夢は誰かに作って貰うものでは無い
大阪市立桜宮高等学校で発生した体罰を発端とした騒動はこの学校の特色であった体育科等の入試中止と言う事態に発展致しましたで小生が「何だとコラ」と思いましたのは報道各社が伝える「志望していた受験生の言葉」永年ほぼ大会の成績やら生徒の能力向上では無くその担当だか顧問だかの教師と言う公務員が殆ど自身の趣味として暴力をして権威を虚飾し学校もそれを容認しまるで英雄の如く称えさえしているその馬鹿さ加減も驚異だが「今まで頑張って来たのに夢が奪われた」とまとても心情が伝わるストレートなコメントだがそもそも夢とは誰かが作った枠組の中に安穏とする事なんだろうか?自身の人生だ自身で迷って探して苦しんで切り拓くしか無ぇんだよ所詮学校なんぞ枠組でしか無ぇその枠組の中でしか遂げられない夢と言う名の職業もあるしかし体育科?スポーツ何とか科?その先にあるものは何だろうか?小生はそんな大阪市の中学三年生に同情なぞしない昭和57年俺達昭和39年度出生者のうち日本国有鉄道への就職を希望した全国数万の高校生はその夢も将来も閉ざされたその時世間様はこう言う論調だった「国鉄は既に存在が国難」進路を変更し面接に行った先で「ザマアミロ、と言うのが心情だよね」と数度言われたものだった小生の夢はそれでも鉄道の現場に立つ事だったし今では単なる鉄道現場では無く「新しい人と人の交流の場たる現場」と変わったもののC623機をはじめとして専用列車運行鉄道模型催事史跡の観光拠点への転換まぁ色々騒がせて頂きましたが最近「夢」には「覚悟」が不可欠だと言う事を漸く認識致した次第加えて同級生には同じく国鉄職員を志してアルバイトとしてだが現場の第一線に出ていた仲間も少なくなかったその全員が国鉄では無く多様な職に就いて半数は「それで良かった」と言っている志望する職業に就く事は「夢」などでは無い専門学校などの広告に騙されてはいけない「夢」は言い換えれば「自身の出世本懐」の事で数百億年続くこの惑星に於いてそれこそ尽未来際に生じた「人間」の一つ個体としてその人生で無ければ成し遂げられなかった「自身の人生であった証明」をこの惑星の天地に確実に刻み遺す事その「出世の本懐」つまり「生まれて来た理由」はどんな奴にもあるそうでやもすれば人間に限らず全ての生命が「本懐」を持っているとか故に仏法では生命そのものの表現として「仏」と言っているのだそうですわ君達の愚痴はメディアには格好の題材だろうしかし彼等は同情でも危機意識でも無く「ネタ」として諸君の素直な心情をただ流しているに過ぎないまぁその前に学校は諸君の人生を決めなどしない何故そう言うかと言えば卒業後死するまで生徒個々の人生に責任を持ち具現策を実施している教育機関など皆無であるからに他ならない夢は誰かに作って貰うモンじゃ無ぇ幸福とて誰かが持って来て呉れるモンじゃ無ぇ甘えるな厳しいけれども誰かのせいにしているうちには自身の発展も人生の開拓もこりゃ不思議と出来ないモンですからねぇ。