(雍也第六)
子曰く、賢(けん)なるかな回(かい)や。一箪(いったん)の食(しょく)、一瓢(いっぴょう)の飲(いん)、陋巷(ろうこう)に在(あ)り。人は其(そ)の憂(うれい)に堪(た)えず、回(かい)や其(そ)の楽(たの)しみを改(あたら)めず。賢(けん)なるか回(かい)や。
【訳】
先師が言われた。
「顔回はなんと立派な人物だろう。一膳の飯と一椀の汁物しかない貧しい長屋暮らしをしておれば、たいていの人は、その苦しみに堪えられないものだが、回はそんな苦境にあっても楽しんで道を行って変わることがない。なんと立派な人物だなあ回は」
<論語が醸すコーチング>
【賢なるかな回や】苦境に陥っていても弱音を漏らさず、楽しんで行動している姿が変わらないような賢者はいるので、コーチはクライアントが苦境に陥っていても、それを憐れんだりせずに、ゴールに向う行動を気持ちを込めた対話でサポートしている。