出来るうちという言葉の真意は

 

時間がある時ではなく

気持ちの余裕がある時

ではないだろうか

 

どうしても時間があればできると思いがちですが

思っている以上にメンタルの状態に応じて

行動力も変わってくると思うわけです

 

なので

個人的には

”出来るうち”というのは

気持ちの余裕がある時

と感じました

 

 

気持ちに余裕がある時って

いつだよ!!

とは思いますけどね(笑)

他人がわかりやすい不幸な経験(鬱的なやつ)を持っていて

その経験をしてしまったがために
他人がわかりやすい最悪な反応(起きられない、寝る事しかできないみたいな)をする人と
 
辛いことが慢性的であるがために
他人に分かりにくい、しんどく、不幸な経験 (鬱的なやつ)をしている人とでは
 
受けた辛さの総量は全然違うと考えられる
 
 
思うに
 
前者のような人はいわゆる普通の人生
つまり
友人がいて
旅行とかライブとか一緒に行ったり
バンドを組んだり
良い恩師なんかにも出会って
そこそこ楽しい学園生活
を過ごすような普通の人生を歩んできたのではないでしょうか
 
だから
 
不幸な体験(鬱的なやつ)をした時に 素直に体が反応するのではないだろうか と感じました
 
そして
素直に体が反応する人が
SNSなどに沢山の投稿をしているのではないだろうかと感じました
 
 
そういう人たちと
辛いことが日常的に起こる人生を歩んでいる人を
比較してはいけない
 
なぜなら
不幸に耐えられる器のサイズが全然違うからである
 
前者の心の限界値と
後者の心の限界値があまりにも違い過ぎるからである
 
後者は悲しくも
辛い環境に居過ぎて
器が強化されてしまった
 
強化されたとはいえ
ゆくゆく限界が来てしまった
 
 
とにかく二者の前提が違いすぎると思いました
 
 
人に上手く伝えられないのは
本当にあなたのコミュニケーション力の問題なのでしょうか?
伝える内容そのものが
伝えること自体難しい内容だったのではないでしょうか?
 
と言いたいし そう感じました

職場の向かいの店が眼鏡屋さんなんですが

正直あまりお客様が入っているところを見ないんですよ

なので

勝手に (経営大丈夫かなぁ)
なんてお節介にも思っていました

 

そんな中
お客様が眼鏡屋さんに入店するところを見ると
なんかうれしいなぁと思ってしまうんですよ

そして

こんな気持ちを全世界の人々が持ったら世界は平和になるんじゃないかと思ったわけです

理由は

自分が間違えているはずがない
というスタンスが多い気がするからです
 
それって他責志向ですよね
 
だから 苦手というか嫌いです
 
 
究極
あまり自分に自信を持たないようにするのがいいと思います
 
自分が間違えているかもしれない
と思い続けた方が
正しさに近づけるのではないでしょうか?
 
私はそう思います

バイトとはいえ

仕事なのでいろんな人と出会って

それぞれの仕事の経験ができればと思っていたが

そもそも人間関係が合わず

時間がもったいないと思うことがが多かった

 

ほったらかしにされるのもしんどいし

合わない人に頑張って合わせるのもしんどい

仕事内容がつまらないことばかりで

収入が安定しないことで

ダブルパンチで精神的にきつい

 

バイトの仕事の拡張性がない感じも辛いですね

 

初心者泣かせのバイトは

年長者の機嫌でその人の仕事が左右されることです

 

そうなると我慢までしたい仕事じゃなので

続かず辞める

 

明確にやりたいことが無いと”何か”を探す生活は厳しい気がしてきた

 

幸い 私には興味があることがあるので

その方向と自己分析で就職活動をやってみようと

つくづく思う次第です

 

自分はどこにもたどりつかない

いや

自分の価値観の合格ライン以上の場所にはたどりつかない

やっぱり

そういう結末を迎えることはあるのだろうか?

 

ない わけではなさそうだな

 

 

何か動いた過程(努力や行動)はあるが

結論は駄目だったことはありうるんだろうな

 

でも

過程は他人からは見えないが

自分は経験した分

何らかの影響を自分自身に与えたわけだから

その過程をかみしめることはしてもいいのではないだろうか

 

 

自分の過程を別の誰かに評価してもらおうとするのは良くない

 

けど

 

自分だけは過程を評価できるのではないだろうか

評価してもよいのではないだろうか

 

過程=経験は自分だけのものなのだから

下手な鉄砲も数撃ちゃ当たる

なんてやると多分即詰む

身が持たない

 

そんなことを考えると

どうしても一歩が出なくなっていく

 

では最初の一歩をどうやって踏み出すか

 

よくよく考えてみると

「下手な・・・」というのは

同じことをたくさんすることではなく

いろんなことをたくさんするということなのかもしれない

 

そうすることで

いろんな状況で何がいいのか

という感覚を養う

 

やることが見つからない場合は

とにかく観察する なんでもいいから

 

観察する気すら起きないのではあれば

とにかく 何もしないで休む

 

 

ある芸人が言っていました 

「お前らなんて大嫌いだ 全部自分が正しいみたいな顔しやがって」

 
この気持ちがよくわかる気がします
 
 
みんな好き勝手に生きているんだなとつくづく感じます
 
 
もちろん好き勝手に生きていいんですが
なんか周りに迷惑をかけている人が多い気がします
多かれ少なかれ
 
 
なんで正しい面するんでしょうね
 
“自分が正しいと思うのは勝手ですが
それを周りに強要するのはなんか違う気がします
 
ある種の責任転換のような気がします
 
だから私はこういうことする人が嫌いです

今私が使っている手帳は

確か

私が社会人1年目に自分で買ったものです

 

なので

今年で9年目の手帳になります

 

そうかぁ

9年か~

 

どおりで

背表紙の一部がほつれているわけですわ(笑)

 

普段

正直

何も気にせず使用してきました

 

雑に扱ってきたことも

多々あります

 

こういう時

本当にしみじみ思います

 

 

今までありがとうございます

 

 

これからもどうぞよろしくお願いします

資源が枯渇した際

どこにどう分配するのか

みたいな問題が結構どこでも起きていると思いますが

 

こういう時

少数派を切り捨てるしかないのでしょうか?

 

 

確かに

現状は多数派が作った世界ではあるのですが・・・

 

 

でも

現状が悪いからこういうことになっているわけで

 

そうなると

多数派の意見だけでは

不完全ということになるのではないでしょうか?

 

別の意見が入らないと所詮

今までの延長線になっちゃうのではないだろうか?

 

 

だからと言って

 

多数派以外であれば

誰でもいいのか?

そうでもない気がする

 

相手は見極めないといけない

 

 

というか

ずっと見極めていかなければならないんだろう