(述而第七)
子の雅(つね)に言(い)う所(ところ)は、詩(し)、書(しょ)、執礼(しつれい)、皆(みな)雅(つね)に言(い)うなり。
【訳】
先師が常に標準語で言われたのは、 詩経・書経および礼の書物であった。
*当時すでに詩や書や礼は古典として学徒からは 最も珍重されたものであろう。孔子の門下は各地から千里を遠しとせずして蛸集していたが、 方言のために日常の会話は意の通じにくい処もあったわけである。そこで標準語で綴られた古典を重視したのであろう。現代の中国でもそうだが、日本でもなお東北と九州の出身者には言葉の壁が残っているところからも察せられる。
<論語が醸すコーチング>
【詩書執礼、皆雅に言うなり】詩や書物や他人の体験は、問題解決の糸口となり得るので、コーチは詩や書物や自分の体験を引用し、クライアントの問題解決の糸口を見つけるサポートをしている。