【子之を哭して慟す】(先進第十一) | つねにコーチであるために

つねにコーチであるために

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(先進第十一)

顔淵(がんえん)死す。子(し)之(これ)を哭(こく)して慟(どう)す。従者(じゅうしゃ)曰わく、子(し)慟(どう)せり。曰わく、慟(どう)すること有(あ)るか。夫(か)の人の為に慟(どう)するに非(あら)ずして誰が為(ため)にか慟せん。

 

【訳】

顔淵が亡くなった。先師は弔いに行かれ、声をあげて泣き、身もだえして悲しまれた。お供の者が後で先師に「先生は身もだえして泣き崩れましたね」と言った。 先師が言われた。「そんなに身もだえして泣いたかね。しかし、かの人のために身もだえして泣かなかったら、いったい誰のために泣くんだ」

 

<論語が醸すコーチング>

【子之を哭して慟す】大切な人が亡くなったときには素直に泣き悲しむめばいいので、コーチはクライアントが大切な人を亡くしたときは、悲しい気持ちを抑えずに思い切り泣き悲しめるようサポートしている。