこそこ知ってるくらい、そしてゲームはあまりやらない方の自分も、大いに楽しみながら読めた。途中、これって本当の歴史だったっけ? と何度かネット検索するくらい、物語の世界に引き込まれてしまった。ちなみに内容とは関係ないけれど、著者本人より、あとがきがなかなか素敵だ。