私が受験産業に嫌悪感を感じる理由を考えてみた。

中高大受験
株式投資
性風俗産業

これらに共通するものを感じる。
大衆の欲望を煽ってビジネスしてるわけだ。
それらに煽られる気持ちもわからないではないが、堂々と恥ずかしげもなくやることでは無いし、ましてや子供の前でははしたない。

金払って自分の子供を高学歴カースト上層部に乗せてカースト下部を奴隷として使おう

他人から安く株買って高くなってから他人に売りつけて利鞘を稼ごう

金で若くて可愛い女の性を買おう

 全部個人的欲望なんだよね。

 で、それが長期的な幸福に繋がってるのか?
 社会の役に立っているのか?

 性風俗で出会った女って、あなたの子供を産んでくれるのか?
 高くなる前の株を安く売った他人、安くなる前の株を高く買った他人より、賢くて強運のあなたは儲かって当然なのか?
 バカを騙す詐欺師と本来的には変わらないのでは?たまたま日本の法律では禁じられてないが、イスラム圏の法律では株式投資は違法だ。

 受験にしたってそうで、子供本人が物心ついてから自由意志で勉強しだすなら良いが、小学校時代から親がブーストかけとくのはどうか?リスクも考慮してるのか?


 前も言ったけど、この手の人と私との議論では、おそらく10人とやりあって10年後に再開したら、8人の人には勝ってると思う。

 でも運の良い2人は、受験にしろ投資にしろ、結果を残して強気で来るんだよね。

 まあ生物の多様性としてはみんなが皆んな私と同じ考えでなくても良い。
 全員が知的である必要は無いのだ。(過去記事1)の後半で皆んなが知的であることの危険性を書いた。
論理的思考というのは結論を一つに収束させてしまい多様性が狭まり絶滅の危険があるという話だ。

 この手のたぐいでリスクをとって成功した例が佐藤ママか。自身と家族全員の実名を出してマスコミに出ている。

 高学歴高収入の夫と結婚して子供4人産んで専業主婦になってバイオリンやスイミングや公文など習い事させて小3-4から浜学園入れて、中学受験、難関中高一貫校、大学受験で東大理3へ全員入れて、ってかなり欲望の強いのゴッドマザーだ。
 夫は子供の成績表も見なかったらしい。同じような家庭で教育方針で揉めて離婚に至ったケースもあると思う。

 百歩譲ってその方針で来たとしても、私なら影で隠れてこそこそやるな。世間体的には、私は何もしてない、放任主義です、と嘯いて。
 例えて言うなら、
不安で生活に困って家族のために仕方なく窃盗を働きながらも、罪悪感はもって隠れてやる
窃盗犯の気持ちはわかるが、
生活に困ってもいないのに窃盗を働き、窃盗仲間に自慢して暮らす、
って窃盗犯には共感はできない、

 佐藤ママは末っ子が大学受験前から教育評論家としてマスコミに出て売り出し、本も講演もやってる。

 私はその気持ちが分からない。多分本人にも自覚はなくて自身の欲望で動いているのではないか。

 賛否両論あるにしても佐藤ママ自身は、自分の子供らのためになると思って子育てしてきたわけなんだよね?その教育評論家活動って、自分の子供らのためになってる?

 上のサイトで子供全員の名前出てるから検索して見た。所属病院名も出てくるんだけど、Google検索のトップは所属病院名でなくて、佐藤ママの記事なんだよね。

 自分の名前を検索したら、自分の事より自分の母親の子育て論が上に来ちゃったら嫌だな。高学歴は自信をつけるためというが、親がマスコミで子育て論語ったら、その功績は親が子供から持っていってしまう。

 東大理3合格は功績でも偉業でも無い。それ自身は自分のためであって社会にとっては誰の役にも立っていないから。むしろ彼より将来貢献する人物から教育機会を奪ったのかもしれない。

 東大理3受かるまでに小3から数えて10年は勉強漬けだったはずだ。10代の10年は貴重だ。しかしその10年かけて装備した学力の殆どは、医師という仕事の上では役に立たない。
 長男は整形外科、次男は循環器が専門らしいが、おそらく微分積分も使わないし、メダカの孵化温度が25度である知識もいらないだろう。受験アスリートとして訓練した殆どは関係ないのだ。騎手として優勝した人が力士になるようなものか。

 これがさ、若い時に夫に先立たれて貧乏で残された子供4人と貧しくも楽しく暮らしながら、子供達が自分の自由意志で独学して医師などで活躍したというなら、好感度があるのよ。1989年に流行った一杯のかけそばみたいに。

 でも佐藤家って夫は弁護士だし裕福だよね。受験なんて全く親が興味なくても、東大理3現役合格まで行かなくてもそこそこの大学や医学部には受かったと思う。
 佐藤ママの親としての貢献はおそらく偏差値にして5程度
だと思う、しかもそれは中学受験であって、大学受験はもっと小さいはず。
 兄弟が皆東大理3受かってて親が喜んでいて、自分の学力もそれに届きそうなら東大理3目指すよね。で、結局全員医師になった。多様性は失われたわけだ。
 
 佐藤ママが受験に興味なかったら、子供らはもっと多様性のある生き方をしていた可能性がある。
 結果的にはその方が良かったかもしれない。

 まあ私がここで何を言おうと、佐藤ママは子育てに結果を残してると自信を崩さないだろう。
 しかし子育ての結果は大学受験では無い。
 孫、ひ孫がどうなっているかだ。
 佐藤ママは孫育てには責任はないというが、具体的な孫育てにかかわる責任は無いが、その孫、ひ孫の結果が子育ての結果だ。

 これは私自身にも言いたい。ここでカッコ良いこと言ってフォローワーがたくさんついても、それは私には関係ない。

 佐藤ママはいったい何をしたかったのか、そして今も何をしたいのかが私には分からない。子供のためといいつつ、自分のために行動してはいないだろうか。
 今の活動は、他人の欲望を掻き立ててビジネスになっているとは思う。でもそれって社会的に役に立っている活動だろうか?

 親の欲望を煽り立て、受験熱を煽り、少子化を勧めるだけではないだろうか?

 佐藤ママが、いや子供1人に労力をさきなさい、ではなく、
子供をたくさん産んで育てなさい

という主張をしていくのなら、少子化問題の叫ばれる今、意味があると思う。


(過去記事1)