札幌のギャグ男について考察。
彼は小学校を普通級で過ごし、
中1で発達検査をして小3の知能と判定されたらしい。
1996.8.7生まれだから、2009年頃のことか。
おそらくWisc検査だろう。
9/13=0.69だから、
Wiscで70が出たということか。
軽度知的障害とされたのだろう。
Wiscのバランスが分からないし、確定的なことは言えないけど、彼の動画での話を聞いている限り、全般的に知性が劣っているとは感じない。
だから、全般的に知能が遅れている知的障害というよりも
学習障害(LD)
に近いのかもしれない。
ディスクレシア、読字書字障害か。
メールでも読み書きできないそうだから、手書きだけできずキーボードならできるというタイプではない。
インタビュー受けて、聞いて理解して答えるという応答には問題は感じられない。
LDが通級の対象になったのが2006年、特別支援教育の対象になったのが2007年だった。2009年の札幌市では、LDについてどれだけの理解が、教育専門家たちにあったのだろうか。
ギャグ男は、中学の途中から普通級から支援級へ移ったが、おそらくこれは失敗だった。それまでの友達から縁を切られるだけで、心に深い傷を負った。
彼をある意味救ったのは教育専門家ではなく、不良グループだったり、詐欺師と呼ばれた同級生の父親だった。
親の立場から見れば、彼はそのまま中学でも普通級を続けた方が正解だったはずである。タラレバの議論になってしまうが。
あるいは、小学生に入る前か低学年の時点で気がついて、小学生低学年の時期から特別支援級に行っているべきだったか?
そうしたら全然違う人生になっていたかもしれない。不良グループやヤクザとは無縁の福祉どっぷりの社会で生きていたかもしれない。
しかしそれでは、人々を泣かせるような感動的な音楽を生み出すことはなかったろう。ギャグ男の音楽は彼の生き方と繋がってこその感動だ。
小学校低学年からずっと福祉まかせの人生を辿っていたら、ギャグ男に惚れた女たちは現れていただろうか。
国としては、行政としては、犯罪も犯さない虫も殺さない独身小梨で福祉にドップリの人生を歩もうとも、むしろ教育専門家としては成功例としてカウントするのかもしれない。
刑務所に入るような人にしたら、行政としては失敗例とカウントされる。
しかし、人生論としては、そんな簡単な話ではない。いろいろ考えさせられるところだ。
ただ、ギャグ男も手のない男も障害者ではあっても自閉症とは違う。特に自閉症の場合は、普通級での酷い虐め体験で併存障害が酷い例が多い。
親としては悩ましいところだね。親がコントロールできるのは幼稚園か小学校低学年ぐらいまでで、そのあとは本人や周囲など親が制御できない事が増えてくる。
(続き)