奄美諸島駐留日本陸軍(含む沖縄脱出兵)の復員について(2) | 鹿児島県奄美諸島の沖縄戦

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 二回目に復員が確認できるのは、一一月一八日である。今回は鹿児島ではなく博多に復員している。重砲兵六連隊(三六一名)である。(『週報綴』三五八、三七一頁)重砲兵六連隊は先述の資料を参照すると、隊員の約三五パーセントが今回復員した計算になる。『週報綴』に見える奄美諸島の部隊の復員場所は、ほとんどが鹿児島である。今回なぜ博多なのかは不明である。船舶の都合だろうか。

 三回目に復員が確認できるのは、一一月二〇日である。「金十丸」に乗船して徳之島から鹿児島に復員している。独混六四旅団司令部(九八名。遺骨を一柱護送。)、独混二一連隊(五七五名。三一名入院。)、徳之島陸軍病院(三名)である。(『週報綴』三四二、三七五、三八一頁)

 独混六四旅団司令部は先述のように、百二十人という資料があるので、この時大部分が復員したのだろう。独混二一連隊は先述の資料を参照すると、隊員の四分の一が今回復員した計算になる。注目すべきは、連隊員三一名が入院していることである。

 これだけ多数が船内で体調が悪化したとは考えにくいので、奄美から患者を輸送してきた可能性が高い。戦闘で負傷したのか、栄養失調や病気なのかは不明である。連隊員に対する割合は約五・四パーセントに達する。『週報綴』の前後のページを見ても、病院部隊を除いてこれほどの入院者は見当たらない。後述するが、翌二一日も独混二一連隊は一九一名の隊員に対し、一〇名の入院者を出している。(『週報綴』三四三頁)戦中戦後の奄美諸島の状況の厳しさを示しているのかもしれない。

 四回目に復員が確認できるのは、一一月二一日である。「八雲」に乗船して徳之島から鹿児島に復員している。奄美大島陸軍病院(七六名)、第七五飛行場中隊(一九一名。人数不明だが入院者あり。)、独混二二連隊(八二七名。一六名入院。)、暁第一六七四四部隊(一一八名)、第三二軍航空情報隊(二名?)独混二一連隊(一九一名。一〇名入院。)、徳之島憲兵分隊(五名)、球第二七四〇部隊(一〇名。八名入院。)、墓四八三一部隊(一名)、第一独立整備隊(二七名。一名入院。)、海上駆逐隊補充隊(三二名)、船舶工兵第二六連隊(一名)である。(『週報綴』三四二~三四三、三七六頁)

 暁第一六七四四部隊は船舶工兵第二六連隊のことである。球第二七四〇部隊は重砲兵六連隊のことである。一〇名のうち八名が入院しているので、患者を別に復員させた可能性がある。墓四八三一部隊とは基四八三一部隊の誤りで、陸上勤務第七一中隊である。第一独立整備隊は第五野戦航空修理廠第一独立整備隊のことである。海上駆逐隊補充隊はどの隊を指すか不明である。

 奄美大島陸軍病院は編制定員が四〇名(註1)なので、部隊の大部分が復員した可能性がある。第七五飛行場中隊は編制定員が二二六名(註2)なので、八五パーセントが今回復員した。独混二二連隊は先述の資料を参照すると、こちらも隊員の四分の一が今回復員した計算になる。

 船舶工兵第二六連隊第三中隊は編制定員が三三二名(註3)なので、三五パーセントが今回復員した。同連隊はなぜか別枠で、この日一名の復員が記されている。その理由は不明だが、想像を逞しくしれば、沖縄本島に配備されていた同連隊の他中隊の兵士が奄美諸島に脱出し、その兵士のことを指すのかもしれない。

 海上駆逐隊とは、陸軍暁部隊で駆逐艇やカロ艇と呼ばれる高速戦闘艇を装備していた。沖縄戦には海上駆逐第一大隊の第三中隊が参加したが、海上駆逐隊補充隊は海上駆逐一大隊の訓練部隊で、広島県に所在した。奄美諸島になぜ同隊がいたかは不明だが、任地に向かう途中の部隊が奄美で足止めを食ったものだろうか。

 この日は各隊合わせて二九柱の遺骨を護送している。内訳は第七五飛行場中隊一五柱、独混二二連隊七柱、独混二一連隊一柱、船舶工兵第二六連隊五柱、徳之島憲兵分隊一柱である。(『週報綴』三八二頁)第七五飛行場中隊は戦争中奄美で一八名が戦死・戦傷死亡・病死している。(註4)各部隊では復員に合わせて、遺骨も護送していたのである。

 一一月二五日に陸上勤務第七一中隊が古仁屋を出航し。二六日に鹿児島に上陸、二七日に復員完結したとの資料がある。(註5)『週報綴』にはこの日の復員の記載はない。一一月二九日に復員しているので、日にちの記載誤りかもしれない。

 一一月二八日に鎮西軍司令官は、在奄美諸島の独混六四旅団兵力を、軍人三二六五名・軍属七〇名(註6)と報告している。奄美諸島の軍属の存在が判明する最初の資料である。

 

(註1)防衛研究所戦史研究センター所蔵『独立混成第六四旅団の概況』

(註2)前掲註1

(註3)前掲註1

(註4)『徳想記』(私家版 徳之島・第七十五飛行場中隊 山縣隊・戦友会) 一三〇頁

(註5)防衛研究所戦史研究センター所蔵『南方・支那・台湾・朝鮮(南鮮)方面陸軍部隊(航空・船舶部隊を除く)略歴 第四回追録』 二六五頁

(註6)防衛研究所戦史研究センター所蔵『復員状況調査報告 西部軍管区司令官』 七

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