6.経験値
家に着いて悠一と2人でケーキを食べて、少し機嫌はよくなったものの、海の心の中のモヤモヤは消えなかった。食べ終わるとすぐに自分の部屋に向かい、音楽を聴いて気持ちを切り替えようとしたけれど、頭の中には悠一と菜摘のラインのやりとりが鮮明に浮かび上がった。
空が帰って来て、夜ごはんを食べて、お風呂に入って、リビングでくつろいで、テレビを見て・・・こういういつもと変わらない生活が妙に落ち着いた。恒は別として、この空間に他人が入り込むことに大きな違和感があり、ましてやそれが悠一に好意を抱いている相手となればなおさらのことだった。あおいは今まで一度もこの家に来たことはなかった。悠一だったら構わず家に招き入れそうだが、きっとあおいが海や空に気を遣って遠慮してくれているのだろう。
pm10:00
悠一のラインの着信音が鳴った。海はやっと落ち着きかけていたところに再びメラメラしたものが沸き起こり、携帯をチェックする悠一をキッと睨みつけた。何度かやりとりが続くうちに、だんだんと悠一の様子がおかしくなっていった。
「ったく、あいつは・・・」
悠一はラインを打つ手を止めて電話をかけた。
「まだ電車あるだろ?ちゃんと帰って来い。分かったな!」
相手は言うまでもなく菜摘だった。ここ数日間の菜摘に対する話し方とは違い、威圧的でイラついた口調だった。電話を切った悠一に、
「どうしたの?」
と海が尋ねると、
「菜摘が友達の家に泊まって来るって言うから、ダメだって言ったんだ。」
「もう大人なのにダメなの?」
海が聞き返すと、
「自分の家にいて親に了承を得るのと、うちに居候している身でこうなるのとじゃ訳が違うからな。」
“このまま帰って来ない方がいいのにな・・・”
と思いつつ、悠一に同意して、
「そうだよね。」
と相づちを打った。
「どうせ彼氏と一緒なんだろ。」
“お兄ちゃんは菜摘ちゃんが帰って来ないことを怒ってるの?それとも彼氏とお泊まりすることを怒ってるの?”
悠一の真意は分からなかったが、でも女の勘的には心配しているというよりも、嫉妬っぽいニュアンスを感じた。
それから約2時間経つが、まだ菜摘は帰って来ない。悠一は携帯を握りしめ、うろうろと家の中を行ったり来たりしている。娘の帰りが遅くて気が気でない父親のようで、空は傍から見ていて、海の帰りを待っているときと同じ光景に思えた。これは一波乱ありそうな予感がした。
2人とも普段なら自分の部屋に行っている時間なのに、悠一が菜摘にどんな態度をとるのか気になっていつまでもテレビを見ていると、
「もう寝る時間だぞ。」
と促された。ここで口応えでもしたら、まったく関係のない自分たちにまで怒りの矛先が向けられるだろう。素直に言うことを聞き、
「おやすみなさい。」
と言って2階に上がった。
その数分後、空は悠一が玄関から出て行く音を聞いた。
『あまめま駅に着いたら迎えに行くから連絡して』
悠一からのラインに菜摘は、
『歩いて帰れるから大丈夫』
と返信した。
『こんな真夜中に1人で歩いてたら危ないだろ』
と言われてしまい、12:00過ぎに悠一に到着したことを伝えた。
5分ほどで悠一の車がロータリーにやって来て、菜摘は助手席に申し訳なさそうに乗り込むと、
「悠ちゃん、ごめんなさい。」
と謝った。悠一は
「試験、お疲れ様。変なミスしなかったか?」
いつもと変わらない様子で聞いてきた。電話で「帰って来い!」ときつい口調で言われて、てっきり怒られると思っていたので、ホッとして明るく答えた。
「うん。大丈夫だと思う。悠ちゃんに教えてもらったところもバッチリできたよ。」
「そうか、よかったな。」
「いい先生がいてくれたお陰♡」
「菜摘、明日は何も予定ないよな?」
「うん。」
「じゃあ帰ってから、ゆっくり話をしような。」
「え?」
「オレとしてはこのまま見過ごしたくないから。」
「今日のこと?」
「ああ。」
「言われたとおり、ちゃんと帰って来たよ。」
「帰って来なかったら、もっと大変なことになってただろうな。」
「えっ・・・そうなの?」
「決まってるだろ。」
悠一は穏やかな口調だったが、いつもとは違う空気を醸し出していた。車はすぐに蓮ケ谷家に到着した。悠一が先にリビングに入り、うしろから着いて来た菜摘の方を振り返り、
「酒飲んでるのか?」
と顔をのぞき込んだ。駅では気づかなかったが、菜摘の足取りは少しフラフラしていた。
「うん。カクテルちょっとだけ。」
悠一はグラスに水を注いで、菜摘に差し出した。
「ありがとう。」
その水を飲み終わるのを待って、菜摘の手を引いてイスに座らせ、悠一は向かい側に腰かけた。
「えー、このシチュエーションって、もしかして私、お説教されちゃうの?」
酔っているせいなのか、おチャラけて言う菜摘に、
「オレがどうして怒ってるのか分かるか?」
悠一は真剣な表情で問いかけた。
「泊まってくるって言ったからでしょ?」
「そうだ。」
「悠ちゃんのところで面倒見てもらってるのに、試験終わったからって羽目外して遊び歩いて、その上お泊まりなんていいご身分だってことでしょ?」
それには答えず、悠一は話を続けた。
「普段からよく外泊してるのか?」
「してないよ。だってママ、そういうのうるさいもん。悠ちゃんも知ってるでしょ。教育ママで過保護で堅物だって。」
「そうだよな。あのおばさんが簡単に許可するはずないよな。オレなら大丈夫って思ったのか?」
「まあね。私だってたまには女子大生っぽいことしたいもん。」
「それで彼氏とお泊まりデートしようとしたわけか。」
「彼氏じゃないよ。元カレ。」
「は?別れた男と泊まろうとしてたのか?」
「試験のこと気にかけてくれてて、今日食事する約束は前からしてたんだけど、その成り行きで泊まって行こうかって話になって。」
「おまえなぁ・・・」
「でもよかった。悠ちゃんが「帰って来い」って言ってくれなかったら、今ごろホテル行ってたし、今の彼氏にバレたら面倒くさそうだから。」
「・・・」
悠一は呆れて何も言葉が出てこなかった。
「怒ってる?」
菜摘は悠一の顔色を伺った。
「今の若い子はみんなそんな感じなのか?」
「そんな感じって?」
「食事はまあいいとして、誰とでもホイホイとホテルに行って、一夜を共にするのか?」
「誰とでもじゃないよ。元カレだったらアリじゃない?」
「全然分からん。まあオレがとやかく言うことじゃないし、菜摘はもう成人してるから自己責任なんだろうが、反省する必要はあるだろうな。」
「反省?」
「ああ。オレに心配かけた分。」
「うん。分かってる。本当にごめんなさい。」
演技なのか、本心なのか、涙声で鼻をすするような仕草に、世の中の男たちはだまされてしまうのかもしれない。
「菜摘はおしおきされたことないだろ?」
突然の悠一の言葉に耳を疑った。
「えっ?おしおき?」
「おばさんもおじさんも、手はあげないもんな。」
「うん。ガミガミ口では叱られるけど、おしおきなんて今までされたことないよ。パパなんて優し過ぎて、物心ついたころから怒られた記憶がないくらい。」
「学校では?」
「そんな怖い先生一人もいなかったよ。」
「おしおきと無縁な子もいるんだな。」
悠一は頭の中に空と海を思い浮かべた。
「ねぇ悠ちゃん、おしおきって何?物置に閉じ込めるとか、お尻叩きとか、お灸すえるとか?もしかしてSM関係のこと言ってるの?」
「バカだな。オレがおまえにSMするわけないだろ。」
「え?ちょっと待って。「オレがおまえに」って、もしかして私、今から悠ちゃんにおしおきされるってこと?」
少しパニクっている菜摘に平然と、
「そのつもりだ。」
と返事をすると、
「えー!悠ちゃんておしおきする人なの?待ってー。ムリムリムリ。ちゃんと反省したから変なこと言わないで。私もう22才だよ。おしおきなんて子供にするものでしょ。」
「菜摘、看護師になるんだから、何ごとも経験値を上げていかないとな。」
「医療行為におしおきなんてないよー。そんなの勉強してないし、試験にも出なかったし。」
「そうか?オレ何度も病院で患者さんにおしおきしてるぞ。」
「まさか、浣腸とか針刺すとかじゃないよね?」
「入院中の中学生が薬をゴミ箱に捨てたり、検査すっぽかして屋上に逃亡したり、外来でも注射嫌がって大暴れする子供にはビシッとおしおきするし、廊下を走り回って他の人に迷惑かける2才児にもきっちりと反省させなきゃいけないからな。」
「それってみんな子供じゃん。」
「オレに言わせれば、菜摘がやってることもガキと同レベルってことだ。」
菜摘はシュンとして、
「・・・悠ちゃんがするおしおきって?」
不安そうに尋ねた。
つづく