(過去記事1)の続きになるけど

日本韓国の受験文化の話。


受験競争も度を過ぎればやはり有害。

例えば東大理3に受かる能力は

あくまで

英数国理社限定、日本限定の

試験能力

でしかない。

この能力を必要とする仕事なんてない。

せいぜい塾予備校業界だけ。

ある程度までは大学での勉強で必要であっても、そこまでやり切る必要はない。


理系脳の人は将棋強いことが多いだろうけど、

入試を将棋でやるなら、東大医学部のメンツは大きく変わるだろう。

でも将棋の能力は棋界以外では意味ない。

ルール覚えて楽しんだ経験くらいは雑談ネタになると思うが、医師になるために将棋大会で優勝を狙うとか馬鹿らしい。

これと同じことをしてるのが受験界。


 受験競争は結局は国内のレースにすぎず、世界的競争ではマイナスになる。だって医師になる卵たちが将棋でマウント取りあって時間潰して多様性失ってるので。


ノーベル生理学医学賞受賞した日本人は過去五人。

その中で東大医学部は1人もいない。

五人の中で東大卒は1人だけで理科2類。


受験熱の熱いシンガポールからノーベル賞は出ていない。


やはり受験熱熱い韓国人ノーベル賞は平和賞以外なし。


韓国人唯一のフィールズ賞受賞者は

2022年のホ ジュニ氏で

高校中退してるし大学も留年している。

実は数学者でこの例は珍しくなく、

2002年受賞のVoedvoskyは大学学部で授業に出ず退学処分(日本語wikiだと卒業となってるけど英語wikiやその元ネタのニューヨークタイムズの記事の方が正しい)

1966年受賞のSmaleも学部二、三年生はB,C、大学院でも平均成績Cで、学科長に退学させると脅されてから真剣に勉強するようになった。(これも日本語wikiでなく英語wikiにある)



上の記事によると、フィールズ賞をとった後、受賞者の生産性がライバルグループに比して落ちている、という研究論文が発表されているらしい。

上のサイトから見れるが53ページもあって私は眺めた程度なので真偽の程は分からないが、

生産性低下の半分は、賞に胡座をかくため、もう半分はしばしば受賞後専門分野を変えるため。

フィールズ賞はノーベル賞と違って40才以下数学者に限定している。


 東大医学部から優秀なものが出ないのは、一つはそれで胡座をかいてしまうため、もう一つは科学者としての成功は運が大きいため、あるいは普通の臨床医になるため、といったところか。

 単なるペーパー試験アスリートに別次元のものを期待してしまうのがそもそもの間違いと言える。だが、本来大学にとって試験アスリート的能力は、目的ではなく、社会貢献する人材がどうかを見極める手段でしかなかった。

 その手段と目的の不一致が問題となる。


 だから、中国のように塾産業は規制する必要がある。入試方法も。



(過去記事1)