1.やめられない
「おまえなあ、無理したらかえって悪化するんだぞ。そのくらいのこと分かるよな?」
「はい・・・。でも、もうすぐ試合だし・・・。」
「オレはケガしてたり体調が悪いヤツは、絶対に試合には使わない。分かってんだろ?さっさと着替えて、恒の所に行って来い。」
「でも・・・。」
「往生際が悪いな。グズグズしてると、ここでケツ出してひっぱたくぞ!」
「キャー、行きます!すみません。さようなら。」
海は慌ててたかやんの前から離れて、まだ30分しか経っていないのに部活を終了した。
“あーあ、2週間後に試合なのに・・・。ちゃんと練習しないと、みんなから遅れをとっちゃうし、レギュラー奪われちゃうよー。”
しょんぼりと歩いていると、あっという間に久藤整形外科の前に着いてしまった。
“恒先生、またサラッときついこと言うんだろうな・・・。あれ、結構落ち込むんだよね・・・。”
気を奮い立たせ、入り口のドアを開けた。受付に診察券を出すと、奥の方から恒の声が聞こえてきた。
「海ちゃん、こんな時間にどうしたの?部活は?」
「あー、はい、ちょっと・・・。」
前の人の診察がちょうど終わったところで、すぐに診察室に呼ばれた。
「こんにちは。」
「こんにちは。海ちゃん、今日はどうした?」
「右の肩を痛めちゃったみたいで。部活やってたら、藤重先生に病院行って来いって言われて。」
「部活中に痛くなったの?」
「えーと・・・、朝起きたときから痛くって・・・。」
少しの間があって、どんよりした空気を感じた。
「ふーん、じゃあ朝から痛かったのに、部活やっちゃったんだ。」
「・・・。」
「それでどうなの?朝よりよくなってるの?悪くなってるの?」
怒られてる感が半端ない。
「あとの方・・・。」
海が小さな声で答えると、目をキッと見つめられて、
「でしょ?痛いのに無理して動かしたら余計に悪くなる、って常識だと思うけど。」
「・・・。」
返す言葉もなく、悲しくなってうつむいた。
恒の大きな手でほっぺを挟まれ、クイッと顔をもち上げて目線を合わせられた。
「海ちゃん、それはね、スポーツ選手として一番やってはいけないことだ。」
真剣な表情で、キッパリと言われた。ほっぺを挟まれたまま、目をそらすこともできず、「めっ」とにらみつけられた状態で停止した。まるで、小さい子がお父さんから「おいたしたら、めっだよ!」って怒られているみたいで、気恥ずかしく感じた。
“恒先生、怖い顔してる・・・。そうだよね、恒先生って、自分の体を大事にしないと、すごく怒るんだよね。それはもう今までの経験から充分に分かっているはずなのに、また同じことをしちゃった。”
「ごめんなさい。」
自然と口から言葉が出ると、恒の手がスーッと海の顔から離れた。
「はい、じゃあ診察させてね。」
肩を触ったり、動かしたりしながら、いろいろと問診された。
「少し腫れて熱を持っているから、おそらく使い過ぎで炎症を起こしている状態だね。ということで、痛みが治まって先生がOK出すまで、部活は休むこと。いいね?」
「えっ・・・。」
「明日も診せに来て。」
「・・・はい。」
「前のときみたいに、先生にうそをついて練習したり、遊びに夢中で診察に来なかったら、即おしおきだからな。」
少しきつい口調で言われて、海は口を尖らせていじけて見せた。
「先生、どのくらいで治るかな?」
「そうだな、まあ2~3日安静にしていれば大丈夫だろう。安静にしてれば、の話だけどなぁ。」
「先生にお尻叩かれないように、おとなしくしてる。」
「ハハハ。いつでもペンペンしてあげるよ。海ちゃんのかわいいお尻。」
「キャー、恒先生のエッチ!」
病院からの帰り道、モヤモヤした気分に襲われた。
“3日も部活やらないと、太るんだろうな・・・。”
太りやすい体質を恨む。156㎝、53㎏、ちょっとポッチャリ。デブではないと思うけど、痩せてはいない。体型のことはやっぱり気になる。いつでも痩せたいってことばかり考えているし、友達の間でもダイエットの話は後を絶たない。
そう言いつつ、海の足は家ではなく、近くのコンビニに向かっていた。時計を見るとpm5:30。悠一も空も帰って来るのはpm7:00過ぎだから、1時間以上1人でのんびりできる。気づくとお菓子やら菓子パンやらジュースやら、カゴいっぱいに詰め込んでレジに並んでいた。
家に帰って、そのままソファに寝そべると、ペロッとポテチを1袋たいらげ、クッキー、プリン、クリームパン、おだんご・・・買ったものを次々と口の中に運んでいった。
「あー、おいしかった。満足だぁ~。」
と思ったのも束の間、テーブルの上の空になった袋や箱を見ていると、その満足感が次第に後悔の思いに変わっていった。
“私、何てことをしたんだろう・・・。こんなにたくさん、一気に食べちゃった。信じられないくらいすごい量・・・。これが全部私の体の中に入っちゃったんだよね・・・。これって絶対に太るじゃん。どうしよう・・・。今日なんて部活はほとんどやってないし、安静にするように言われたから、運動もできないし・・・。本当どうしたらいい?”
夢中で食べているときには、なかなか感じなかった満腹感が、今ごろになって海の体と心に重くのしかかってきた。それと同時に『太る太る太る』という文字が頭の中でひしめき合い、後悔の念でいっぱいになった。
そのとき、ふと以前テレビの特番で放送していた映像を思い出した。
“吐く?吐けばいい?今食べた物を全部吐き出せば、太らなくて済むよね?”
トイレに入り、便器に顔を近づけて吐こうとしたけれど、何も吐けない。確か指を入れて吐いていた気がする。怖々、喉の奥の方まで指を入れて、グイッと舌を押してみた。
「うぇー。」
“うっ、気持ち悪い・・・。”
食べた物が全部出るまで吐き続け、取りあえず胃の中はスッキリした。
“でも、こんなことしていいの?いいはずがない・・・。食べ物を粗末にしてるってことだよね・・・。あんなに大量に食べなければよかった。”
ものすごい罪悪感に見舞われた。当分、何も口に入れる気にならない。
30分ほどして悠一と空が帰って来た。肩が痛くて病院に行ったこと、2~3日部活を休むように言われたことを悠一に報告した。少しして夜ごはんになったが、
「お兄ちゃん、今日お菓子食べちゃったから、お腹空いてなくて・・・。ごめんね、後で食べるね。」
「まあ部活もやってないし、しょうがないか。明日からは気をつけろよ。」
「うん。」
ところが、寝る前になってお腹がグーグー鳴り出した。
“もう夜遅いのに・・・。こんな時間に食べたら絶対にヤバイって。”
そう思いつつ、空腹には耐えきれず、悠一が残しておいてくれた夜ごはんを食べ始めた。腹8分目にしておけばよかったのに、おいしくて、満腹を超えるぐらいたくさん食べてしまった。そしてまたもや深く後悔し、そのままトイレに駆け込んだ。今度はすぐに吐くことができた。
“私、何やってるんだろう・・・。こんなこと、絶対にしちゃいけないって分かってるのに・・・。今日だけ、もうこれっきり、明日からはちゃんとしよう!”
心に誓って眠りについた。
次の日、恒との約束をきちんと守って、部活は休み、学校帰りに病院に行った。まだ肩の痛みは治らず、湿布を貼り替えてもらった。
「海ちゃん、部活できなくてストレス溜まってない?」
恒に聞かれ、
「うん、そうでもないかな。」
笑顔で明るく返事をした。
「まだ痛みがあるから、明日も部活は休んで診察に来るんだよ。」
部活を休むのがそれほど嫌でなくなっている自分に少し驚いたが、深く考えるのはやめておいた。
今日もまたコンビニで大量に食べ物を買い込んで、家に帰った。始めのうちは、“少しだけ”と自分自身に言い聞かせて食べていたのに、食欲が止まらなくなり、どんどんと口の中に放り込み、昨日と同様、全部食べてしまった。食べ終わると同時にトイレにこもった。
“あー、またやっちゃった・・・。昨日寝る前に、もうやらないって決心したのに。買って、食べて、吐いての繰り返し。ダメだよね、こんなことしてちゃ。頭の中では分かっているのに、やめられなくなってる・・・。”
夜ごはんの時間。今日は食べないと怒られると思い、無理して完食し、悠一がお風呂に入っている間に2階のトイレで全部吐いた。階段を下りて来る海に向かって、空が声をかけた。
「海、大丈夫?具合い悪いのか?」
一瞬ギクッとしたが、
「うん、ちょっと食べ過ぎちゃった。」
と言ってごまかした。
翌日、病院に行くと、恒は「うーん・・・。」と腕を組んで考え込んでしまった。
「先生、もう肩、痛くないし、だいぶいいみたいだけど。」
「そうだね。肩は大丈夫そうだね。明日から部活再開していいけど、あまり無理はしないように。」
「はぁい。ありがとうございました。」
「あっ、海ちゃん、ちょっとカルテの更新をしたいから、身長と体重測っていって。」
「えっ、体重やだ。」
「どうして?」
「太ってるから恥ずかしい・・・。」
「海ちゃん、全然太ってないよ。」
「えー、太ってるよ。顔も真ん丸だし、足は太いし・・・。」
「ポッチャリしてた方がかわいいよ。ほっぺだってプクプクしてた方が、突っついたときに気持ちいいし。」
「先生、全然フォローになってないよ・・・。ポッチャリもプクプクも嫌だもん・・・。」
「川野さん、海ちゃんの測定お願いします。」
「海ちゃん、終わったらもう一度ここに来てね。」
「先生、お願い。海の体重見ないで。」
「ああ、分かった分かった。」
海が診察室に戻ると、カルテに測定結果の紙が貼られていて、恒が目を通していた。
「見ないで、って言ったのに・・・。」
「海ちゃん、このグラフ見てごらん。身長が156㎝、体重53㎏だから、ほら、標準体重だって分かる?」
“恒先生の意地悪。体重、声出して読み上げないで!”
医者と患者と看護師しかいない空間で、それほど気にしなくてもいいものを。思春期の女の子の体重に対する過剰な意識は、計り知れないものなのだろう・・・。
「ところで海ちゃん、今日はこれから用事あるの?」
「ないけど、宿題いっぱい出てるから勉強する。」
「家で1人でいると淋しいでしょ?医局空いてるから、ここで勉強して行けば?分からないところがあれば教えてあげるよ。」
「えっ、でも大丈夫。家でやります。」
「そうか・・・。大丈夫だよね?何かあったら、先生に相談するんだよ。悠一に言ったら怒られるようなことでも、先生なら優しく怒ってあげるからね。」
“それって結局、どっちみち怒られるってことだよね?”
恒にお礼を言って、病院を出た。歩きながら、
“恒先生、何か変だった。先生の考えてることが、よく分からない。私のこと心配してくれてる?部活できなくて落ち込んでると思って、優しく接してくれてる?まさか、まさか、吐いてることがバレてる訳じゃないよね?私、何もボロ出してないと思うけど・・・。恒先生がエスパーじゃない限り、絶対に分からないはず。大丈夫!”
胸に手を当てて、気持ちを落ち着かせようとしたが無理だった。不安になればなるほど、何かを口に入れたくなる。山積みにされた食べ物を目の前にすると、なぜか安心する。吐くこともだんだんと慣れてきた、というか一連の作業のようになっていて、徐々に罪悪感も薄れてきた。夕方と夜の2回、食べるとすぐに吐いた。
その夜、空が悠一に、
「兄ちゃん、海、昨日からトイレでゲーゲーやってるけど、大丈夫かな?」
「ん?あいつ、体調悪いのか?」
悠一は海の部屋のドアをノックして中に入ると、ベッドに横になっている海の顔色をチェックした。
「おまえ、具合い悪いのか?空が吐いてたって言うから。」
「ううん。大丈夫だよ。ちょっと気持ちが悪かったけど、もう治ったから。」
「何か変な物でも食べたか?食べ過ぎてる感じはないもんな。」
『食べ過ぎ』という言葉に少し動揺したが、平静を装って、もう一度
「大丈夫。」
と答えた。
「薬、飲むか?」
「ちょっと様子見て、ダメなら飲んどく。」
「分かった。何かあったらちゃんと言うんだぞ。」
「うん。」
悠一がリビングに下りると、すぐに恒から電話がかかってきた。
「海ちゃんのことだけど、何だか少し気になって。」
「ん?肩のことか?」
「いや、肩はもう大丈夫。明日から部活もOKだ。」
「じゃあ何が気になるんだ?」
「うーん、実は・・・、指に吐きだこがあったんだよな。右手の中指。何か変わったことなかったか?」
「えっ?昨日、今日って吐いてたって、ついさっき空に聞いて、海に確かめたら気持ちが悪かっただけだって言われて。」
「昨日診察に来たときも、少し赤くなってるなとは思ったんだけど、確信が持てなくて。でも今日はかなり目立っていて、1日であれだけ変化があるってことは、ずいぶん吐いてるんじゃないか?」
「まじかよ・・・。海、前にも何度かダイエットしたことがあって、それがまた極端なやり方で・・・。水分しか飲まないとか、サウナスーツ着て風呂にこもるとか、常識では考えられないようなとんでもないことばかりやってるから、前に1度かなりきつく叱りつけたんだよな・・・。それがトラウマになってるようで、オレの前では痩せたいって話は一切しなくなった。」
「今日、海ちゃんと話をしたら、自分のこと太ってるってコンプレックスを持ってるようで、結構気にしてたからな・・・。部活ができないストレスもあって、食べて吐くことで逃げ場を作ってしまったんだろう。常習化するから早めに何とかしてあげないと、本人は相当辛いはずだからな。」
「そうだよな。恒、教えてくれてありがとな。オレなんて一緒に暮らしていながら、まったく気づかなかった。さすがだな、恒は。まったくあいつは、何を考えてるんだか・・・。本当にバカだよな・・・。」
「悠一、海ちゃんにとってはすごくデリケートな問題だから、慎重にな。いつもみたいにカーッとなってひっぱたいたり、怒鳴りつけたりするなよ。」
「ああ、分かってる。摂食障害の患者さん、何件も診てきてるからな。」
「でもおまえ、医者としてじゃなくて、どうしても保護者の目線になるからな。落ち着いて、冷静に対処するんだぞ。」
少し間があって、
「そうだ恒、明日の夜うちに来て、めし一緒に食べてってくれよ。そのとき折を見て、海と話をしてくれないか?頼む。やっぱりオレ、海を説得する自信ないし、怒らない自信もないや。土曜だし、いいだろ?」
「そうだな。この件は2人で協力した方がよさそうだな。現場を押さえられるかもしれないし。まあそれは、ちょっと海ちゃんかわいそうだから、できれば避けたいけどな。」
「よし、じゃあ明日は恒の好きな物を作って待ってるから、よろしくな。」
悠一が嬉しそうに言うと、
「週末デートか・・・。これじゃあまるでオレたち、怪しい関係の2人みたいだな・・・。」
「今さら何言ってんだよ。オレと恒の仲だろ。」
その夜、悠一も恒もベッドの中で、明日どうやって海に対応すべきか頭を悩ませた。当事者の海もまた、自分の行動を悔やみ、“このままじゃいけない!”と反省し、どうしたら解決できるのか思いを巡らせた。
つづく