1.悠一の魂胆
約3週間の春休み。去年や一昨年の春休みとは違って、今年は部活がない。何も予定がないというのは、海にとって退屈で物足りなくてつまらない毎日だった。逆に空はそんな日々をウキウキした気分で迎えた。
海は『やることリスト』を作って、自分の部屋の壁に貼りつけた。
・高校の宿題
・部屋の模様替え
・買い物
・友達と遊ぶ
悠一が見ることを考えて、あとから
・家の手伝い
をつけ加えた。
・あの喫茶店にもう一度行く
という今一番実現したい項目は、紙には書かずに心の中に留めておいた。
もし空が『やることリスト』を作ったら、きっと
・ゲーム三昧
と書いていたに違いない。
悠一は後悔していた。春休みに入って10日間、空と海を超甘やかしてしまったことを。朝いつまでも寝かせておかず、毎日決まった時間に起こせばよかった。学校に行っているときのように、朝食は3人そろって食べればよかった。休みの間は家の仕事をもっと割り当てておけばよかった。帰宅時間いわゆる門限を決めておけばよかった。睡眠時間や食生活などの生活習慣を見直し、体調管理を徹底して健康的で規則正しい生活を送らせればよかった。
中学という一過程を終了し、保護者代行の身として無事責任を果たすことができたという安堵から、悠一自身気が緩んでしまったのも無理はないのかもしれない。
義務教育である中学を卒業し、じき高校生になるのだから、いつまでもおんぶにだっこじゃいけないという思いから、春休み中はある程度自己責任で生活してほしかった。しかしそれは悠一個人の願いであって、言葉に出して伝えたわけではない。2人にとってはたかが数日経過しただけで、急に自立なんてできるはずはないし、監視の目が緩めば羽目を外してしまうのも仕方ないことだろう。
春休み11日目の夜ごはんの最中に、改まった感じで悠一は2人に告げた。
「食べ終わったら話がある。」
それまで普通に会話をしていて、いつもと変わらぬ様子で食卓を囲んでいたのに、悠一の口調が急変したので、空も海も背筋がゾッとするのを感じた。
“これはただごとではない・・・”
「お兄ちゃん、どうしたの?大事な話?」
海が悠一の機嫌を伺うように聞くと、
「ああ。」
とだけ答え、
「何?」
という追加の質問には一切耳を貸さず、その内容についてはお預けとなった。
まだ食事は残っていたが海は箸を置き、不安げな表情で首をかしげ、素知らぬ顔で食べている悠一に目をやった。今ここで謝って許されることなら、わざわざ食後のテレビタイムを奪われずに済むのに・・・。一方で空は顔色一つ変えずに、黙々と食事を続けた。“面倒くせーなー”という心の声は伏せておき、予定していたゲーム実況に支障が出ないことを願った。
食事を終え海が食器を洗っている間、悠一は空に画用紙とマジックペンを持って来させた。“まさかペンリスト?”星だったらそう思うかもしれないが、空も海もそんな物の存在は知らないし、蓮ケ谷家ではあえてそんな取り決めをしなくても、悠一の怒り具合いによっていつでもお尻に平手が飛んでくることは読者のみなさん周知のこと。
再びテーブルに3人が集まった。空も海もいったい何を叱られるのか、ここ数日の自分自身の行動を振り返った。2人とも身に覚えのあることがあまりにも多すぎて、大きなカミナリが落ちるのを覚悟せざるを得なかった。
ところが、悠一の発した言葉はやんわりとしたものだった。
「実は2人にお願いしたいことがあるんだ。」
「えっ?何?」
海は悠一が怒っていないことが分かると、急に明るい声で聞き返した。
「明日から学校が始まるまでの間、2人に食事係をしてほしい。」
「えーーー、無理だよー。」
即座に拒否したのはもちろん海だった。
海は焼きそばの作り方さえままならないほどの料理オンチ・・・前にそんなこともあったなぁと思い出されている方、あれ以来料理の腕前はまったく成長しておりません。というよりますます料理から遠ざかり、今では「レストランのシェフと結婚するから」と自分は食べるの専門という考えに達してしまったようで・・・。
「何で?海、お兄ちゃんのおいしいごはんがいいよー。」
「オレも。」
空は味うんぬんよりもただ単に料理するのが面倒くさかったので、海の意見に同意した。
「これから年度末で仕事が忙しくなって余裕がなくなりそうだから、2人に協力してもらえると助かるんだよな。」
悠一の困った表情を見てしまうと、海はそれ以上拒むこともできず、
「でも私、料理できないもん・・・。」
口ごもる海に向かって、
「ちょうどいい機会だろ。いつまでもできないできないって逃げてても上達するわけじゃないし、春休みで時間はたっぷりあるんだから挑戦してみるのもいいんじゃないか?」
「・・・うん。でもまずくて食べれないかも。」
「まあそのときはそのときで。」
「食事の用意って夜だけ?」
空が尋ねると、
「いや、朝も。」
それを聞いて空は悠一の魂胆を理解した。
「その画用紙に分担表を作って、目につくところに貼っといてくれ。」
「空と一緒にやっちゃダメなの?」
「まあそれは自由だが、空と一緒じゃ全部空が作ることになりそうだよな。」
「そんなことないと思うけど・・・。」
海は自信なさそうに答えた。
「朝食は7:30だから、間に合うように自分で目覚ましかけて起きてくれ。お金は封筒に入れておくから、買い物したらレシート取っておくように。」
「買い物もするのか・・・。」
空がため息まじりにつぶやくと、
「2人とも明日からやることができて、忙しくなりそうだな。」
“高校入学前のせっかくの春休みなのに・・・”
この10日間やりたい放題自由気ままな毎日を送っていただけに、これから先の2週間が思いやられた。
「オレ先に風呂入ってくるから、2人で相談してその表完成させといてくれ。」
悠一は思いどおりに事が運び、満足そうに洗面所へ向かった。
「ねえ空、大変なことになっちゃったね。お兄ちゃんそんなに仕事忙しくなるのかな?協力してあげたいけど、私料理なんてできないよ。でも空と一緒なら大丈夫だよね。」
「一緒じゃなくて1人1人にしようぜ。」
「えー、何で?さっきお兄ちゃんがあんな風に言ったから?私もちゃんと頑張るから、お願い一緒にやってー。」
「絶対に海は何もやらないでオレが全部作ることになるし、おまえと一緒にやるよりオレ1人の方が効率よくできる。それに当番じゃない日は自由にできるんだから、1人ずつの方が断然いいだろ?」
空の決めつけるような言い方に海はムッとしたが、『自由』と言われて、その魅力には逆らえなかった。毎日朝も夜も食事の用意をするなんて、そんな非日常的な労働に数日いや1日で嫌気がさすのは目に見えていた。2人で交代という設定なら、今までのように何もしなくていい日が半分はあるのだから。
「分からないことがあったら手伝うから。」
という空の言葉を信じて、海は
「うん、分かった。」
とうなずいた。明日からの割り当てを表にまとめ、14日間のスケジュールが完成した。
「なあ海、本当に兄ちゃんの仕事が大変だからって思ってるのか?」
「えっ、違うの?今までも毎年3月って病院バタバタしてて忙しいって言ってなかったっけ?」
「確かに異動とかあって送別会で遅かったり、泊まりで帰って来ないことも多かったよな。」
「うん。」
「でも今回食事の用意を頼んできたのは、絶対にオレたちに罰を与えたんだ。」
「罰?」
「春休みに入ってずっとだらだらした生活をしてたから、兄ちゃん頭にきて家事を押しつけたんだろ。」
「空がゲームばっかりやらないようにってこと?」
「海が遅くまで出歩いているのを防止するようにだろ。」
「・・・そうか、そういうことだったのか。すごく困ってる感じに言うから、本当に大変なのかと思ったのに。」
「考えてみろよ。兄ちゃん今までだって手際よくパッパッと料理作って、オレたちにはグチったり頼ったりしなかっただろ。それが急にこんなこと言ってくるなんて、絶対に怪しいじゃんか。」
「なあんだ。じゃあ嫌って言えばよかったね。」
「でも断る雰囲気じゃなかったよな。それに嫌だって言えばきっと、おまえたちがだらしない生活してるからだって説教が始まってたと思うし。」
「あーもうっ!どっちにしてもお兄ちゃんの思う壺じゃんね。」
「2週間だけって割り切ってやるしかないな。」
「そうだよね。もうやるって言っちゃったもんね。でももしさぼったり、朝起きれなかったりしたら、そのときは怒られちゃうってことでしょ?」
「もちろんそうだろ。一度決めたことを守れなかったら、完全におしおき対象ってことだよな。」
「あーもう、先が思いやられる。」
「オレも絶対朝起きれねー。」
最近の空は朝方までオンラインゲームをしていて、外が明るくなり始めるころ布団にもぐりこみ、昼すぎまで寝ているという不規則極まりない日々を送っていた。朝7:00起床に切り替えるには、その誤差を修正しなければならない。2人で頭を抱えているところに、悠一がお風呂から上がって戻って来た。2人の会話はリビングの外まで聞こえていたが知らん顔をして、
「決まったか?」
と分担表を手に取った。
「明日の朝は海だな。冷蔵庫に卵とか野菜とか入ってるから、よろしくな。」
「うん。ねぇお兄ちゃん、お願いがあるんだけど。」
「何だ?」
「明日の朝7:00に起こして~。」
甘えた声で言ってみたが、あっさりと却下された。
「よし、明日から全員そろって7:30に朝飯な。」
“そうだよな。結局そういうことだよな。当番でも当番じゃなくても、どっちみち早起きしろ!ってことだよな・・・”
空は今夜も予定していたオンラインゲームに、いくらかためらいを感じた。
“今さら断れないし、やり始めたら朝まで抜けれないんだよな・・・”
そして空が出した結論は、
“徹夜して朝ごはんを普通に食べて、兄ちゃんが仕事に出かけてから寝れば万事OK!ゲームを我慢しなくていいし、朝寝坊する心配もないし、睡眠時間もたっぷりと確保できるし。”
我ながらいい考えだと自分を称えた。
2人が2階に上がっていくのをニヤニヤと眺めながら、悠一はソファに座って風呂上がりのビールを飲んだ。いつものパターンならガツンと叱りつけて、お尻を叩いて反省させたのだろうが、今回はやり方を変えてみた。『叱らずして生活態度を改めさせる』悠一としては珍しく冷静な対応だろう。早寝早起きで規則正しい生活ができるし、家の手伝いもできる。海に料理をする場を提供して経験値を上げさせる。与えられた仕事に対する責任感を持たせる。
今回のミッションが達成できれば一石二鳥のみならず、多くの利点が見込まれるはず。悠一は2人が早々にギブアップしないこと、そしてこの2週間おしおきをせずに乗り切ってくれることを願った。
つづく