<お散歩全体マップ>
両国周辺を歩く
その1~その2で、両国駅~両国橋~回向院~吉良邸跡、まで歩きました。
その3では吉良邸跡から、両国ゆかりの人々、勝海舟生誕の地~芥川龍之介成育の地~北斎生誕の地(緑町公園)まで歩きます。
<その3 吉良邸跡~北斎像>
■吉良邸跡
●松坂町公園(吉良邸跡)、この公園の説明板があります。
『江戸時代、ここには「忠臣蔵」で知られる吉良上野介の広大な屋敷があり、昭和9年、地元有志が遺跡を後世に伝えようと旧邸跡の一画を購入し東京市に寄付、昭和25年、東京都から墨田区に移管されました。 周囲の石壁は江戸時代における高家の格式を示す海鼠塀長屋門を模した造りです』というようなことが書かれています。
<本所松坂町公園由来>
この角を左折し路地を行くと「時津風部屋」があります。
■時津風部屋
●時津風部屋
1941年5月、第三十五代横綱・双葉山の開いた「双葉山相撲道場」が現在の時津風部屋のルーツです。 双葉山は、未だに破られていない歴代最高記録の69連勝5場所連続全勝優勝などを記録した大横綱。
「双葉の前に双葉なく、双葉の後に双葉なし」
…と言われたその強さ、豪快な左上手投げは多くの人々を魅了し、当時の国技館は連日超満員。
その凄まじい双葉山人気は、もともと11日間だった大相撲の興行日数を13日に、更に現在の15日に変えてしまったほどでした。その双葉山が12代時津風を襲名し、道場を「時津風部屋」へと改称したのが1945年11月。 双葉山=時津風親方は相撲協会の理事長に就任、大相撲発展に貢献しています。
以来、時津風部屋は80年以上にわたって優秀な力士の育成と「国技」相撲の発展に尽力し続けています。
鏡里・大内山・豊山など横綱・大関を育てています。
現在の親方は17代時津風・元前頭一枚目土佐豊。
◈現在幕内力士は二人。正代関と時疾風関。
部屋の玄関の上に「双葉山相撲道場」という看板掲げられています。
<双葉山相撲道場>
●芥川龍之介文学碑
時津風部屋から少し行くと、両国小学校の角に芥川龍之介の「文学碑」があります。
両国小学校は、明治当時は回向院の境内にありました。 芥川龍之介が通った学校です。
<芥川龍之介文学碑説明文>
●芥川龍之介の略歴
芥川龍之介は明治25年(1829)、東京市京橋区入船町8丁目(現:中央区明石町)に牛乳製造販売業を営む新原敏三、フクの長男として生まれました。 戸籍上の正しい名前は「龍之介」ですが、養家である芥川家や学校関係の名簿類では「龍之助」になっているとか。芥川自身は「龍之助」の表記を嫌ったとのことです。
生後7か月ごろに母フクが精神に異常をきたしたため、東京市本所区小泉町(現:東京都墨田区両国)にある母の実家の芥川家に預けられ、伯母のフキに養育されました。 後13歳の時、伯父の養子となり「芥川」となりました。
関東大震災後の昭和2年、芥川龍之介は随筆「本所両国」を書いていますが、幼少の頃の両国での生活を思い出し、懐かしんでいます。
<芥川龍之介>
芥川龍之介も、別宅を借りたりして結構あちこちに住んでいますね。
明石町~両国~内藤新宿~田端~鎌倉~横須賀~鎌倉~鵠沼(別宅)…そして田端の自宅で亡くなりました。
◈昭和2年(1927)自殺 享年37。
◈自殺の理由は不明。 義兄あての手紙では「唯ぼんやりとした不安」とだけ語っている。
◈息子が3人、比呂氏・芥川多加志・也寸志。 次男はミャンマーで戦死。
●現両国小学校
その先に「両国公園」、勝海舟の生誕の地(跡)です。
■勝海舟生誕の地(両国公園)
勝海舟の略譜の展示やモニュメント、西郷吉之助揮毫の「勝海舟生誕の地碑」があります。
<椅子に座ってしばし休憩>
●勝海舟・幼名/通称”勝麟太郎”:文政6年(1823)、江戸本所亀沢町の父・小吉の実家である男谷家で誕生しました。
曽祖父・銀一は高利貸となって成功し巨万の富を得、盲官の最高位検校となりました。海舟の祖父はその九男で男谷平蔵。 銀一は平蔵のために御家人・男谷(おだに)家の株を買い与えました。 父の小吉は男谷平蔵の三男で、無役の旗本小普請組(41石)の勝家の婿養子となりました。 勝家は御家人から累進した古参の直参幕臣でしたが、無役の貧乏旗本でした。
麟太郎は幼少時の文政12年(1829)、男谷家の親類・阿茶の局の紹介で江戸幕府12代将軍徳川家慶の五男初之助(後の一橋慶昌)の遊び相手として江戸城へ召出されています。一橋家の家臣として出世する可能性もありましたが、慶昌は夭逝、その望みは消えることとなりました。(Wikipedia)
子供の頃、麟太郎が野良犬に襲われ、陰嚢が噛み切られるほどの重傷を負ったというのは著名な話です。
※この阿茶局が誰なのかは、指し示す資料が一切なく、わかっていません。
生家の男谷家で7歳まで過ごした後は、赤坂へ転居するまでを本所入江町(現在の墨田区緑4-24=大横川親水公園、江東橋の西側あたり)の岡野孫一郎宅で暮らしています。
余談ですが、ちょっと面白いのは、岡野孫一郎宅は、池波正太郎さんの「鬼平犯科帳」で池波正太郎さんの曰く…長谷川平蔵が若い頃の、銕三郎時代に住んでいたところのごく近所です。
<勝海舟 岡野孫一郎宅>
<池波正太郎 鬼平犯科帳の世界より>
勝麟太郎は、その後佐久間象山の塾の門弟となりました。 妹「順」は佐久間象山に嫁いでいます。 海舟は象山を人物として酷評しつつもその造詣を深く尊敬していたようです。
象山の勧めもあり西洋兵学を修め、田町に私塾(蘭学と兵法学)を開きました。 このことがその後の出世の大きな糸口となり、維新後は幕臣でただ一人、伯爵にまで栄達していきます。
嘉永6年(1853)、ペリーが来航、日本に開国を要求。 幕府老中阿部正弘は海防に関する意見書を幕臣はもとより諸大名から町人に至るまで広く募集し、海舟も同年7月に海防意見書を提出して西洋式兵学校の設立などを説き、これが阿部の目にとまったとのことです。
目付兼海防掛だった大久保一翁の知遇を得たことから、安政2年(1855)異国応接掛附蘭書翻訳御用に任じられて念願の役入りを果たし、海舟は自ら人生の運を掴むことができました。
※海舟の江戸城入りのスタートの原点は、江川英龍。佐久間象山。 出世への支援となったのが大久保一翁です。
●ところで、なぜ、勝家は男谷家の屋敷から岡野家宅へ移ったのか? 岡野家との関係含めてよくわからない。 それでも、小吉は随分岡野孫一郎家のトラブルを解決し助けたとのことです。
ここに「勝海舟生誕の地」記念碑があります。 揮毫は「西郷吉之助」とある。
「ん??」と思いますが、法務大臣ともある。
この碑は戦後、西郷隆盛の孫「西郷吉之介」が揮毫したと思われる碑で、もともとこの周辺にあったものを平成27年(2015)、公園整備の際移転させたもののようです(AI)。
<勝海舟生誕の地碑 揮毫西郷吉之介>
ここから京葉道路に戻り、両国横綱通りの傍らにある「芥川龍之介成育の地」の説明板を確認しました。
芥川龍之介が幼年時代~20歳ころまでを過ごした家のあった場所(旧本所小泉町)です。
■芥川龍之介成育の地
芥川龍之介の生誕の地は築地に近い中央区明石町。
父・新原敏三は築地で牛を飼い、牛乳屋を開いていました。 その後新原敏三は内藤新宿に移り、芥川龍之介も18歳~22歳頃まで内藤新宿に移り、新原敏三の土地の一角にあった家で過ごしています。
ここから京葉道路沿いに進み、清澄通りとの交差点を左折します。
みずほ銀行の裏手に榛(はんのき)馬場跡の説明板があり、榛稲荷神社があります。
■榛馬場跡・榛稲荷神社
江戸時代、この地には馬場がありました。江戸時代地図にも記載されています。この馬場の横に祀られていたのが「榛稲荷」。 周りを取り囲む土手に大きな榛があったため「榛稲荷」と呼ばれていたと説明板にあります。
榛稲荷は御竹蔵に接した場所にありました。 この辺までがお竹蔵だったんですね。
<江戸時代お竹蔵付近 榛馬場>
<榛稲稲荷>
●北斎旧居跡:この周辺に娘の阿栄と一緒に北斎が住んでいたことがあったとのことです。
こんな感じで一緒にいたんでしょうかね。
<北斎と阿栄>
<葛飾北斎住居跡>
その先に東京東信金のビルがあって、その入り口付近に北斎の「仮名手本忠臣蔵シリーズ」の浮世絵がかけられています。
●仮名手本忠臣蔵
「仮名手本忠臣蔵」にはこんな絵もありますね。
この時代、絵師もすごいが彫師もすごい。
◈仮名手本忠臣蔵あらすじ…まさに“忠臣蔵”なのですが、実名をそのまま使えなかった時代の絶妙な変換技法です。
悪臣「高師直」が塩冶判官の妻に横恋慕、塩冶判官を苛め抜きます。
ついにこらえきれなくなった塩冶判官は高師直に斬りかかって刃傷沙汰となり切腹してしまいます。 忠臣「由良之介」らが苦労の末、高師直に仇討ちするというストーリー。
高師直…吉良上野介は高家ですね。 塩冶判官…赤穂は塩の産地として有名で、由良之助は内蔵助です。 うまくもじってますよね。
この次の路地、東京東信用金庫の裏手に北斎の銅像があります。
北斎の像はごく少ないので、ネットで「北斎像」と検索すると結構この像が現れます。
ここで横に座って記念写真を撮る人も多いようです。
<北斎像>
ここから清澄通りをちょっと北上、総武線のガードを潜るとと左手は江戸東京博物館の裏手、大江戸線の両国駅のエレベーターがあります、
その先の信号を右折、通称「北斎通り」を歩きます。
●お湯屋「江戸遊」:ちょっと行くと湯屋がありますね。 「江戸遊」という。 まぁ、近代的なお風呂屋さんです。
売り文句をお借りすれば「都会の喧騒から一歩はなれ、極上のリラックスを味わう場所。 白銀のひときわ大きな暖簾をくぐれば、艶やかな紅色の江戸切子が目を惹くカウンターが出迎える。
かつて、人々に愛された江戸の湯屋のように。 ある時は癒しの湯処であり、至高の旅へと誘うエステサロン」なのだそうです。
その先、江戸時代、陸奥弘前藩の津軽越中守の広大な上屋敷があったところ。 南北はここから京葉道路まで、8075坪ありました。 ここは江戸時代には「南割下水」に面した処で、北斎の生誕の地がこの周辺にあったということです。 また、江川太郎左衛門の江戸屋敷がありました。
北斎生誕の地ということで、すみだ北斎美術館がここに建てられています。
旧津軽家邸の一画が、現在は緑町公園という公園になっていますが、ここに何枚か説明板が立てられています。
■北斎生誕の地「本所・南割下水」
●南割下水:明暦の大火後、江戸幕府は本所・深川の本格的な開発に乗り出し、次々と整備に着手しました。
堅川・大横川などの運河の掘削と掘割の掘削です。 南割下水はその一つ、雨水をためて川に流すために掘削されました。・
●北斎生誕の地:北斎は宝暦10年(1760)本所南割下水付近に生まれました。浮世絵を出発点に狩野派・光琳派・大和絵など様々な技法を学び多くの名作を生みました。
80歳を過ぎてなお意気軒高、死の床についた嘉永2年(1849)には「あと10年生きさせてくれ、そうすれば真の画工になれる」と言って息をひきとったとか。 享年90(数え年)でした。
●江川太郎左衛門屋敷跡=終焉の地
この場所には幕末期、伊豆代官を務めた江川太郎左衛門の江戸屋敷がありました。 江川家36代の江川太郎左衛門英龍はこの地で終焉を迎えています。
◈江川太郎左衛門の生涯
36代、江川太郎左衛門英龍は、享和元年(1801)、伊豆代官韮山屋敷に誕生、幼少期より馬術、剣術などはもとより、絵画等広く修行をつんだようです。
英龍が生まれた頃、ロシアをはじめとする多くの外国船が日本近海にも出没するようになっており、伊豆半島一帯を統治している韮山奉行所も、海防の意識が高くなっていました。そうしたこともあって邦次郎の修業は砲術、測量術などにも及んだようです。
天保6年(1835)、英龍は35歳にして韮山代官江川太郎左衛門を継ぎ、外国からの圧力に対抗するため、蘭学、砲学などを学び、洋式軍艦整備、大砲の重要性や、武士にとどまらない農兵の募集による海防など、後の明治政府の政策にもつながる提案をしていくことになりました。
佐久間象山をはじめ、多くの門人たちに高島流洋式砲術の指導を行い、明治の礎を築くこととなりました。お台場の建設も良く知られています。
<江川太郎左衛門像 韮山反射炉近くにある>
<世界遺産 韮山反射炉>
◈ジョン万次郎と江川太郎左衛門
この江戸屋敷は、ジョン万次郎が一時住まいとした土地でもあったことでも知られています。アメリカ滞在中に身に着けた知識を生かすため江戸に召し出されたジョン万次郎は太郎左衛門の配下となります。そのことから、太郎左衛門の江戸屋敷の長屋に居住することとなりました。
●すみだ北斎美術館
この公園内に「すみだ北斎美術館」があります。 北斎生誕の地にちなんで、この地に建てられています。
今回は立ち寄りパスです。
<すみだ北斎美術館>
ところで。北斎の系図ってみたことありますか?
以前、北斎美術館で見つけた北斎の系図。細かい字は見えないかと思いますが。
阿栄の他にもたくさん子供がいたんですね。
阿栄は絵師と結婚したのですが離婚、応為と号して絵師として活躍していますね。
北斎が「オーイ」と呼んでいたと伝わります。
この家系図にも、小林平八郎が北斎のご先祖と書いてありますね。
<北斎家系図>
付録:北斎「富士越龍図」
落款に 「嘉永二己酉年正月辰ノ日」「宝暦十庚辰年出生 九十老人卍筆」 と記されており、 北斎が亡くなる年の正月に描いた肉筆画=絶筆とされています。
すみだ北斎美術館で拝見したのですが、小布施の「北斎館」所蔵ということらしいので、何かの展示会だったのかも。
次回は両国周辺最終回、
野見宿祢神社~相撲部屋2つに立ち寄り、東京都慰霊堂~旧安田庭園と回ります。
次回に。
続きます

































































































































































































































































































































































































































































































































































