映画 さかなのこ
Amazonプライムで観た。
さかなクンの半生記を原作としたフィクション。
以下ではバレると面白く無くなってしまうようなネタはバラしてません。
実話では高校生の時に既にテレビチャンピオンに出場してるが、映画では働いている時に小学校の同級生がテレビマンになって番組に誘われたという設定。
面白いと思う人とそうでないと思う人と分かれるだろう。
映画監督が何を言いたいのかははっきりしない。
観る人がそれぞれの感性で解釈すれば良いということか。
2022年9月1日公開。
ジャニーズ番組をBBCが放映したのが2023年3月。
このジャニーズ事件報道前に観るのと後に観るのとでは感じ方も違うと思う。
さかなオジさんがパトカーで連れて行かれるシーンのことね。
父と母で教育方針に違いがあり、夫婦仲が良くなくて別居を思わせるシーンがある。
さかなクンにポジティブなイメージ持ってる子供達がこの映画観たら寂しくなっちゃうだろうな。
発達障害児ときょうだい児をもつ親がこの映画を観たら、この夫婦は幸福だったのだろうか、これしかやりようはなかったのか、いろいろ考えさせられる。全面的に明るい気持ちで終われない。
さかなクンと父は実際疎遠のようだし、映画でもそれとなくそれは出てる。現実では、さかなクンがフィッシュハウスを留守にする時は兄が魚の世話に来てるとか、母兄弟で同居し父は別居してるという。さかなクンも兄も40代後半以上だが、まだ独身なのだろうか。
母のさかなクンに対する愛情も分かるし、父のさかなクンに対する愛情も分かる。
映画の最初に、
男か女かはどっちでもいい
という文字が出る。あえて主人公ミー坊を女優のんにし、学ラン着させて男の役をさせる。
元同級生のキャバ嬢でシングルマザーが、さかなクンのアパートに子供と潜り込んでくるが、これはミー坊が男としての性欲もつのかゲイなのかバイなのかそれ以外なのか、それによって意味も違ってくる。
さかなクンはその手のカミングアウトはしてないはずだが、この設定にOKして、彼にとってメリットあったのだろうか?
監督はどのようにしてさかなクンを説得したのか?
さかなクンの自伝をインスピレーションにしつつも、それとは全く別人のミー坊というキャラクターを想像し、さかなクンの原作とは全然違う別の話をファンタジーとして作りたかったのか。
そうだとして、何を表現したかったのか。
こんな生き方があったって良い
という強いメッセージは伝わらない。
視聴者に考えさせようというだけで、ハッピーエンドでもない。
スカッとする娯楽作品でもない。
さかなクンの父は囲碁棋士で70代だそうだ。映画では囲碁の話は出てこない。
さかなクン(ミー坊)の周囲の男友達たちは学校を出てから自分の世界を見つけていく明るい話。
勉強できず単純作業も苦手なミー坊が、得意のイラストと魚の話で仕事を得ていく。
思うに、ミー坊を女優のんにやらせることでファンタジー性が増しリアル感が無くなることにより、悲壮感のようなものがマイルドになる仕組みになってる。
独身時代、末っ子が生まれる前にこの映画を観てたら、また違う感想を持っていたと思う。
マイノリティ問題を扱っているとみなすなら、マジョリティまたはマイノリティ当事者の目線で見ることが想定されているのだろうか。
マイノリティの親やきょうだい児からの目線で長期的に観た時、最後に子供に追われるミー坊を観て、スカッとはしない。これからどうなるか不安がよぎる。
前半であったようにパトカーに乗せられていく姿を自分の子に重ね合わせたりね。
私が思い描くところのマイノリティ成功者は、ミー坊でなくて、前に魅力ある男論で書いた、手がない男とかギャグ男とか猫ひろしなんだよね。
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