(顔淵第十二)
一朝(いっちょう)の忿(いかり)に其(そ)の身を忘れて以(もっ)て其(そ)の親(しん)に及(およ)ぼすは、惑(まどい)に非(あら)ずや。
【訳】
「一時の怒りにわが身を忘れて暴発しその責を親族にまで及ぽすことは、迷いではないかね」
*幼少から耐える躾をすることなく、学校でも児童生徒の人権を尊重するあまり、勝手放題にしてきた余弊が社会に出て、大犯罪を起こすケー スが激増している。今、日本では法的には個人の責任に止まるが、その親兄弟にもなお社会の眼は冷い。中国古代ではその責は直ちに親族にまで及んだ。
<論語が醸すコーチング>
【惑に非ずや】一時の怒りにわが身を忘れて暴発させるのは気の迷いなので、コーチはクライアントが一時的な怒りに満ちて暴発しそうなとき、その気持ちを受け止め、その気持ちを司っているビリーフを書き換えるサポートをしている。