鎌倉探訪 鎌倉駅~材木座古寺巡拝 その1 大巧寺~本覚寺 | jinjinのブログ

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鎌倉古寺探訪 材木座方面

 

その① 鎌倉駅~大巧寺~本覚寺

●水沢腹堅(さわみず こおりつめる)頃 :1月25日~29日

 

 

 

久しぶりに鎌倉を探訪してきました。

コロナ禍が始まって以来なので3年ぶりか・・・? 感無量(ちょっと大げさ)。。。

今回はちょっとニッチですが、鎌倉駅~材木座コース。

材木座方面の古寺を参拝し材木座海岸へ、日本最古の港と言われる「和賀江島」を眺めます。

 

スタートは鎌倉駅ですが、久しぶりなので、西口・江ノ電側出口へ出てみた・・・

 

 

西口時計台・・・以前はこの辺りでタバコを吸っている人が大勢いましたが・・・今は禁煙?

人影まばら・・・

 

 

以前、この時計台の裏手の辺りに「鎌倉地ビールとソーセージセット」を売っていたお店があって、友人との待ち合わせ時間には大分早かったので、ちょっと一杯だけ飲んじゃおうと思ったのですが、改装中❔コロナ禍で閉店❓・・・残念ながらありませんでした。 

美味しかったんですけどね・・・。

 

これはそのお店、2015年夏。。。

 

 

ということでちょっと思惑は外れ・・・地下道を潜って東口へ

 

 

<鎌倉駅東口>

 

若宮大路を渡って「おんめ様」・・・大巧寺へ

この鳥居は「二の鳥居」、ここから「段葛」が始まります。

段葛は「鶴岡八幡宮前」まで続きます。

 

 

 

◉若宮大路(わかみやおおじ)のこと・・・

古来、鎌倉の中央を通る鎌倉の主幹道路であり、まさに鎌倉のメインストリート。

頼朝が京都の朱雀大路を模し、鎌倉都市造りの第1歩として造りました。

 

若宮大路の大きな特徴となるのが、日本でも鎌倉でしか見ることができないという「段葛」。

この歩道・段葛は頼朝が政子の安産を願って造ったと伝わります。昔は身分の低い人間は、段葛は歩くことができなかったらしい。

そのまた昔は曲がりくねっていたそうですが、頼朝が整備し、まっすぐにしたのだとか。

現在の若宮大路は鶴ヶ丘八幡宮から滑川交差点までの1.8Kmの直線道路を指します。

 

 

◉段葛のこと・・・以前は段葛の両側に大きな桜の木が並んでいましたが、全て伐採されて上に伸びる桜に変えられてしまいました。

いいかどうかはともかく、すっきりです。

 

 

■大巧寺(だいぎょうじ)  =日蓮宗系単立寺院=

 

 

もともとは「大行寺」と言う名前だったそうですが、源頼朝がこの寺で行った軍評定で大勝利を収めたので、「大巧寺」に改めたとか。五世日棟が難産で亡くなった秋山勘解由の妻の霊を産女霊神として祀ったことから「おんめさま」との愛称で呼ばれるようになったそうです。

そのことから安産祈願で有名な寺院となりました。

(元々は真言宗の寺院でしたが、元應2年(1320)現地に移転、日蓮宗に改宗されたとのこと)

その昔、若宮大路に向いたところには入り口を作ってはいけないという規則があったそうで、こちらは裏門なのだとか。

とはいえ、立派な山門に見えます。参道には早くも梅の花がちらほら咲いていました。 

 

 

 

 

こちらは本堂・・・本堂は東向き・・・若宮大路には背をむけています。

 

 

 

◉本堂の天井絵

小さな本堂ですが、天井に素晴らしい絵がありました。 木彫りの絵で、室町時代の作とのことですが、一見の価値があります。

7x9=63枚の絵です。 鳥や小動物、花などが描かれていました。

 

 

 

本堂を後に裏の道へぬけます。 本堂からは正面。以前はこちらが表門だったのでしょうね。

 

 

この裏の道は「小町大路」という名前です。

 

◉日蓮聖人辻説法跡

この、小町大路沿い、大巧寺から少し北に行ったところに「日蓮聖人辻説法跡」があります。

 

 

明治時代に日蓮宗学者の田中智学が腰掛け石を移し整備したものだそうです。

 

 

■本覚寺  =日蓮宗=

 

 

妙源山本覚寺と号します。

本覚寺のあるこの場所は幕府の裏鬼門にあたり、頼朝が鎮守として夷堂を建てたところと言われています。当初は天台宗系だった。

文永11年(1274)、佐渡配流を許され鎌倉に戻った日蓮が、一時この夷堂に滞在、辻説法などの拠点としていたとか。その後、永享8年(1436)、一乗院日出が日蓮ゆかりの夷堂を日蓮宗に改め開山したと伝わります。

2代目住職の日朝が身延山に参詣できない信者のため日蓮の遺骨を分骨したことから、東身延と呼ばれているそうです。

 

山門(仁王門)は江戸時代の創建。 明治時代に三浦半島の寺院から移築されたものとか。

 

◈仁王様

 

 

<日蓮聖人分骨堂>

 

◉夷堂

本覚寺の前身となった夷堂は、本覚寺創建の際本覚寺境内に移されましたが、明治の神仏分離令で寺とは切り離され、鎌倉蛭子神社(ひるこじんじゃ)となったようです。 (蛭子はえびすとも読める)さらにその後の昭和56年に本覚寺境内に夷堂が再建されました。

 

 

◈夷堂の変遷:もともと本覚寺前を流れる滑川にかかる夷堂橋付近に夷三郎神社という神社があり、永享年間に本覚寺境内に移されましたが、明治後分離され、現在の「蛭子神社」にあった七面大明神と宝戒寺にあった山王大権現と合祀され「蛭子神社」となりました。

その後夷堂が本覚寺境内に再建され現在に至っている・・・とか。 

 

<夷堂の恵比寿尊神>・・・鎌倉七福神のえびす様です

 

鯛と釣り竿をもった恵比須さまとはちょっと違う「夷尊神」。

 

 

本覚寺を出て妙本寺に向かいます。

 

 

妙本寺へは、滑川にかかる「夷堂橋」を渡ります。

ここら辺り、滑川の東側が大町、西側が小町。

 

<明治20年頃の夷堂橋>

 

<夷堂橋上から滑川を眺める>

 

 

 

 

続きますでござる