(過去記事1)の続き.
 
 東大入試の数学も一部は本質的に知的な問題も含むが,点数配分・時間配分から考えて,合格点をとるという意味では,東大入試も開成中入試と同様に
 正確に速く解く競争
である,と書いた.
 
 とは言っても,やはり程度からすると,開成中の方が正確に速く計算する競争は激しい.
 
 中高6年間のうちに算数とは本質的に異なる考え方が出てくる。
 中学受験でも,高校数学の範囲内である数列の概念や確率・場合の数の概念はでてくるが,
方程式・三角関数指数対数関数・極限・微積分・ベクトル・帰納法・複素数・’証明
という新しい概念が出てくる.
 
 平仮名・漢字・微積分は出来るがカタカナが読めない国立大学生の存在から分かるように,人間の脳は不思議だ.算数で方程式を使わず面積図など駆使して実質的に方程式を解いていたりすると,方程式のありがたみが分からないこともあるだろう.小6がピークで中高で落ちこぼれる人は多数でてくる.ものの考え方が本質的に異なるのだ.
 証明という概念もそうだ.単に解を見つければよいだろうという18世紀までの数学とは異なる考えだ.(古代にあった証明の概念が長らく忘れ去られ,18世紀後半に再認識された.和算には無かった発想だ.)
 
 大学に入学すると更に本質的に異なる考えが出てくる。証明の形式化が出てくる.イプシロン・デルタ論法は世界中の大学生が落ちこぼれるという点で悪名高い.
旧制高校時代は円柱や円錐を平面で切ったときに円や楕円が出てくる問題が奇問だったらしい.
 解をひたすら速く正確に解いてきた一流理系大学生の多くが大学に入るなり,証明や公理化・抽象化についていけず落第する.微積分学はまだ旧制高校からの延長なのだが,線形代数は全く新しい学問だ.更に数学基礎論になるとまた考え方が本質的に変わる.それまでの数学の抽象化は多くの具象をまとめる手段としての抽象化だったが,具体例が全くない世界を考察するという点で数学基礎論は異質だ.選択公理を認めるので例が作れないことが本質的なのだ.記号列操作という思考だけで図形的直観など全く使えなくなる.
 
 まあ,こうは書いてきたけれど,東大理3出身の知人はやはりとても優秀だった.使う情報とマニュアルとタスクを与えられて制限時間内に遂行する課題であれば私はかなわない.
 でも,逆に言えば,それはAIが最も得意とする分野だ.
 聞かれていない課題を見つけて提示する.
 使える情報を主体的に探す.
など,タスク型業務以外にたくさんの次元がこの世にはある.
 
 業務・仕事を
人間社会のカーストを形成する道具
という視点でみる見方と,
人間を幸福にする
という視点がある(過去記事2).
 受験戦争も,カースト形成と人材配分という二つの視点がある.人材配分という意味ではもっと改善の余地があると思う.主要5教科のペーパーテストという視点に偏りすぎていると思う.カースト形成なら公教育が税金かけて加担すべきものでは無いのではないか.
 
 開成中学に入った400名の内,東大や医学部へ行った半数やその他の大学へ行った150名よりも,行方不明の50名の方が気になる.
 
 文科省によると,2015(2013)年度入学者が学士課程を4年(6年)で卒業した割合は82%.