3.全部お見通し
“どうしよう・・・”
ここから歩いて帰ったら、あと1時間ぐらいはかかるだろう。現在pm10:30。空に電話しようとも思ったが、今ごろ宿題でてんやわんやしているだろうし、電話をしたところで解決策は思い当たらないので、自力で帰ることにした。悠一が帰って来るのはもっと真夜中だろうから、全速力で走ることもないし、今は中学生でも高校生でもない状態だから、学校の先生に見つかって怒られる心配もない。せっかくの機会だから、このままナイトウォークを楽しむことに決めた。
海は夜の暗闇に対する恐怖心がまったくなかった。中2のころ夜の学校のプールに忍び込み流星群を眺めたり、つい数か月前には夜中に花憐と噴水のところで落ち合ったり、その度に悠一や先生たちから厳しいおしおきを受けているにもかかわらず、反省には結びついていないようだ。
過去の経験に比べたら、交通量の多い明るい道路沿いを歩くなんて何でもないことだった。
“お菓子もあるし、ジュースもあるし、大丈夫!”
「よーし!」
小さい声で気合いを入れて、再び家に向かって歩き始めた。
調子よく歩いていると、突然携帯の着信音が鳴り響いた。
“空?それともお兄ちゃん?”
嫌な予感がした。ポケットから携帯を取り出し恐る恐るディスプレイを見ると、その表示は予想外の人物だった。海は電話に出るべきか無視するか悩んだが、いつまでも鳴り止まない着信音に深呼吸をして気持ちを落ち着かせてから応答した。
「もしもし。」
「海ちゃん?」
「はい。」
このタイミングで恒から電話がかかってくるなんて・・・。海は“もしかして?”と辺りをキョロキョロと見回した。
「ちょっと前に空から電話があったけど出れなくて。今、空にかけ直したけど出ないから。」
“そうだった。空、恒先生に電話かけたんだった。”
家を出る前のことなんて遠い昔のことのようで、頭の中からすっかりと消えていた。着信履歴というのはこういうとき厄介だと顔をしかめた。
「空、何かあった?」
「ううん。大丈夫だと思うよ。」
「そうか。それならよかった。でも電話してくるなんて何か用事があったんだよな?」
「かけ間違えたんじゃない?」
恒は海の動揺する様子をすでに感じとっていた。
「空に代われる?」
「えっ・・・」
「海ちゃん?」
「うん。ちょっと待ってて。」
海は携帯を耳から離して、ひと呼吸おいてから、
「空、今お風呂入ってるみたい。それで恒先生の電話に出れなかったんだね。さっき数学の宿題やってたから、分からないところを教えてもらいたかったんだと思うよ。」
「そうか。じゃあ風呂から出たら電話するように伝えといて。」
「うん分かった。じゃあおやすみなさい。」
海が電話を切ろうとすると、
「ところで。」
恒のピシッとした声に海がドキッとしたのは言うまでもない。
「海ちゃん、今どこにいるの?」
「えっ?自分の部屋だけど。」
「本当に?」
「うん。」
海がうそをついているときの口調や間合いなど、つき合いの長い恒は簡単に見抜くことができた。今まで何度もうそを見破り、その度におしおきをして言い聞かせてきた間柄なのだから。
「外だよね?」
「え?」
海はまたもや辺りをグルッと見回した。監視されているのか、それとも超能力者か・・・。このままうそをつき続けるべきか、素直に謝って真実を打ち明けるべきか、はたまた電話をプッツリと切ってしまうことも考えたが、それはあまりにも無謀な行為だと却下した。海が黙り込んでしまったので、恒はこれが悪い事案であることを確信した。
「海ちゃん、今どこで何をしているのか、正直に言ってごらん。」
小さい子供を諭すような優しい言い方に思わず、「怒らないなら言うけど」という前置きをくっつけてしまいそうになり、慌ててその言葉を飲み込んだ。いくら温厚な恒でもそんな駆け引き的なやりとりは許してくれないだろうし、その後の事態を悪化させるということは経験上充分に分かっていた。
“あーあ、どうしていつもバレちゃうんだろう・・・”
フーッとため息をついてから、
「ごめんなさい。本当は今外にいて、もう少しで家に着くところ。」
「こんな時間まで何してたの?」
「明日から学校なんだけど、ちょっと買い忘れたものがあって。」
「何を買いに行ったの?」
「靴下。」
「海ちゃん1人で?悠一と一緒じゃないの?」
「お兄ちゃん今日は病院の歓送迎会で遅くなるって。」
「空は?」
「家で宿題やってる。」
「あとどのくらいで家に着くの?」
あと1時間なんてとても言うことができず、
「あと10分ぐらい。」
1つのうそが次のうそを生み出し、その連鎖がどんどん自分を追い込んでいく。そしていつの間にかあとには引けない状況に陥ってしまう。
「じゃあ家に着いたら先生に電話してくれるかな?くれぐれも気をつけるんだよ。」
「はい。」
やっと恒が電話を切ってくれたので、海はホッとしてまた歩き出した。
「やれやれ。」
恒はお風呂に入ろうとしていたのをやめて、車のキーを持って家を出た。GPSをつけているわけではないのに、海の居場所は何となく把握できた。こんな時間に靴下を買える場所は限られているし、電話の向こう側から聞こえてきた雑音は交通量が多いことを示唆していた。そして海がシラーッと言った「あと10分」から、実際は30分以上はかかるだろうという推測を立てた。
普段仕事で患者さんに問診する際、必要な情報を巧みに聞き出し、それを判断材料として診断や治療方針を決めている。患者さんの中には、平気な顔をしてうそをついたり言葉を濁してごまかしたり、痛いのに痛くないと言ったり、逆に大袈裟に痛がったり。それでも皆、最終的には恒の術中にまんまとはまり、真実を認めざるを得なくなる。海だって恒にうそは通用しないことぐらい、嫌というほど分かっているはずなのに・・・。
車で大通りを5分ほど走ると、反対車線の歩道を早足で歩いている海の姿を見つけた。夜になっても街灯や車のライトである程度明るさを保っているとはいえ、こんな遅い時間に中学生や高校生ぐらいの女の子が1人で歩いている姿は、かなり違和感があった。塾や習い事の帰りなら親が車で迎えに来たり、友達何人かでまとまって帰るような時間帯だった。
“きっとこの子は10分経ったら電話をかけてきて、何食わぬ様子で「恒先生、今家に着いたよ」とうそをつくのだろう”
恒は海を通り越し、少し先の空地でUターンして海の背後に車を停めた。海は恒の存在に気づくことなくスタスタと歩いていたが、突然うしろから肩をガシッとつかまれ、
「キャーッ!」
と悲鳴をあげた。
変な人に変なことをされるかもしれないという思考が、海の頭の中にあったのかどうか?きっと今こうして肩をつかまれるまでは、考えもしなかったのだろう。海がビクビクしながらうしろを振り向くと、背の高い男の人が立っていた。怖々と目線を上げて顔を見ると、自分を睨みつけている恒と目が合った。
「あーびっくりした!恒先生かぁ。」
海は全身の力がスーッと抜けていくのを感じた。
「こらっ!」
「わぁーごめんなさい。」
恐怖心から解放され、そしてこの状況を把握すると、また一気に顔が青ざめた。
「何で?何で恒先生がここにいるの?」
「先生、うそつきは大嫌いだってこと、海ちゃん知ってるよね?」
「・・・・・」
ここで言い訳をしたり、ごまかそうとしたところで、もうどうにもならない状況だったので、
「ごめんなさい。」
とりあえず素直に謝っておくことにした。
「いろいろと聞かせてもらわないといけないな。」
恒はそう言うと、後方に停めてある車に乗り込んだ。海はそのあとについて重い足取りで車に向かい、助手席に座った。歩けばまだ結構な時間がかかるところを、車ではほんの数分で着いてしまう。海は一番叱られずにすむ方法を必死に考えようとしたが、恒に次々と質問を投げかけられ一瞬の隙も与えられなかった。
「明日から学校だよね?」
「春休みは満喫できた?」
「今日の夜ごはんは何を食べたの?」
「制服姿見せに来てね。」
「部活はバスケ続けるの?」
そんな問いかけに対して、海もいつものように普通に答えるよう努力した。
“よかった。恒先生そんなに怒ってないみたい”
と思ってしまうのも仕方がないくらい穏やかな会話が続いた。
恒としては家に着いてからじっくりと話を聞きたかったので、中途半端な情報はいらなかったし、夜のドライブでは助手席にいる相手の表情がよく見えないので、核心に触れるのを避けていた。そして海が更なる悪巧みを思いつかないように、シーンとした時間を作らなかった。
家に着くと空は自分の部屋にいて、残り1/3ほどの宿題と格闘中だった。海が玄関の鍵を開けて入って来た気配を感じ、悠一よりも先に帰って来てくれてホッとした。もしそれが逆になり、海がこんな時間まで外出していることがバレてしまったら、自分にも害が及ぶのは確実だった。今の空にはそんな時間的余裕は少しもなかった。
「空、下りて来い。」
階段の下から発せられた意表を突く呼びかけに、空は度肝を抜かした。その声の主が悠一以上に手強い相手であることはすぐに分かった。
“何で恒先生?”
現実逃避、寝たふりをしようといったん布団に潜り込んだが、頭を振りながらベッドから起き上がった。悠一にバレる確率は0ではないと覚悟はしていたものの、恒が関わってくることは想定外だった。
「電話はしたけど、それが何でこういう状況になってるんだ?あー、ダブルかよ・・・。」
そうつぶやくと、苦虫を嚙みつぶしたような顔をして部屋を出た。
空がリビングに下りると、海は買い物袋を握りしめたままボーッとしてソファに座っていた。恒は冷蔵庫から麦茶を取り出しコップに注ぐと、ゴクゴクと一気に飲み干した。これから始まる長い説教に備えて喉を潤しているようだった。
“恒先生、相当怒ってるな”
空はピリッと張り詰めた空気を感じた。
「さて。」
恒の表情がさらに引き締まり、2人をイスに座らせた。恒もその目の前に座ると、
「もうこんな時間だから、さっさと済ませような。分かってるだろうけど、うそをついたり隠しごとをしたら時間がどんどん遅くなるし、おしおきも厳しくなるから正直に答えること。まずは空からな。」
空はえっ?オレ?という顔をして自分を指さした。
「宿題はあとどれくらいで終わるんだ?」
「えっと・・・あと2時間ぐらい。」
「それなら空から先におしおきした方がいいだろ?高校生活初日から宿題忘れたなんて言ったら、先生に真っ先に目をつけられるだろうし、クラスで注目の的だもんな。だいたい何でおまえは今ごろ宿題をやってるんだ?春休み3週間もあったんだろ?」
「数学だけ忘れてた。」
「たるんでるよな。またうちの病院に通って、根性叩き直した方がいいんじゃないか?」
「いや、それは・・・。」
空は遠慮しておきますという感じに首を横に振った。
「電話してきた用件は何だったんだ?」
「海が困ってたから、恒先生に相談しようと思って。」
「そうか。電話出れなくて悪かったな。妹思いのいい兄ちゃんだな。」
空が照れくさそうにしていると、
「その妹思いのいい兄貴が、どうしてこんな夜中に海ちゃん1人で買い物に行かせたんだ?」
恒の口調が厳しくなったので、空は背筋を正した。「だって」と言い逃れをしようと思ったが、何も言わずに口を閉じた。言い訳をしたら余計に怒られるに違いない。
「だって、宿題がたんまり残っていたもんな。」
恒の方からそんな風に言われてしまい、
「それもそうだけど、まだ8:00ぐらいだったから大丈夫だと思ったし、海も1人で行けるって言うから、何かあったら連絡しろよって見送った。」
「近くに買い物に行くならいいだろうけど、現に帰って来たのは今だからな。オレが迎えに行かなかったら、今ごろまだ夜道をさまよっていただろうし、危険な目に遭っていた可能性がまったくないわけでもないし。」
「海、いったい何してたの?」
「まあ海ちゃんの話はあとでじっくり聞くとして、空はどうするべきだった?」
「海と一緒に行けばよかったってこと?」
「まあ今回の場合はそうだろうな。それか、前もって準備しておかないからいけないんだって説得して、海ちゃんに諦めさせるか。前日の夜になって慌てて宿題やってるおまえがそんなこと言えた義理じゃないけどな。」
「分かった。今度から気をつける。」
「ずいぶん素直だな。」
「もう早く終わらせてほしいから。」
「そんなに切羽詰まってるのか?まったくこの双子の兄妹は・・・。」
恒は反省しているんだかいないんだか、さっきから大きなあくびを連発している海に視線を向けた。
つづく