2.このままじゃダメ!
「海ちゃん、肩の調子はどう?」
「肩、もう大丈夫だよ。」
「部活やって、痛くならなかった?」
「うん。」
「ちょっと診せてね。」
海の右手を持って、肩を上げたり、下げたりした。そのとき、サッと手の甲の吐きだこもチェックした。
「海ちゃん、最近何か悩んでることや困ってることがあったら、先生、話を聞いてあげるよ。」
「何もないよー。」
遠回しに聞いたところで自分から打ち明けるはずもなく、もう少しストレートに聞いてみた。
「この赤くなっている所はどうしたの?」
海の手をとって尋ねた。
「これは、学校の廊下で壁の出っ張っている所にぶつけちゃったの。」
何のためらいもなく答える様子を見て、恒は“これもダメか・・・”と思いつつ話を続けた。
「いつ?」
「えっと、3日ぐらい前かな?」
「そうなんだ。痛そうだけど、大丈夫?」
「うん。全然痛くないよ。」
“はっきりと「吐いてる?」と聞いてしまいたくなったが、それをすんなり認める雰囲気は毛頭ない。どうしたものか・・・。やっぱり現場を押さえるのが手っ取り早いのか?”
「海ちゃん、先生いつでも相談に乗るからね。何かあったら我慢しないで、頼って来るんだよ。」
「ありがとう、先生。でも海、何も悩んでないから、心配しなくて大丈夫だよ。」
恒はいったんリビングに下りた。
“恒先生、知ってるのかな?もしかしてお兄ちゃんに頼まれて、今日うちに来たのかな?でも、お兄ちゃんも気づいてないと思うんだけど。3日間、こんな乱れた生活を送っていて、自分でもそろそろやめないと、心も体もボロボロになっちゃうって思うけど、どうしてもやめられなくて・・・。
お兄ちゃんに言ったら、絶対に怒られる。食べ物を粗末にするな、自分の体を大事にしろって、おしおきされると思う。恒先生なら、怒らないで話を聞いてくれるかな?でも恒先生だって、自分を傷つけるようなことをすると、すごく怒るはずだよね。結局あの2人に本当のことを話したら、怒られて、お尻叩かれて、いっぱい泣かされて・・・。
でもでも、そうすればきっぱりとやめられるかもしれない。うんと厳しくおしおきされれば、もう二度と吐かないって心に誓うことができて、この最悪の状況から抜け出せるのかな?私の意志がもっと強くて、自分で決心できれば何の問題もないんだけど、1人で解決する自信がない。
このままじゃダメ!ちゃんとしなきゃ!元に戻らなきゃ!
前にテレビでやってた。過食症って、病気だって。放っておくと、最後には何も食べられなくなってしまう。食べ物を見ただけで吐き気がして、食べることが悪いことって体が拒否反応を起こし、ガリガリに痩せていく。ずっとこんなことを続けていたら、取り返しがつかない状況になるかもしれない。そんなの嫌だ!
せっかく恒先生が心配して手を差し伸べてくれてるんだから、おしおきされるのはすごく怖いけど、2人にちゃんと話して、今日でキッパリと吐くのをやめよう。”
海は自分の気持ちを整理して、結論を出した。ベッドから立ち上がると、自分のお尻に
「ごめんね。我慢してね。」
と言い聞かせ、ポンポンと軽く叩いて部屋を出た。
悠一と恒は頭を抱えて考え込んでいる。いつもなら、お酒を飲んで楽しく語り合っている頃なのに。
「海、どうした?」
階段を下りて来る海に気づいて、悠一が尋ねた。
「あのね、聞いてほしいことがあるの。」
悠一と恒は顔を見合わせた。
「海、すごく悪いことしてて・・・。4日前に部活を早退して、恒先生の所に行った日からずっと・・・。」
海は続きを話す勇気が出せず、下を向いて黙り込んでしまった。
「海、ちゃんと言ってみろ。」
「お兄ちゃんも恒先生もすごく怒ると思う・・・。」
「海ちゃん、それでも話さないといけないと思って、下りて来たんだよね?悠一も先生も、海ちゃんのこと、すごく心配してるんだよ。話してくれたら力になれると思うから、勇気を出して言ってごらん。」
恒に諭されて、
「うん・・・。最初の日は、コンビニでたくさんお菓子とかパンとかを買って来て、それを一気に食べたの。全部食べ終わって、こんなに食べちゃったってすごく後悔して、トイレで全部吐いてしまって・・・。次の日もその次の日も、ずっと同じことを繰り返してた。
こんなことしてちゃいけないって、分かってるはずなのに。もう海、どうしていいのか分からなくなっちゃって・・・。さっき恒先生が部屋に来てくれたとき、本当は「ごめんなさい」って言いたかったのに、こんなこと話したら嫌われちゃうと思ったら言えなくて・・・。お兄ちゃん、ごめんなさい。恒先生、ごめんなさい。」
海は涙を流しながら2人に謝った。悠一は大きくため息をつくと、海を抱き寄せ、頭をポンポンと叩いた。
「海、よく言えたな。ひっぱたいて、何バカなことやってんだって怒鳴り飛ばしたいところだが、そんな単純なことじゃないんだよな。」
海をイスに座らせて、悠一は患者さんに接するように優しく話をした。
「海のやってることは『過食症』って言って、病気の1つなんだよ。きっかけは何だったんだ?どうしてそんなにたくさんお菓子を買って来て食べたんだ?」
「部活を休んだら、何だか解放された気がして、自由な時間で好きなことをしよう、好きなものをいっぱい食べようって思ったの。」
「それでどうして吐いたんだ?」
「部活できなくて運動しないのに、こんなにカロリーとったら太っちゃう、今すぐ吐かなきゃって。」
テーブルを挟んで向かい合って座っていた恒が、真っすぐに海の目を見て言った。
「どうしたら解決できると思う?」
「もうやらないって何回も思ったのに、どうしても無理だったの・・・。だけど、厳しいおしおきを受ければ、やめられると思うから。」
海はさっき部屋で決意した思いを2人に伝えた。
「そうなの?おしおきすれば、本当にやめられる?いくらお尻を叩いたところで、海ちゃんみたいに自分の気持ちが安定しない子は、きっとまた同じことを繰り返すと思うよ。海ちゃんは何をやっても、まわりの人たちが助けてくれて、結局は許してもらえるって思ってるよね?そんな甘ったれた考えをしているうちは、絶対にやめられないと思うけど。」
“恒、海のこと挑発してるぞ。海の内面の弱さを、全部表に引っ張り出そうとしているんだろう。”
悠一は2人を見守った。
「そんなことないもん。」
「自分で努力して頑張るから見守っててとか、またやりそうになったら引き止めてとか、そう言うのならともかく、『おしおき』にすべての責任を押し付けるのはどうかと思うけどな。」
「だって、何回もやめようと思ったけど、できなかったんだってば!」
海がイライラして言い寄ると、
「そんなに意志が弱い子は、いくらお尻を叩いたところで無駄なことだって言ってるんだ。」
恒はビシッと言い返した。
「恒先生さっきまでは優しくて、何でも相談に乗るよって言ってくれてたのに。海それを信じて頑張って話したのに、訳わかんない!」
「ほら、またすぐそうやって人のせいにするだろ。」
「もういい。先生なんて嫌い!」
「ああ。オレもそういう態度しかとれないバカな子は大嫌いだ。」
恒が突き放すように言うと、海はプイッと顔をそらした。
「海ちゃん、そうやってすぐにふてくされるのはよくないんじゃないか?」
「恒先生、海のこと全部怒ってる。もうどうでもいい。このまま何も変わらなくていい。もう放っといて。」
恒はサッと立ち上がると海の所へ行き、海の腕を引っ張ってイスから引きずり下ろした。
「悠一、このわがままなお嬢さん、どうやってこらしめようか?いくらお尻におしおきをしても、効果がない気がするんだよな。オレも悠一も今まで何回も尻叩いてるよな?」
海はすごく嫌な予感がして、ブルッと身体が震えた。
「今日は大人が2人いるから、できるんじゃないか?」
恒が意味深なことを口にした。
「先生、やだ、ごめんなさい、許して、もう絶対に吐かないから、ごめんなさい。」
海は恒の考えていることをすぐに理解して、必死に謝った。
「先生、吐いたことじゃなくて、海ちゃんの態度に怒ってるんだけどな。吐いたことに関しては、海ちゃん充分に反省していたから、もう大丈夫だなって安心したんだよ。でもその後がね・・・。」
悠一が引き出しを開けようとすると、
「お兄ちゃん、やだ、本当にやめて。もう絶対にしないから、ごめんなさい。」
泣きながら訴えた。
「海、オレはおまえと一緒で意志が弱いから、海に泣いて頼まれると、かわいそうになってやめちゃうんだけどな。でも、恒にはそんなこと通用しないからな。」
もう二度と見たくないと思っていた『お灸』の箱を取り出した。
「海ちゃん自分で言ってたよね?厳しくおしおきされれば、やめられると思うって。厳しくって、こういうことじゃないのか?」
海はすでに泣いてパニック状態寸前となっていたので、恒の言葉なんて頭に入ってこなかった。
恒が暴れる海を抱き寄せると、悠一は海のスカートをめくって、パンツをひざのところまで下ろした。海は必死にもがき抵抗したが、恒の手から逃れることはできなかった。部屋中に「やだあー!」と泣き叫ぶ声が響き渡った。
そこにタイミングよく、空がお風呂からあがって現れた。
「海、何したの?お灸するの?」
「ああ。」
悠一が答えると、
「何で怒られてるのか知らねーけど、デカイ大人が2人でそんなことしてたら、虐待だからな!海はお灸は絶対に無理なんだから、おしおきするなら、いつもよりたくさんケツ叩けばいいじゃんか。」
空の言葉を聞いて、悠一も恒も手を止め、口をポカーンと開けて驚いた。空は恒の元から海を引き離し、首に巻いていたタオルを渡した。海はヒックヒックとすすり泣きながら、タオルに顔をうずめた。
空の『虐待』という言葉に、悠一も恒も心が萎えてしまい、海はおしおきナシとなって部屋に戻った。お尻を叩かれるよりももっと怖い思いをして、精神的に充分過ぎるおしおきを受けたようだ。
リビングに残った2人、ドッと疲れが出たようで、しばらくの間お互いに黙り込んでいた。
「恒、取りあえず飲むか?」
日本酒を冷でグラスに注いで、
「恒、ありがとな。」
と言って手渡した。
「それにしても、空には参ったな。」
悠一が言うと、
「ああ。」
気の抜けた声で恒が答えた。
「いきなり虐待って言われたときには、ハッとしたよな。」
「まあ、おしおき自体とらえ方によっては、虐待ってことになるのかもしれないな。」
「あれだけ泣いて抵抗されたら、端から見たらそう思うよな・・・。オレの中の定義としては、おしおきには愛がある!ってことで、いつだって空や海に対しては愛情を持っておしおきしてるんだけどな。」
「いくら愛がこもっていたとしても、お灸は海ちゃんにとって、おしおきの域を超えちゃうんだろうな。オレ、反省した。本当はお灸なんて考えてもいなかったのに、海ちゃんの態度を見ていたら気持ちが高ぶって、ついつい意地悪したくなっちゃたんだよな・・・。」
「Sだもんな、仕方ないよな。それにしても、恒が後悔するなんて珍しいな。いつも信念を持って行動しているんだから、今回だって大丈夫だろ。海はあれくらい怖い思いをさせておかないと、効果ないからな。あいつケツ叩いたくらいじゃ、すぐに忘れちまうから。」
「海ちゃん、吐いたことはすごく反省してたな。あのままお尻叩いて終わりにしたら、今日のことがまるで印象に残らず、また同じことを繰り返しそうだったから・・・。オレがきついことを言ってインパクトを与え、オレに対して反感を持たせればそれが心に焼きついて、次は踏みとどまることができるだろうと思ったんだが・・・。」
「恒はそこまで深く考えてるんだもんな。さすがだよな。オレなんて海が素直に打ち明けてきただけで、よしよし、いい子だな。じゃ、ケツ叩いて、はい終わり。って気分だったもんな。」
「おまえはきっとそうだろうなって思ったから、オレがあえて嫌われ役を買って出たんだけどな。海ちゃんには嫌われちゃったよな・・・。オレ、言ってること支離滅裂だったし。」
「ハハハ、そうだよな。海も言ってたけど「何でも言ってごらん」って優しかった人が、あれだけドSなこと言い出すんだもんな。海きっと人間不信、いや恒不信に陥ってるぞ。」
「おまえ、これ以上オレを落ち込ませないでくれ。オレがしょげてるの見て、喜んでるだろ?」
「恒が後悔するとか、落ち込むとか、めったに見れない光景だからな。」
「それにしても空、かっこよかったな。いつの間にあんなに男らしくなったんだ?」
「恒が空のこと、いろいろと目にかけてくれてるお陰だ。」
「そうかあ。空~偉いぞ~。あーあ・・・海ちゃん、オレのこと嫌いになっちゃったかなあ?」
恒はテーブルに突っ伏して、頭を抱え込んだ。
「恒、もう酒まわってきたのか?オレ、海に風呂入るように言って来るから、まだ酔っ払うの待ってろよ。」
「ああ。」
悠一が階段を上り海の部屋に入ると、海は床に座り込んでボーっとしていた。
「海、風呂入っちゃえ。」
「何でお兄ちゃん、さっきまであんなに怖かったのに、今普通になれるの?海、そんな簡単に気持ちを切り替えることできないよ。」
「それはね、兄ちゃんが大人だからだよー。」
「・・・じゃあ恒先生も、もう怒ってないかな?」
「ん?恒か?風呂入る前に話してみれば。」
「でもさっきすごく怖かったし、嫌いって言っちゃったし・・・。」
「それはちゃんと『ごめんなさい』しないといけないな。」
「お尻、叩かれちゃうかな?」
「かもな。」
「・・・。」
「ほら、早く行って来い。」
海を立ち上がらせると、お尻をポーンと叩いた。
“何て言えばいいのかな?”
考えながら、1段ずつゆっくりと階段を下りた。恒の所に行くと、
「恒先生・・・さっきはごめんなさい。」
「海ちゃん・・・先生もすごく怖がらせちゃって、ごめんね。」
「先生、海のこと思って叱ってくれたのに、反抗的な態度をとってごめんなさい。海がお尻叩かれたぐらいだと、痛いのすぐに忘れちゃうから、冷たいことを言ったり、お灸しようとしたりして、しっかりと反省できるようにって・・・。」
「海ちゃん、先生の気持ち、分かってくれてたんだね。先生、厳し過ぎた。ごめんなぁ。」
悠一は階段を下りながら2人の和やかな様子を見て、ホッと胸をなでおろした。
「そうだ海、おしおきどうするか?厳しくケツ叩いてほしいんだろ?」
「えっ?お兄ちゃん、もう海、さっきのでうーんと反省できたから大丈夫だよ。」
「そうか?せっかくだから、恒先生が酔っ払う前にペンペンしてもらっとけ。」
「えー、いいってば。お兄ちゃんの意地悪!」
「海ちゃん、遠慮しないで、こっちにおいで。」
「恒先生まで変なこと言わないで。」
「ほら、おしおきは愛情表現だからな。」
「え?」
困っている海の体を引き寄せひざに乗せると、スカートの上からパン、パン、パンと3発叩いた。
こんな優しいおしおきは初めてで、海の心に気恥ずかしさが残った。
ひざから下ろされると、
「もう絶対に大丈夫!約束するね。いっぱい心配かけてごめんなさい。」
悠一と恒に、素直に今の気持ちを伝えた。
おわり