【是れ吾が憂なり】(述而第七) | つねにコーチであるために

つねにコーチであるために

いつも話を聴く姿勢であり続け
いつも相手を認めることを忘れず
人として生ききることを目指している。
つねにコーチであるために、一期一会一日一日を大切に歩んでいます。

(述而第七)

子曰わく、徳(とく)の修(おさ)まらざる、学(がく)の講(こう)ぜざる、義(ぎ)を聞(き)きて徒(うつ)る能(あた)わざる、不善(ふぜん)の改(あらた)むる能(あた)わざる、是(こ)れ吾(わ)が憂(うれい)なり。

 

【訳】

先師が言われた。

「徳が身につかないこと、学が究められないこと、正しい道を聞いても行うことができないこと、悪い行いを改めることができないことの四つが、常に私の心をいためるものである」

 

<論語が醸すコーチング>

【是れ吾が憂なり】心を痛めるような気掛かりがあると行動の妨げになるので、コーチはクライアントに自分が抱えている気掛かりをできる限り挙げて、客観的に眺めながら自分で解消できるようにサポートしている。