あれから2年 | ¡Viva ワイン!

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ワインを飲みながら、気になったことを書いていきたいと思います。

明日は東日本大震災から2年が経ちますね。そう、2年前の私は、『にいがた酒の陣』に行くべく新潟に向かう上越新幹線の中にいました。


あと少しで高崎という時に、新幹線が急停止。そして若干間が開いてから車両が激しく揺れました。丁度高架におりましたので、揺れで車両が落下するのではないかと、とても恐かったことが甦ります。


しかし、立て続けにくる揺り返しに、これは直下型もしくは伊豆沖来たか!と思ったのですが、車内の何人かの方がインターネットにアクセスされていて(悲しいかな、私のソフトバンク携帯は全くネットにつながりませんでした)、どうやら震源地は東北らしいという情報が入りました。


それから列車が動くまでにどれくらいの時間が経過したでしょうか…。落下の恐怖もさることながら、何度となく襲い来る揺り返しに、もう列車は動けないのではないか、ここで一晩を明かすのだろうなぁ、という何となく諦めムードが漂いはじめた頃に、次の最寄り駅まで動きますという車内アナウンスが流れたのでした。


次の駅は高崎と分かっていましたけれど、車両が駅に着いてホームに降り立った時に、駅の天井が大きく落下しているのを目の当たりにした瞬間、これはヤバい!と感じ取りました。


もう列車は動かない。JRの在来線も動くのは無理だろうと判断した私は、駅前のホテルに走りました。


同じ考えをした方が大勢いらしたようで、3軒連続して断られ、4軒目でようやく部屋を確保することが出来ました。


しかし、地震でエレベーターは止まったまま、外の非常階段を使って部屋(7階)まで行って下さいというホテルの方の仰せに従って非常階段を上ったまでは良いのですが、階段を上っている時にも余震があり、このまま階段ごと落ちるのではないかという恐怖におののいておりました。


しかし、そんな私の恐怖は部屋に入ってTVを着けた瞬間に氷りつきました。


TVの映像は、何度となく襲い来る津波を流していたのです。


その後の光景は皆さまご存知と思います。


一睡も出来ないまま、次の日に在来線を乗りついで家に帰ることが出来たのは奇跡に近いのではないかと…。


あの日、新潟で待ち合わせをしていた悪ダチさんは、新潟に2日間足止めを食って(ひとりで辛かったと思います)いました。


今日、私があるのは、あの日の皆さまのおかげと信じています。


そういう諸々を背負って、24日の南相馬パエリヤ炊き出しに臨もうと思っております。