修学旅行はどこに行った? ブログネタ:修学旅行はどこに行った? 参加中

小生が通っておりました
都立高校は
修学旅行が
広島と京都・奈良でございまして

その中で
宮島

厳島神社
がございまして

仏法者の性と申しますか
憲法に保障する
信教の自由
思想・信条の自由
これに完全に抵触する

個人的に確信し
修学旅行参加を拒否し
夏休みにその資金で
北海道へ22泊の旅に出た馬鹿にございます。

第一

小生にそんな形骸化された宗教を有難いと妄信する
或は
他者と信条を形而上合せて
自身の信条を押し殺せる程の
心理的技巧が持ち合わせる筈も無く
とにかくも
神社や
中国地方なんぞ
行きたく無かったんですわ



小生の修学旅行体験は
小学校の頃の日光と(これとて二荒山神社がイヤだった)
中学校の頃の京都や奈良(こりゃ全部イヤだった)

現在
学校の行事における
君が代

国旗掲揚

これに抵抗する先生達がおられます

この方達は
生徒の中に
そんな思想・信条の自由を確信するために
修学旅行に際して
そんな邪教の館に立ち入る事に
凄い抵抗と嫌悪を感じている
などと
考えた事がございますのかしら

実は
元々
小生の家族
小生の父親の墓地ですら
墓参などした事ぁ無ェです

それには理由がございます

第一に
父親はその場所が不明なのです

墓所は後妻が全部段取りしまして
父親の実家スジ含め
父親の死後
全く交流が途絶させられてしまいましたもので
知る術もございません

第二に
母方親族の遺骨
預託していた寺が過去帖と共に紛失すると言う失態に遭遇し
現状は不明です

第三に
年に一度の墓参で
先祖の回向など「構わない」と言う信条が理解出来ないのです

小生
破戒の自称・仏法者にございます
であればこそ
回向とは日々祈念すべき事と存知ております次第。

墓参を研究の為にされている方を存知ております
この方は
今日では想像も付かなくなってしまった
知られざる人間の実像を迫るべく
一つの貴重な情報源として
墓参をしているのです

人知れず
埋もれて忘れ去られた
新選組隊士の墓を
幾つも発見されているのですが
これには
墓参と共に
調べられる限りの戸籍などを含む古文書を
膨大な時間を掛けて調査精査し
その結果として
「埋もれた人生」
が蘇るものにございます

市販の図書となれば
小説も資料も混濁して適当に並べ替えて
研究家
などと恥ずかしげも無く自称する輩とは異質なのです

更に
墓参を集客イベント化する事にも猛烈な拒絶反応がございます
いや
如何に有名人とて
それは実在した人間であり
その後の創作物などで構築された
キャラクター
などでは無いのです

故人の遺徳
と言うなれば
その
故人と心理的に向き合って
「これから先の時代にその遺徳をどう反映し、具現化するか」
と考えるべきでは無いでしょうか

小生の場合は
まぁ
一日一度程度
仏壇に端座して
妙法蓮華経如来寿量品第十六
自我偈
を読み
先祖と共に
小生を大切にしてくれた人々や
小生を愛してくれた生命達の
供養をしてございます。

その供養=功徳が
故となった者達が
今日
転生していたとして
その善根となる様に
「功徳を回し向ける」
それで回向(えこう)と呼ばれるものでございます

もっと言えば
そう祈念した本人が
今世
この時に於いて
積み重ねた
例えば
他人や公益の為に自身を使う事
苦しむ友人の話を聞いてあげる事
被災した土地の顔も知らない人々に
義援金を寄付する事だって
これらは
「菩薩行」
と仏法にて呼称致します

その菩薩行の功徳こそ
祈りに乗せて
転生した故となった者達に
「回し向かえるもの」
なのだそうでして(日蓮大聖人御著・報恩抄より趣意)

新選組に関係した
それらのイベントに
小生は少なからず
そんな軽薄を感じておりましたものの

第一に
とてもイカガワシイ団体が
何かと関与をほのめかしておりまして・・・

最近になりまして
新選組友の会の方と
ブログや電信でしか無いものの
小生の想像する位置よりも深い処に
その思いや
その情熱や
その真剣を感じまして
一概に
「んなモン嫌だね」

言えなくなっております

神社も同様で
実は地域の文化を記録する貴重な場所だったりしまして
宗教的理論では今も忌避すべき処である事は
変わり無いものの
自身で多々発見するものが多く潜む場所である

気付き始めた処にございます
これは
古刹も同様で
考えてみれば
学校教育制度が整備される以前に於いては
寺社仏閣
こそ
そんな教育や交流の場
だった訳でございまして

それで

考えますと

高校の修学旅行にも
行けば良かったかな・・・と・・・

小生
47歳の今日まで

最西の立地は
山陽本線西明石駅
それも
改札も出ないまま
ホームの柱を
べったりと触って
折り返しの東行電車に飛び乗った次第でして

しかし
単なる物見遊山なら
墓参など結構

ある著名な方の御子孫から伺いました

そこで
墓参を趣味とする
馬鹿共に申し上げたい
自慰のネタに現実した人間の人生を使うな。

しかし乍ら
一般消費者の身体・生命・財産の保護を目的として
それら新選組隊士の「忌」で
新選組友の会が主催されるものは
必ず
新選組友の会に直接連絡して
第三者などを経る事が無い様にと
公知を計るものでございます

さてさて

修学旅行シーズン真っ盛りですが

この修学旅行の経済効果
実はとてつもなく巨大で
幾つかの大手旅行代理店は
修学旅行関係収入だけで半数だとか

そんな旅客鉄道会社さんとて
特に東海会社は
かなり大きな収入となっているとか

しかし

そろそろ

一つ覚えの京都・奈良
止めませんか

一方で

海外への物見遊山

一応ね
修学旅行も
「社会科学習の一環」
として
教育委員会から何だかしらかの助成を受け
つまり
税金です。
それで実施されるものですから
キッチリと
社会科教育して下さいましな

観光旅行

学友達との思いで作り
なんて
個人旅行でも事足りますよ

小生の場合
やはり
ボイコットした
クラスメートと共に北海道内を巡り歩き
時にはバラバラとなり
時には合流して
旨い物
震えるほど美しい光景
落涙するほどの感動
そんなものを味わいまして

そんな中で
国鉄函館本線に
145.88トンの日本最大最速最美の蒸気機関車・C62形式を
重連(機関車二両で牽引)する様を
実見した方と出会い
その熱い体験談が
その後
そのC62形式3号機の復元支援へ
小生を突き動かした一因となりました事は
事実です。

札幌発
稚内行
急行第317列車「利尻」自由席
スハ45形一般型在来客車の座席で
感激した小生の脳裏には
深夜の暗闇の中に浮かんでいた
「士別」
の駅名票が
今も消えないで残っております。

或る意味
最高の修学旅行でした

そして
「青春時代の修学旅行」

昭和62(1987)年03月31日夜
札幌駅
から
小樽運転区(小樽築港機関区)へ直通する
アルファコンチネンタルエクスプレス
の混雑した通路から
C623機
の威風堂々たる復活の汽笛

蒸気が立ち込める
あの場に向かう旅でございました

同時にそれは
我が故郷「日本国有鉄道」最期の時間を迎える

小生にとって
国鉄マンであった
最期の旅
でもございました