(過去記事1)で開成、麻布など難関中高の生徒はその入学時のポテンシャルの高さの割に大学合格実績が弱いと書いた。

 開成中学入試は
サピックス偏差値64(日能研偏差値72)
だが、東大入試は最も入りやすい類で
駿台偏差値64(東進偏差値72)
だ。
開成の生徒のうち、東大や医学部に入れるのは半数だ。しかも浪人入れて。
 開成の生徒の4分の1はマーチ以下か行方不明である。おそらく多浪の末マーチ以下か高卒で就職したのか。五十名が行方不明は多すぎるのではないか。
 東京都での私立中と公立中高一貫校への進学率は合わせても21.0%(2021)しかなく、サピックス模試は四大模試の中で母集団が最高だ。日能研模試や四谷大塚模試と偏差値8-10違う(過去記事5)。大学進学率は57.7%(2023)で大学受験生は率にして3倍多いから、駿台偏差値の方が高く出るはずだ。(大学受験生は全高校生のうちほぼ学力上位とみなしても大きな間違いではないだろうが、都内中学受験生は都内全小学6年生の学力上位というわけでは無いだろうが、それでも結論は変わらないだろう)
 半数の生徒が入学時の学力偏差値を保てないのか。
 サピックス偏差値64は下限なので、開成中学に入学できた平均生徒は偏差値64よりももっと上のはずである。
 開成などは早めに中高6年分カリキュラムを終わらせ最後の一年間はまるまる受験対策になるはずだ。それから浪人しても半数は入学時よりかなり見劣りがする偏差値しかだせない。

 これは何故だろうか?

 (過去記事2,3)に書いたように小学校と中高とでは学問的内容に本質的違いがあるからだという説明もできる。それもあるだろう。

 芸人のハウス加賀谷(1974-)は麻布中学合格で麻布高校中退だったか。受験のストレスで統合失調症という話を聞く。

 恐怖や不安は扁桃体で、苦痛は島皮質で感じるという。その部位を損傷させると恐怖や痛みを感じないそうだ。そして興味深い事に、肉体的苦痛と精神的苦痛で活性化される部位は同じだという。
 ライオンに襲われそうになった時、本能的に恐怖心を感じる。すぐに逃げろ、というサインだ。ところがそのような獣に襲われた時の恐怖と受験に落ちるのでは無いかという不安感は人間の脳は冷静に区別できないようだ。
 恐怖や不安や苦痛は、緊急時の反応を促す。考えている余裕を与えないのだ。

 逃げるか 戦うか
 その判断は一瞬に行われなければならない。
 経済学者カーネマンの言うところのシステム1のモードだ。ファスト、スローのうちのファストの方。
 空調のきいた部屋でお茶でも飲みながらデスクで深く思考している余裕なんてない。ガムシャラに全力で戦うか、一目散に全力で逃げるかだ。
 力の半分で戦って引き分けに持ち込む
とか、
 そこそこ善戦して負けるにしても大敗しないように長期戦に持ち込む
とか、そんな中途半端な戦略はライオンには通用しない。全力で戦わないなら全力で逃げるだけで、中間は存在しない

 学業成績が落ちた、同級生に抜かれる、周囲の期待を裏切る、将来の不安、
 そんなストレスは心身にダメージを与え、知力を奪う。システム1モードは思考力を奪うわけだ。

 普通に考えれば、開成中学にビリで合格してもサピックス偏差値64だ(正確にはこれは合格可能性80%ラインなので、もっと低くても偶然受かった生徒もいるだろうが、東大の64も条件は同じ。今はそんな細かい事は気にしない)。クラス順位など気にせずそのペースを保っておけば、同級生に自慢できないにしても、そこそこの大学には受かるはずだ。地方国立大学や早慶でも。上半分に比べればワンランク落ちるだろうが、大学入ってから頑張れば充分挽回可能だ。
 しかしそんな冷静な思考はシステム1モードでは働かない。

 猿も鬱になるという。ボス猿の地位を狙ってチャレンジして失敗すると鬱になるらしい。もう再びチャレンジしないように脳が鬱で支配されるらしい。
 
 受験塾にしても、小6になれば毎月テストでクラス替え席順替えがある。これは相対的順位なので、基本、入塾時のクラスより受験期のクラスが上がる生徒と下がる生徒の割合は同じはずだ。
 半数以上のの生徒は小3,4の2月入塾時のクラスから、小6の一月のクラスまで順位は同じか下がるのだ。(成績の悪い生徒が辞めていくのなら、相対的には下がる率は増える)

 昔は公教育でテスト成績順発表など普通に行われていた。それが教育効果として悪いということで行われなくなった。
 ところが民間教育ではより過酷にその風習が残っている。
 小学校中学年から植え付けられた偏差値至上主義思想からはなかなか抜け出せないだろう。だからこそ競争に少しでも負けた時点で冷静に分析する事はできない。システム1モードが脳を支配し、本能で全力逃避するわけだ。


 塾も私立学校も上位の進学実績が宣伝になるので、下位は上位の犠牲になっても仕方ないという経営判断か。
 (過去記事4)でも書いたが塾に世を変えるという思想はない。入試合格にどんな社会的人生的意味があるかは問わない。偏差値の高い学校の入試の合格通知を沢山取るのがミッションで、そのためだけに最適化する。

 中国では利潤を得る学習塾は違法になったという。欧米では塾は基本ないし、北欧では宿題も禁止されていたりする。科挙の影響のあるアジアの都市部に特徴的な現象のようだ。

(過去記事1)


(過去記事2)


(過去記事3)


(過去記事4)


(過去記事5)