【女は画れり】(雍也第六) | つねにコーチであるために

つねにコーチであるために

いつも話を聴く姿勢であり続け
いつも相手を認めることを忘れず
人として生ききることを目指している。
つねにコーチであるために、一期一会一日一日を大切に歩んでいます。

(雍也第六)

冉求(ぜんきゅう)曰わく、子(し)の道(みち)を説(よろこ)ばざるに非(あら)ず、力(ちから)足(た)らざればなり。子曰わく、力(ちから)足(た)らざる者(もの)は中道(ちゅうどう)にして廃(はい)す。今(いま)女(なんじ)は画(かぎ)れり。

 

【訳】

冉求が言った。 

「先生の説かれる道を喜ばないわけではありませんが、ただ何分にも私の力が足りませんので、行うことができません」先師が言われた。 「力が足りないかどうかは、力の限り努力してみなければわからない。力の足らない者は中途で倒れるまでのことだが、今お前は初めから見切りをつけてやろうとしない。それではどうにも仕方がないよ」

 

*私は若くして古今東西の学に通ずる稀代の碩学 安岡正篤先生に師事し、深く極めることなく安易に生きてきた。ところが六十八歳の時に先生が亡くなって、一年の心喪に服した。その間先生の旧著を殆んど読み返す中に、先生との格差の余りにも大きいのに驚き、次第に自己厭悪に陥り、生きる気力を失いかけた。その時、この章の「女は画れり」の一語に接し、忽然として新たに生きようとする気力が湧いた。そうして「仮名論語」の浄書を発願したのである。

 

*説明書きの「私」は、論語訳を使わせていただいている伊與田覺(いよたさとる)さん。

 

<論語が醸すコーチング>

【女は画れり】初めから見切りをつけてやろうとしなければ何も得られないので、コーチはクライアントが力が足りないとか、難し過ぎるとか、初めからゴール達成に見切りをつけているときは、失敗から学べることや小さな行動を見つけられるようサポートしている。