私は学校や塾などの教育力を信じていない。
ちょっと教員らには気の毒な話だ。

親の子育て力もほとんど信じてない。親ができるのは、
子となるべく一緒の時間を共有する事
虐待など最悪の事態を避ける事
このくらいだ。

意図的に良い方向へ向けることはできない。(過去記事1)
親も教員も。

 で、今回は教員の話。

 公立の教員も私学の教員も塾の教員も古い。

 新しさ順にならべると、
 公立校>私立校>塾

こんな感じ。公立校は教員は公務員で政府の圧力がかかるので、新しい世間の考えが一番最初に届く。特別支援教育とか、合理的配慮とか。男女共学とか。学校の理念に賛同して集まった訳でないから、生徒も保護者も要求は強く出れるし、校長がダメなら教育委員会や行政にまで突き上げる事ができる。
私学は学校の理念に賛同した人が集まるという前提があるので、文句があるなら退学しろ、となる。ハズキルーペの新理事とか。
 塾は学校法人ですらない民間だから、なんでもできる。
 席順を成績順で決めるなんて、昔から公立学校でやってて世間的非難で辞めた事だ。塾ではそんな大昔のやり方を続けてる。西洋数学が入る前の江戸時代の和算(特殊算)を塾で教えていたり(過去記事2)。

 で、近代学校というのは、150年くらい歴史があって、教員らは子供達を見てきたのだが、どれだけ教育学に進展があったろうか?現場でどんな知見が積み上げられたろうか?
 それが無いのである、

 発達障害の問題があがってきた。
 本来ならこういう、子供らの中には特殊な特性を持っている人たちがどれだけの割合だけいて、どういうアプローチをすればどうなるか、
 そういうメソッドは子供達をよく観察している教員らから出てきて良いはずだった。

 しかし違うのだ。教員らは日常を回すのに忙しく、子供らを観察してないのだ。
 ただ、はっぱかけて圧かけて、教師がのぞむものをやらせるだけ。
 それしかやってこなかった。

 発達障害の特性には多くの種類があり、分類し、どうすればよいかを研究してきたのは、教員らではなくて、医師たちなのだ。

 特別支援教育の研究で一番研究が進んでいるのは医師の世界である。
 学校が一番理解が遅れている。

 子供達に無理をさせてはならない。二次障害を防ぐのが先決だ。集団教育は二次障害を招く、などの知見は精神医学の世界からきているのだ。

 医学モデルから社会モデルへ

 これが今の精神医学の流れなのだが、教育界が一番これに遅れている。
 人間を変えるのではなく環境を変えるのである。(過去記事4)

 経済学者カーネマンが言うところの専門家とは、
規則性のある分野で、その規則性を発見した人のことだ。(過去記事3)

 今まで書いてきたように、精神医にとっても、特別支援の領域では、規則性など発見できていないのだ。

 しかし、それでも、これはやっちゃならん、というような最悪の事態のリスクを下げることについては、医師間で合意が取れつつある知見は増えている。
 二次障害を防ぐことだ。

 偏差値は平均50,標準偏差10だが
IQは平均100標準偏差15だ。

偏差値に換算すると、

50(1/2)(50以下は2人に1人の意)

普通か平均よりやや下

40(1/6.3)IQ85

境界知能

30(1/44)IQ70

軽度

20(1/741)IQ55

中等度

10(1/3.2万)IQ40

重度

0 (1/349万)IQ25

最重度


(基準は地域によるし、IQだけで判定しないのが今の流れなので参考だけ)
最重度は偏差値にしたらマイナス
でも私の感覚としては重度、最重度はもっと多い。


 偏差値を10上げることが可能なら、どれだけの人が救われるか。
 重度だと高校生になっても発語なしの場合がある。軽度知的だと小学校低学年でつまづく。

 もしも偏差値10あげる力があるのなら、それは中学受験する偏差値50以上の人たちでなく、知的重度の人達にその力を捧げてほしい。

 障害児たちにワンランクでも上げようという努力はたくさんされてきた。
 ABAという短期的にはエビデンスのある方法以外は全部ダメだった。長期的にエビデンスのある療育法は今もない、

 よって今は、そんな努力より、二次障害を防ぐことのほうが重要だとされている。

 今だに知的障害児をワンランク、ツーランクあげる方法があると嘯いてビジネスにする輩はいるが、それは白眼視されている。
 子供の頃より大人になってIQが20(偏差値13)以上も上がる人は数%はいるが、意図的に上げる方法は無い。

 実は、偏差値50以上も同じだと思うんだ。人の脳はまだ分かっていない。
 受験勉強による二次障害を被っている人たちはたくさんいると思う。

 しかしそれで儲けている塾や大学合格実績を気にしてる学校の教員からは、そういう声は聞こえてこない。

 しかし、知能検査とか大学入試問題という単一のスケールではばらつきが出るのは生物として当たり前なのだ。多様性から。
みんなが同一のスケールで向き合うのが多様性を排除して絶滅の危機を招く。

(過去記事1)



(過去記事2)



(過去記事3)



(過去記事4)