カタセテロジュマン -74ページ目

月代と一夫一婦制-③

月代(さかやき)は、盛りの過ぎた男を年寄り扱いして見下したりしないための、男子平均化措置。

一夫一婦制は、貧富の差をなくし、統治者が下克上の憂き目にあわないための国家平均化措置。

それが平等、平らかに等しく、ということだろうか。

みなが同じ格好をし、同じような家に住み、同じようなものを食べ、同じように考え、同じように生涯を終える。

確かに安全で幸せだ。同じような言葉と考えとをもった者たちが集まって暮すのだから、信用も信頼も程度にもよるだろうが少なからずはあるはずだ。だからこそ、会話も成り立つわけだし、何の証拠があるわけでもなくとも、誰かが言った何かをその額面どおりに受け止めることが自然な対人関係になっているのだ。

けれど、私は平等ということは、もう少し、義務と権利をも保ちつつあるべきではないかという気がする。

人にはそれぞれ得手不得手、向き不向き、それぞれの人生における歩調や速度があると思う。

それらさえも、画一化、均一化しようとする思想は誰にもないといえるだろうか?国政に携わる人、教育に携わる人、その人たちそれらの発想が全くない、或いは全く起こらないといえるだろうか?

平等なら、平等に、できることを出来る人がしなければならないときにしなければならないことをすべき。権利を主張するなら、相応の義務も果たすべき。権利が平等なら義務も平等であるはずだ。

月代を剃り、一夫一婦制を唯一の常識と思い込んでいると、一切合財誰かの決めた何かの統制に無意識に従い、あるいは利用し、利用され、真実を見失っているかもしれないことも見えなくなってしまいそうだ。

踏襲されてきた考えや思想はその歴史がその必要性を物語っている有効な手段だと思う。けれど、それを唯一無二のように思い込んで、自身の自由な発想を失ってしまうのだとしたら、矢張り、人間はいつまでたっても同じ命の奪い合いをどの時代にも平等に、平らかに等しく、空しく、繰り返してしまうのだろう。

月代と一夫一婦制-②

分けなくともよかったのですが、長文に苦情をいただきましたので鑑みて。


「あそこのご主人、浮気してるのよ」

「お隣の奥さん、ご主人が単身赴任だって言うのに最近化粧とか濃くない?」

というのは、どこででも耳にしそうな、あるいはテレビドラマで目にしそうな、ご近所の噂話。似たような会話は職場等、日常的に共有する空間の仲間同士の間では、誰でも一度は聞いたことがあるだろうと思われる。そこで、その是非について考えてみたい。

この場合、浮気・不倫、ということが問題なのであるが、それは、勿論、ある常識に基づいた発想である。

一夫一婦制。この制度を常識とする観念が、浮気や不倫の位置を、是であるか非であるかに定義づけるのである。

何故なら、一夫多妻制、または一妻多夫制の土地なら、まず一人配偶者がいる状況で、別な異性に惹かれ関係を持ったとしてもなんら咎められる理由はない。咎められるどころか、立派な社会人として、甲斐性のある人間だと一目置かれるのである。相手の人数が多ければそれは子沢山同様、それなりにエンゲル係数も上がり、住まいの用意、日々の雑多な費用、税金、その他諸々の生活費が必要なのである。それを稼ぎ使うことのできるその家の主でなければ、複数配偶者を維持していけないのである。

するとそこに貧富の差が明確に現れる。その土地の制度から判断するなら、複数配偶者所持者の方が、一夫一婦の者より、富裕であることは明々白々、たとえ一夫一婦の者が、自分たちは唯一愛し合っているので、他の相手は不要などと主張をしてみても、社会通念はそれほどたやすく覆せない。結局は負け惜しみ、今でいうところの負け犬根性と定義づけられてしまうのが至極当然の世間の判断。

だがしかし、これでいいのか?このままでは、ある者は権力(発言力)を強化し、ある者は半人前扱い。一定の地域の中で貧富の格差が広がることは、経済の活性化にはある部分は寄与するとしても、統治には甚だ扱いにくい状況である。それでは国の、強いては統治者の存亡に関わる由々しき問題に発展しかねない。それではせっかく統一を薦めている国つくりに大きな支障をきたすではないか?それならば、一人の男に一人の女、これだけを法律で許可する正式な男女関係とし、以外に関係を持った場合はそれを罪過として処分すべし。こうしてしまえば、隠れて関係を結ぶものはあっても大手を振って許されるものはいなくなる。統率には平均化が最も有効な手綱とりだ。更に功を奏すと予測されるのは、敵対勢力の因子が無限大に撒かれる可能性も防ぐ手段にもなり得て一挙両得。そもそも生き物である人間は、なるべく多くの遺伝子を様々な形で伝えるべく種の保存に努める本能をもっており、また、発揮しようとするからである。

このように、法律規律で抑圧してしまえば、例外はあろうとも、ある程度大きな成果はみられるものである。

したがって、不倫は文化と宣わったとある男優がこの国においては非難囂々の矢面に立たされるという具合なのだ。これはひとえに、一夫一婦制を常識としているこの国の社会人の当然の思考なのである。




月代と一夫一婦制-①

平等について考えるとき、平らかに等しく、の意味をまた思う。


月代(さかやき)とは、所謂ちょんまげの髷を乗せる頭頂部の毛髪を剃った部分のこと。その成立は戦国武将が兜を被った頭部から放熱を促すため、というのがそもそもの始まりとされているようだ。したがって、権力のある者、身分の低からぬ者、強者の類の男たちの髪型であるとも考えられる。

時代が下って戦乱のない天下太平徳川300年の頃には、一般の市井の者たちにもそれがひとつの流行となり、いかに青々と剃りあげるかで男伊達や粋が争われたようである。

以上はその髪型の歴史として大よそ主流となっている考え方ではなかろうかと存ずる。しかしながら、本伝には外伝がつきもの。今回の主題にはその外伝を採用することとする。

月代とは、額から頭頂部にかけての毛髪をすっかり剃り落としてしまうことである。

これは、一般的に、加齢とともに毛髪の数を減らしていくことで形成される禿頭と酷似している。つまり、老人特有、ならでは、自然摂理のなせる特別な髪型なのである。けれど悲しいかな、人間という生き物は不老長寿を願う生き物、つまり、老いることを負の評価とすることがありがち。往々にして、年寄り、老人を一人前の人間として扱わない。故に隠居やら引退などという観念や言葉にて、自ら或いは排他的に世間の第一線から、外れていくのである。言い換えれば、世間の第一線をになうのは男盛り・女盛り、要するに盛りのある人間がもてはやされるわけだ。

しかしそれでいいのか?年寄りは望んで年寄りになったわけではなく、時の流れとともに自然に老いただけだ。それを、役立たず厄介者扱いするのはいかがなものか?禿頭が老人ならではの特徴なら、その評価の発端となるなら、その原因を取り除けばよいのではなかろうか?一族郎党成人男子は押し並べて同じ髪型にするならば、毛髪の分量や色合いに多少の差異はあろうとも、見比べて大きな違いはでないのではなかろうか?そうだ、そうすべし。成人した男子は頭頂部を剃り落とすこと。子供ではないことを強調すること。老人との差別化はせぬこと。年老いたからとて、盛りを過ぎたと見下すような弱いものいじめ的な発想を慎むこと。

こうして、月代は一般市民の間に普及したのである。というのが外伝。この際、あねさんたちの禿(かむろ)さんについては文字は同じですが言及しないので悪しからず。


『二人のハーモニー』

『いろはにこんぺいとう』

『ごはんができたよ』

がなかったのもあるけど、でも、The Boomも好きやし♪

この歌、ね§^。^§


Singles+




THE BOOM, 宮沢和史

Singles+

遠い日

ほんの些細なひとことが、後になって静かに確実に、胸の中で渦巻き始める。

それがいいとか悪いとか、好きとか嫌いとか、正しいとか過ちとか、そういう判断を強いられているわけではなく、ただ、ぽつんとそこに小さな渦巻きができる。その言葉がその存在を僅かにけれど画然と主張している。

これはただの記憶。これはただの記録。これはただの私のひとりごと。

気がつけばあの日から何一つ、変わってはいなかった。

c'est époque la

少しだけ、唇をかみ締めたい気分を振り払う。


「私はそれを二三のひたむきな読者に知らせたいだけなのです。」(太宰治『川端康成へ』)

PIZZICATO FIVE TYO Big Hits and Jet Lags1991-'95

甲乙つけがたい各曲のうち、今日の気分はやっぱり、

『マジック・カーペット・ライド』


「おんなじベッドで

抱き合って死ねるならね」(私の記憶が確かならばencore une fois)

家帰って確認してから書け↑(あとでそうします~~)


なんだか、ロマンティックで、しかも熱く切ないじゃありませんか・・・・・・。


はい、イチコロ(変なこと想像しないでね。キンチョール関係とか・・・)。



Big Hits and Jet Lags 1991-1995



ピチカート・ファイヴ
ピチカート・ファイヴ TYO

「2000光年をペルシャ絨毯で

もう一度ひとっ飛びしましょ


そしてふたりいつのまにか

年をとってしまうけど

いつまでもふたり

遊んで暮らせるならね

magic carpet ridin'

magic carpet ride

magic carpet riding

cha cha cha!」


家に帰って確認しましたわ♪


『サウンド・オブ・ミュージック』

『トウキョウ・モナムール』といきたいとこですが、あえて、表題の一曲。

「パンチをパー、おへそにパー、おしりにパー、おならがプー

くまのプーさんみたいなボーイフレンド」(私の記憶が確かならばcomme鹿賀丈史)


どうですよ、この歌詞。

いい意味でものすごく脱力。

なんか、気張りすぎてた自分に赤面、みたいな感じなの(*^。^*)


Romantique 96



ピチカート・ファイヴ, 小西康陽, 坂本俊介, 久米大作, 村田陽一, ファンタスティック・プラスチック・マシーン, 村山達哉
ROMANTIQUE’96

『憂鬱天国』

以前にほかでも書いたことがありますが、この曲もすごく好き。


「その話は明日にして。明日はダメ。明日はゴルフがある日だから」


うんうん、そういう気分のとき、あるわよね♪


Antique ‘96



ピチカート・ファイヴ
Antique’96

『東京の合唱~午後のカフェで』

「マキちゃん、今日はよろしくね」(ニヤリ、みたいな)

この松崎しげるのヤニ下がった挨拶、最高!もちろん、シャウトも絶品♪

私は彼の歌も人柄も、好きなんだなあ・・・・・・。


single



ピチカート・ファイヴ, 小西康陽, 福富幸宏, 村田陽一
singles

y-cassai le cellulaire

携帯電話のカメラ完全にお陀仏。

ついで、本体も青息吐息虫の息。

なんか笑っちゃうわξ^ x 〆オーホッホッホ