なんでも 「完璧・完全」 を求めるのって、辛いものです。
そもそも人間って、不完全であることこそが、完全な存在の証しだから。
完璧な人は一人も居ないという事実
魂の経験・体験を持ち帰るために、人間という器・生身の身体をもって、この世に生を受けている存在はもれなく。
完璧な人間なんて、居やしないのよ。
もし完璧だったら、もうそれ以上、学びや氣付きはもちろんのこと、経験や体験も必要が無くなるのだもの。
完全って、欠けていることや足りないことがまったく無く、必要な条件がすべて揃っている状態でしょ?
そんな人間なんて、居ないんだもの。
※はいココ、試験に出まーす!
傍目にどんなに立派に見えたとしても、欠点や不足がないように映る人も、何かしらの凸凹はあるのです。
それが在るからこそ、人間やっているんだもの。
魂の学びのために。
感情を味わうために。
五感で受け取り経験するために。
それが個性であり、特性であり、違いを知る為でもあり。
そういう意味では、完璧・完全ではない 「不完全である」 という事こそが、本来人間のあるべき姿であり、「人として完全で完璧」 ということなのです。
(説明がクドイかしら…笑)
捉え方の違いだけ
「不完全であることこそが完全」 ということを踏まえて、自らが苦手だったり欠けや不足があると感じている部分を、どんな風に捉えるのか?で、意味付けが変わってきます。
不完全さを個性と捉えて、それぞれの違いを面白いと思えたら、まずは丸ごとの自分を受け留められるし、「うん、これが私」 って思えます。
白い自分だけじゃなくって、黒い自分にもOK出すってことね。
自分のことをそんな風に思えたら、自分以外の誰かの事も、同じように 「うん、それがあなたなんだね」 と捉えられます。
その違いを受け入れる・受け入れないはまた別のお話になりますが、ただ単純に 「あー、そうなんだー」 で、それ以上でもそれ以下でもなく、とてもニュートラルな状態で受け留めることが出来ます。
虚像の 「完璧さ」 を無意味に求めるから、シンドイんだよ。
あなたも私も、みーんな不完全。
で、それが完璧な状態。
だから存在自体が・存在しているだけでOKで完璧なんだよ。
40超えたら、日暮れ時だよ
人間、40歳過ぎたら、人生の日暮れ時に差し掛かるものですわ。
若い時分にはそんなこと思いつきもしませんし、この時間がいつまでも続くと思ったりもしますけどね、そうではないということに氣付きます。
大病を経験したりするとなおさら、「あぁ、人生ってリミットがあるんだった」 って身に沁みて思い出します。
そんな状況でいつまでも、自分が行動出来ない・行動しない理由を、誰かや何かのせいにして言い訳するのは、時間がもったいないのよ、本当に。
その理由 (と云うか言い訳) や悩み事って、自分の時間・つまりは 「命を削ってまで」 しなくちゃいけない大事なことなんだろうか?
もう一段階成長するために、そのプロセスが必要なこともあるけれど。
弱い自分・可哀想な自分で居たいがために、いつまでも・何度でも同じところに留まってぐるぐるし続けることに、自分の命を使っているんだ…って、自覚してる?
自分の人生の時間を使うのは、もちろん、自分の責任においてですが、後で後悔したって、その時間を巻き戻すことは出来ないのだから。
「後悔も、財産(お金)と一緒。
あの世には持っていけないんだから。
だから悔いを、この世に残すなよ。」
※過去ブログ 「父からのメッセージ③」 より
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