(過去記事1)で取り上げた数学者のブログ記事で印象に残ったこと.

 

科学オリンピック経験者について.

結局、その時持て囃されていた人たちの内アカデミアに残れたのはごく一部だと思います。
つまり、大して凄くはなかったということです。
でも当時は、そういう人たちと自分との見かけ上の「差」が凄まじいストレスでした。

 

 分かる.

 彼は数学オリンピックに出たかったが,参考書も高く出場できなかったし浪人も出来なかったので時間的余裕もなかった.大学へ入るとクラスに科学オリンピック経験のあるつわものが数人いて,彼らと競って優秀な成績をとらなければならなかった.

授業料免除・奨学金・数学科への進振りなどの理由で.

 

 しかしもて囃されていた彼ら科学オリンピック経験者のほとんどはアカデミアに残れていないのが現実だ.別の能力なのだ.

 

 たびたびマスコミで高校生で優秀な論文を書いたとか研究業績がでたとか記事になるが,ほとんどの場合それが彼らの人生の頂点で,その後は音沙汰が無いのがほとんどだ.

 

 開成高校,灘高校出身者でも,世間では凄いと思うが,それは他の学校に比べて優秀な人たちのいる割合が高いというだけにすぎない.大抵の開成高校生,灘高校生は,単に中学受験のアスリートというだけのことであって,大学に入り競技内容が変わればそれほどすごくないことが分かってくる.

 

 え?受験とかであれだけ何でも出来る人が,こんなことに気が付かないの?そんなことはよくあることだ.東大のスタッフを見てみると分かるが,みんな東大出身者ばかりというわけでもない.

 

 しかし若いときはそれが分からない.リアルで彼らに接していない一般の大人たちもそれが分からない.高校の教員も分かっていない.試験という競技の範囲内でしか分かっていないからだ.どの大学に受かったとかいうのが彼らの知れる程度であって,それ以降は分からない.

 平和な江戸時代に尊敬されていた弓とり名人は戦場では役に立たなかったのだ(過去記事4).

 ノーベル科学三賞受賞日本人22名のうち学部で東大卒は5人である.東大医学部卒はいない.

 

 例えば数学オリンピックメダリストはマスコミも報道するし,ネットで検索すれば実名が分かる.しかし彼らのほとんどはその後数学者として芳しい成果をあげてはいないのだ.

 

 科学オリンピック受賞の生徒が成人になって活躍できていないのは日本だけではない.米国含め世界的傾向なのだ.

 だから数学オリンピックに日本も出場させようと動いた時,飯高茂氏をはじめとする何人もの数学者は反対した.

 

 

 つまりは中学入試ですごかった,科学オリンピックですごかった,大学入試ですごかった,その程度のことは,成人して社会では関係ないのだ.単に国内カーストの形成のための箔付けにしかならない.

 特に数学や科学など実力で測ることができる分野程そうだ.

 

 数学のフィールズ賞だって症の存在に反対する人は多くいる.哲学と同じで,数学の業績の評価は歴史の試練を受けて熟成されていくものであって,わずかな期間でわずかな人数の会議で決めるものではないということだ.フィールズ賞は単なる奨励賞だという見方もあるが,奨励することでかえって失速させるという意見もある(過去記事3).

 

 将棋で言えば,1976年から2010年まで35回分の小学生将棋名人戦ベスト4に入った小学3・4年生は全部で15名だが,そのうちプロ棋士になったのは7名だ.半分もなれていない.

小学生将棋名人戦ベスト4に入った小学生35*4=140名のうちプロ棋士(女流含む)になったのは56名.

 藤井聡太は小4で大会に参加したが愛知県大会で敗退している.

 藤井聡太に最も年齢が近くて小4で大会ベスト4入りしたプロ棋士といえば

2004年小4で優勝した佐々木勇気(1994.8.5-)

2001年小4で準優勝の黒沢怜生(1992.3.7-)

2001年小4でベスト3の澤田真吾(1991.11.21-)

 

の3名だが,この3名は誰もタイトル戦出場経験が無い.

小学生将棋大会の将棋とプロの将棋とは対局時間は違うが競技としてはかなり近いもののはずだ.

それでさえ10歳時点では20歳時点の実力が予想できない.

 

 教育をするって面白いんだよ(過去記事2).アイドルやスポーツ選手や競馬で推し活するのと同じで.

 でもそれってやましい事だという自覚が必要だ.

 本人のためにも国力のためにもならない.

 いやね,識字率が低かった150年前に全国に小学校を設置するという国策は,鉄道や郵便や憲法や議会やなんかを作るのと同じで産業革命をおこすのに必須だったとは思う.

 小学校で識字率向上,計算力向上のために,模範となる上位学校・中学校が必要で,その模範として大学が必要であり,そこで教員養成もした.

 国内カースト形成の欲を利用して識字率を向上させ,地方や貧困家庭から才能を発掘した.

 しかし,今や識字率は充分に飽和した.

 

 子どもたちに有名中学受験成功体験とか,有名大学受験成功体験とか,そうやって国内カーストをつくることは弊害の方がむしろ大きい.

 賞を設立すると言っても,どうせ競技になるので,成人になってからの社会への貢献とは関係ない.

 

 将棋大会も公開模擬試験も意味はあると思う.田舎の逸材が自分の全国的な特性レベルを把握するため.ただしそれも程度問題だと思う.

 子供に成功体験を与えるのは良いが,そのルールが公正でないか意味のあるものでないと,賞を与えられなかった人たちにたいしての失敗体験とされてしまう.

 

 

 

(過去記事1)

 

 

(過去記事2)

 

 

(過去記事3)

 

 

(過去記事4)