うちの末っ子と同じくらいの年齢で同じような特性の子のブログをいくつか見ている.

 

だいたいみんな幼稚園か保育園行ってる.

 

で,ある子は年中で言葉が出来ないので,

同級生に馬鹿にされてるとか.

母親が目撃しているだけで複数回あるっていうことは,

毎日毎時間常に馬鹿にされ続けられているよ.まず.

 

息子が馬鹿にされているかどうか分かっているかどうかだけど,

たぶん分かってるんじゃないかな.毎日言われているのでいちいち

反応していたらどうにもならない.

 

 それ見て,だよね,やっぱり幼稚園(と保育園)行かせないでよかったと思う.

泣いてプレ幼稚園を嫌がっていたうちの子は偉い.

入試合格後あのまま入園辞退していなかったら,まいにち馬鹿にされてたよ.

そんな状態で社会性が身につくわけはない.

 

 で,彼らみんな当然のようにわが子以上に成長しているとは思えない.

時間的経過分成長することはあっても幼稚園に行ったかどうかはまず関係ない.

 

 私は思うんだけどさ,子供の成長って,長期的には,予想以上に良くなることと,予想以上に悪くなることがあるけど,

予想以上に良くなったところで,それには再現性は無い.単なる偶然なのだ。

周囲が意図的に良くすることはできない

と思う.

 偶然とは言ったが、見かけ上の偶然も含む。先天的な才能があって伸びるべくして伸びる子はいるだろうが、幼い時は周囲にその才能は見えないので、偶然伸びたように見える。

 でも,

周囲が意図的に悪くすることはできる

虐待とかね.ある種の障害のある子を幼稚園に入れれば,同級生から虐待・人権侵害にあうことは明らか.

 親や周囲が出来ることは,

なるべく最悪の事態になる確率を低くすることだけ

だと思う.最悪の事態とは,例えば,

二次的な精神障害になる確率を下げること.

そのためのリスクをなるべく避ける.

 

 所詮小学校レベルの勉強は学校の教員でなくても親でもできる(親の識字率が低かった1872年学制公布の時代とは違うのだ).多数の生徒(通常級35人,支援級8人,支援学校6人)を教えるより1対1の方がはるかに効果的.6年もいたら酷い教員や酷い同級生にあたらない確率はほぼ0だろう.

 

 たぶん,うちの場合は,普通級・支援級・支援学校のどれでもなくて,積極的不登校が一番こどものためになると今のところ思う.子供もそれを望んでいると分かる.長女は全くそうではなくて幼稚園あがる前から学校行きたがっていたから,その選択肢は考えられなかった.長男は行きたがっていたかどうかは分からないが,成り行きで幼稚園へ行った.それが良かったか悪かったかはよくわからない.嫌なこともあったが本人が後々それをどう解釈するか.長男は今も小学校は好きで行っていない感じではある.分かるよ.学校って基本刑務所と変わらないよね.親や大人の都合で行かされている場所.学校卒業したら学校生活が生きる場所なんて軍隊か建築現場ぐらいか.そういう世界を避ければよいだけ.

 まあ,(過去記事1)でも書いたけど,どうするかは,末っ子の人への関心度合などをみて決めるつもり.就学相談にもいかない可能性はある.就職相談員はあまり信用していないので(過去記事2・3・4).支援級・支援学校に行くなら就学相談しないわけにはいかないが,どうするかは自分で医師や他の人と相談して長期的視点で考える.

 療育なんかいらないの佐藤典雅さんが言っていたけれど,学校時代ってあっという間にすぎるからそれほど重要ではない.重要なのはその先なんだよね.18歳の時点で手帳を取得するのか,どの程度の福祉を得るか得られるか(障害年金とか).手帳なしで一般就労でいくのか.その判断のために重要なのが3年前15歳の春の時点で,特別支援学校高等部へ行くのか,普通高校か.その選択の判断だ.

 で,特別支援学校高等部へ行くのであれば,小中学校の時点で何々をマスターしていなければ入学できないなんてことは無い.出来すぎて入れないことはあっても,出来なさすぎて入れないことはある.

 だから,特別支援学校高等部を考えているのに,小中で支援級・支援学校へ無理に入れて一生懸命なにかをマスターさせる必要なんてない.二次障害を避けられればそれでよい.先天的な知能と偶然によって15歳時点の知能は決まるだろう.その時に進学を判断すればよい.(過去記事5)でも書いた.

 だから,特別支援学校高等部入学を考えているのなら,それこそ不登校が一番よい選択肢だと思うのだ.支援級・支援学校は託児所としての存在価値しかない.そしてそこには教員の質・同級生の質という親にはコントロールのできない負の要素が絡んでくる.それらの質が良かったために特性が改善するという事は無い.だからこその特性なのだ.

 

 だから,親が面倒見れるなら,不登校が子どもにとってベストだと思うんだよね.

 仮に特別支援学校高等部ではなく,通常の高校へ行って一般就労を目指すことになったとしても,家庭学習の方が勉強ははかどるものだ.他の生徒に馬鹿にされたり,歩調を合わせたりしなくて済む.勉強っていうのは,興味を持った時に興味を持った教科を勉強するのが一番吸収率が良い.

 この前動画で見たが,年中でドリルをやらせたら小6の算数が解ける天才がいたという.そういうものだよ.小6までの算数の内容なんて,才能のある子がやる気をもってやれば1年もたたずにマスターできる.絵や運動と同じ.才能と興味と運.6年間教室で学ばせるという形態が古すぎるのだ.

 

 支援学校・支援学級に不信感を抱いていることも(過去記事6・7)で書いた.

 

 学校行かなければ,その分いろんなことができる.睡眠時間もたっぷりとって体もつくれるし,いちいち宿題とか朝起きろとか叱られないで済むので自己肯定感を下げないで済む.動物園・博物館・祖父母宅・図書館・隣町,いろんなところへ行ける.たぶん我々の住んでいる町の様子は,兄弟の中で末っ子が一番よく知っているのではないかな.

 (過去記事8)でも書いたけど、通信制小中学校を認めるべきだと思う。

 

 我々は日本に生まれて住んでいて,アフリカの最貧国の人より豊かだが,彼らと比べて優越感に浸ることもないし,(格差の大きな)アメリカの上流階級の人たちと比べて貧乏だとか卑屈になることもない.最初から住んでる世界が違うだけ.だから,幼稚園の頃から学校へ行っていないので,今うちの末っ子は誰とも比べずに劣等感というものを感じていないようだ.(上の子らは末っ子の成長の遅いのを心配している.こっちのほうこそケアする必要があるかも.)

 

 15歳まであと10年間猶予がある.10年後,この記事を私が読んだら私はどう思うかな.

 

 子どもが人に興味を持ち始めたらどうするか.そこはスモールステップでいろいろ考える必要がある.塾とか習い事とかから考えるか.でも自閉度としてはたぶん強い方だと思うので,私の感だと,ずっと人への関心は無いと思うんだよね.でも,それはそれで特性で良いと思う.それでもそんな自分を否定しないで存在できる場所を探していければよいと思う.

 

 まあこうやって書いている時点で,迷っているから書いているんだけどね.確信にまで至っていたらブログには書いていない.

 

(過去記事1)

 

 

 

(過去記事2)

(過去記事3)

 

(過去記事4)

 

(過去記事5)

 

(過去記事6)

 

(過去記事7)

 

(過去記事8)


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