【躬の逮ばざるを恥ず】(里仁第四) | つねにコーチであるために

つねにコーチであるために

いつも話を聴く姿勢であり続け
いつも相手を認めることを忘れず
人として生ききることを目指している。
つねにコーチであるために、一期一会一日一日を大切に歩んでいます。

(里仁第四)

子曰わく、古者(いにしえ)言(ことば)を之(こ)れ出(いだ)さざるは、躬(み)の逮(およ)ばざるを恥(は)ずればなり。

 

【訳】

先師が言われた。

「昔の人々が軽々しく口に出さなかったのは、実行がなかなか伴わないことを恥じたからである」 

 

*人偏に言を書いて信となる。信は「まこと」言行一致を意味する。しかし人知が発達するにつれて純朴さを失い、言葉が先行して実行が伴わないことが多くなる。元来偽は人為で「い」で あるが、行が伴わないことが多くなるにつれて「ぎ」となった。

 

<論語が醸すコーチング>

【躬の逮ばざるを恥ず】言論と行動が一致しないと負い目を感じてブレーキがかかるので、コーチはクライアントの言っていることとやっていることが一致していないときは、現状を客観的に分析できるようサポートしている。