なんかちゃんと伝わった感じがしない

言ってるんだけれども


これって何なんだろう

価値観の違い? 

 説明がうまくいっていない?


こういったコミュニケーション不全をどうしたらいいのか


考えても考えても

一つの結論にしかたどり着けない



無理なものは無理



これに尽きるのではないだろうか


なので

責任転換のつもりはないが

出来ないことは仕方がないから

出来る事でカバーするみたいな


出来ないことを許容して

出来る事は伸ばしていくしかないんだろうな


これは伝わる以前に

この状況を許容するかどうかの問題



ではいかに許容するか


ある種の諦めではないだろうか


自責で考えるけども

今はできないから記憶しておき

しょうがないとあきらめておく


いかに諦めきれるか”なのかもしれません

何もしていないからあせる

やらないといけないことはある

やってみたいと思うこともある

けどできない

時間だけが過ぎていく


しょうがないですね


そういう時は やっぱり何もできないから
寝るかボーっとするしかない

何かできたことがあったって
“こんなことに時間を使ってしまった”
と後悔するだけなんですよね〜

やれることはあるけど

それをする気にならない


だからといって何もしないと

漠然とした不安に襲われる


ちゃんと何もしないで過ごせたら

結構いいんだろうなぁ


その時に出来る事の中で

なんとなくどれもやりたくない

やりたいことが見つからない

だったら

何もしなくていいのに

何かせずにはいられない感じがとてもストレスだ


なんでこんなに焦るのだろう


出来るうちという言葉の真意は

 

時間がある時ではなく

気持ちの余裕がある時

ではないだろうか

 

どうしても時間があればできると思いがちですが

思っている以上にメンタルの状態に応じて

行動力も変わってくると思うわけです

 

なので

個人的には

”出来るうち”というのは

気持ちの余裕がある時

と感じました

 

 

気持ちに余裕がある時って

いつだよ!!

とは思いますけどね(笑)

他人がわかりやすい不幸な経験(鬱的なやつ)を持っていて

その経験をしてしまったがために
他人がわかりやすい最悪な反応(起きられない、寝る事しかできないみたいな)をする人と
 
辛いことが慢性的であるがために
他人に分かりにくい、しんどく、不幸な経験 (鬱的なやつ)をしている人とでは
 
受けた辛さの総量は全然違うと考えられる
 
 
思うに
 
前者のような人はいわゆる普通の人生
つまり
友人がいて
旅行とかライブとか一緒に行ったり
バンドを組んだり
良い恩師なんかにも出会って
そこそこ楽しい学園生活
を過ごすような普通の人生を歩んできたのではないでしょうか
 
だから
 
不幸な体験(鬱的なやつ)をした時に 素直に体が反応するのではないだろうか と感じました
 
そして
素直に体が反応する人が
SNSなどに沢山の投稿をしているのではないだろうかと感じました
 
 
そういう人たちと
辛いことが日常的に起こる人生を歩んでいる人を
比較してはいけない
 
なぜなら
不幸に耐えられる器のサイズが全然違うからである
 
前者の心の限界値と
後者の心の限界値があまりにも違い過ぎるからである
 
後者は悲しくも
辛い環境に居過ぎて
器が強化されてしまった
 
強化されたとはいえ
ゆくゆく限界が来てしまった
 
 
とにかく二者の前提が違いすぎると思いました
 
 
人に上手く伝えられないのは
本当にあなたのコミュニケーション力の問題なのでしょうか?
伝える内容そのものが
伝えること自体難しい内容だったのではないでしょうか?
 
と言いたいし そう感じました

職場の向かいの店が眼鏡屋さんなんですが

正直あまりお客様が入っているところを見ないんですよ

なので

勝手に (経営大丈夫かなぁ)
なんてお節介にも思っていました

 

そんな中
お客様が眼鏡屋さんに入店するところを見ると
なんかうれしいなぁと思ってしまうんですよ

そして

こんな気持ちを全世界の人々が持ったら世界は平和になるんじゃないかと思ったわけです

理由は

自分が間違えているはずがない
というスタンスが多い気がするからです
 
それって他責志向ですよね
 
だから 苦手というか嫌いです
 
 
究極
あまり自分に自信を持たないようにするのがいいと思います
 
自分が間違えているかもしれない
と思い続けた方が
正しさに近づけるのではないでしょうか?
 
私はそう思います

バイトとはいえ

仕事なのでいろんな人と出会って

それぞれの仕事の経験ができればと思っていたが

そもそも人間関係が合わず

時間がもったいないと思うことがが多かった

 

ほったらかしにされるのもしんどいし

合わない人に頑張って合わせるのもしんどい

仕事内容がつまらないことばかりで

収入が安定しないことで

ダブルパンチで精神的にきつい

 

バイトの仕事の拡張性がない感じも辛いですね

 

初心者泣かせのバイトは

年長者の機嫌でその人の仕事が左右されることです

 

そうなると我慢までしたい仕事じゃなので

続かず辞める

 

明確にやりたいことが無いと”何か”を探す生活は厳しい気がしてきた

 

幸い 私には興味があることがあるので

その方向と自己分析で就職活動をやってみようと

つくづく思う次第です

 

自分はどこにもたどりつかない

いや

自分の価値観の合格ライン以上の場所にはたどりつかない

やっぱり

そういう結末を迎えることはあるのだろうか?

 

ない わけではなさそうだな

 

 

何か動いた過程(努力や行動)はあるが

結論は駄目だったことはありうるんだろうな

 

でも

過程は他人からは見えないが

自分は経験した分

何らかの影響を自分自身に与えたわけだから

その過程をかみしめることはしてもいいのではないだろうか

 

 

自分の過程を別の誰かに評価してもらおうとするのは良くない

 

けど

 

自分だけは過程を評価できるのではないだろうか

評価してもよいのではないだろうか

 

過程=経験は自分だけのものなのだから

下手な鉄砲も数撃ちゃ当たる

なんてやると多分即詰む

身が持たない

 

そんなことを考えると

どうしても一歩が出なくなっていく

 

では最初の一歩をどうやって踏み出すか

 

よくよく考えてみると

「下手な・・・」というのは

同じことをたくさんすることではなく

いろんなことをたくさんするということなのかもしれない

 

そうすることで

いろんな状況で何がいいのか

という感覚を養う

 

やることが見つからない場合は

とにかく観察する なんでもいいから

 

観察する気すら起きないのではあれば

とにかく 何もしないで休む