宿業の論理。
ブログネタ:前髪どんな感じ? 参加中小生の前髪今日は3ミリかな・・・って。坊主頭にございますので前髪も何もあったモンじゃございんせんが・・・アメブロさんにお世話になってからもう四年にもなるのでございますその編集など機能の手軽さから現状ではホームページのデータ修復よりこちらでの鬱憤晴らしが圧倒的に大きくなっております。さて。不可思議なものでこの機能のうち「アクセス解析」と言うものがございまして本来が電磁情報に於ける幾多の動向を掴むなんて理屈が題目でブログをやっておりまものでその「アクセス解析」の「検索されて辿り付いたキーワード」何とここ数ヶ月最大のものは「色即是空」なのでございます・・・坊主頭しかも百円均一で買って参りましたるT字剃刀(一枚歯)で剃髪しております小生いやいや「坊主」ではございません。ただ自称・破戒の仏法狂いである事に違いはございません。宗教なぞ捉え方や考え方は人それぞれ・・・そんな好い加減で無責任な事ぁ無ェだろうこれが小生の根本でございますさて一ヶ月で113件の「色即是空」検索どれだけ皆様仏法の言葉に飢えているのかと考慮し(笑)今回はちょいと「宿業の論理」を・・・同じ人間として生まれて参りましてもその実かなり造作に差異がございます同じ兄弟とて頭の良し悪し面の良し悪しま世間の渡り方にもかなりの差がございますこの「差」を便宜的に「宿業」と言う場面がございます。加えて例えば同じ車に乗っていて事故に遭遇して怪我をしたりしなかったり不慮の災害で亡くなられる事もまた「宿業」と言う事が多くございます。そもそも「業」(ごう)とは「その存在の基礎設計及び仕様」の事でございます例えば動物はおろか植物も含めてそれが「細胞」と言う一種の「生命体」であると定義致しまして人間は・・・いやいや殆どの動物はそんな他にある「生命体」を摂取しなければ生存出来ないそんな「基礎設計」となっております。つまりどんな高僧も小生が如き下世話な下賎者も何処かで「殺生」して生きているのでございます「奪命」(だつみょう)はかなり多くの宗教で罪として解説されておりますにも関わらず動物はその「奪命」をしなければ生存出来ませんこの様に駄目だの悪いのと申しましてもそうしなければならない動物の・・・いや生命の基本的条件それを「宿業」と言うと申し上げて差し障りは無いでしょう一方でどんな悪人にしろ犬・猫にしろ自身が大事に思う他の生命を守ろう或は慈しもうそんな心持になる事はございましょう更に苦悩する者に対する慈愛の心持それは聖人君主でなくとも日常生活に於いて多々見掛けるむしろ自然なものにございます宗教等により表現は違いますが「菩薩の心」「愛」などそんな心をまたかなり多くの動物が持ち合わせておりますこれも実は「宿業」の一つでございます兎角「宿業」と聞けば何か悪い忌避したくなるマイナスの面ばかり印象され勝ちでございますが「宿業」には「善業」「悪業」がございます。これが人により他人や自身から見て迷惑な部分(悪業)他人や自身から見て歓迎される部分(善業)その割合やら「出方」が異なります。これは「個性」とも呼ばれるものがございます。言わば生存の根幹の部分から癖の部分まで動物が持つ行動・思考の特性・個性が「宿業」なのでございます「宿命」と言えばその宿業のうち人生や生き様などに特定される部分と解釈して構わないと存知ますがこの「宿命」は「宿業」を基盤として行動・思考する動物の生存期間に於ける終始「決算」であるならば少しでも宿業の「癖」的な部分は変更出来れば「宿命」もまた変化するものだこれが仏法の論理です他の生命体を摂取しなければ生きていられないそんな根幹の宿業は変更出来ませんしかし逆に言えばそれもまた「宿業」に於ける一つの要素でありましてむしろ最低限の生命体摂取を避けるそんな心掛けだけでも重ねてゆく「宿業」の軽減が出来ますで。これも多くの宗教が解説しておりますがこれら「宿業」は常に加算されているものと捉えられております一日三食その回数が増加すれば「奪命」した生命体の数も増加致しますその「殺生」の業は加算されて行くものでございます例えばちょっとイライラして友達に八つ当たりしちまったとしてこれとて「悪業の蓄積」です他の生命を何かしら脅かす行為が「悪業」なのでこざいますところがちょっと反省しこれは素直に謝った「あなただと自身が飾らずに我侭になってしまうので御免なさい・・・」これで相手の友達がもしも「ああ、私はこの人に信じて貰っているんだ」と言葉を受け止めたとすればこの友達は八つ当たりした事のショックよりもあなたの苦悩を和らげた事の喜びから「いいよ・・・」と言ってくれる事が多いと存知ますこれが「菩薩の心」ですが結果として八つ当たりを言ってしまった事でこの友達がその「善業」を確認出来たものですからあなたにとっても「善業」として蓄積されるま言わばそんな方程式なのですそれらの善業・悪業の総決算が臨終です現世での生命が尽きようとした時そして尽きた後にこの人間の動物の「宿命」が決定致しますこの震災でそんな宿業や宿命が幾多報道されております我先に逃げ出した者他人を救おうとして生命を失った者それらの人々が世間一般にどんな評価を今まで受けて来たのかを別としてまた意識・無意識の区別無く多くの業を蓄積していたとしてもやはり臨終に於いて「菩薩の行い」をしていた方は仏菩薩と評価決定されるものでございます犬や猫など見て「可愛い」と自然に顔がほころぶこれはその動物達が持つ「善業」がその人間に潜在する善業(菩薩の心=菩薩の境涯とも申します)を「接触した事で顕在化させた」善業として表面化致します生物学的には赤ちゃんは原則として親に可愛いと印象・認識させるべくそれに必要な形状設計となっているのだ、とか。とすれば人間の赤ちゃんも子猫も子犬も人が「可愛い」と印象を受けるのですからそれは或る種の動物にとって共通した認識に訴えかけるものと考えても不自然では無いでしょうさて先に申し上げました「宿命」ですがどんなに悪人でもどんなに聖人でも基礎的な設計は同じでモノを食べて生きておりますから自身が変革を意識し或は決意した瞬間に悪人が聖人にまたは聖人が悪人に変化など幾らでもしてしまうものですし幾らでも出来るのです問題は悪人とされる人間は悪人とされる行動・思考の傾向性が強いものですからその転換はまさに大変ですしかしその「宿命転換」は全く物理的には困難では無くむしろ精神・心理的にはとてつも無く大変な事なのですこの目に見えないが存在するもの「空」そしてその捉え方を「空観」と言い目に見えて存在するもの「色」そしてその捉え方を「色観」と言うのですそして全て「目に見えるものは目には見えない存在を含む若しくは抱えている」この基礎的な方程式=考え方の事を「色即是空」と言いまして問題はその先「空」としてあるものに生命そのものの本質が秘沈されているこれが仏教の基礎の基礎でございますどんなに自身がイヤでもそれはそれも含めて全部が自身なのですむしろイヤな自身は宿業の一部でしか無くその一部だけを取り出して自身が嫌いになって自暴自棄になるなどまぁもったいない事なのですイヤな宿業は他の生命の中に自身が飛び込んで「磨け」ば良い事でございますその研磨作業の過程でイヤな部分の転換方法が見つかる事もございますただ肝心なのは自身はとてもとてもいっぱいの生命に包まれて生きていると言う真実これをどうか覚知して頂く事でございます多くの宗教はその悟りなり修行の結末に「感謝」する心持を説いて参りますただ小生の場合はとても皆々様より頭の出来が悪いものですから明確な方程式や設計図若しくは人生の運行図表(ダイヤグラム)が必要でしてそれが法華経であると言うだけの事でございます。しかし・・・宿命の転換は現世現実に生存しているつまり「生きているからこそ出来る」事です同じ生きているのですから是非ここは一つ宿命とやらをまぁ満足納得な状態にして言い方を変えれば銀行や金融機関の現金に換算される借金は多々あれど生命としての業と言われる借金は減らして・・・あ悪業を負債(借金)善業を資産と考えた場合ですよ・・・悪業ばかりの債務超過はそれこそ墓の居所が宜しく無いじゃ無いですか期間の長短では無く生きて「生命の優良資産」をあなたの大切な人や生命たちに遺してあげて下さいませ。なんて事言いますから「ご職業は御僧侶ですか?」なんて真面目に言われてしまうのですねェ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・