地上で生きる者へ与えられる、愛に戻る機会 | 宇宙の限りなき優しさの中で

宇宙の限りなき優しさの中で

大好きな映画や音楽、日々の生活で感じたことを綴ります。

 
最近のいろいろなニュースを観たり読んだりして、
前回も紹介したC・S・ルイスの次の言葉を思い出す。


  神があなたを連れ戻す前に、
  あなたに要求していることが悔い改めではない。

  もし神がそうしようと思えば、
  神は悔い改めを免除することができる。

  悔い改めとはただ、
  父なる神のもとに戻ることなのである。




人を愛する神が「悔い改め」を求めているのではなく、
罪を犯した人間が自らそれを選択するのかを神が見ている。

神が知りたいのは、映画『フライト』の公聴会の場面での、
偽らない正直な主人公のような姿なのではないかと感じます。


C・S・ルイスは映画『ナルニア国物語』の原作小説の著者。


映画『ナルニア国物語 第1章:ライオンと魔女』予告編



実は、私はこの映画をまだ一度も観てはいないのだが、
原作者のC・S・ルイスの言葉がとても心に響いてくる。

あと2つ、彼の言葉を紹介します。


  自己というものを意識した瞬間、
  自分が何よりもいちばん可愛い、
  自分が世界の中心になりたい、
  いや、はっきり言って神になりたいという、
  そういう気持ちを抱く可能性が生ずる。

  これがまさにサタンの罪であり、
  またサタンが人間に与えた罪だったのである。




  人間は結局、二種類に分けられる。

  神が「汝の意のままになれ」と言う人と、
  神に「御身の意のままに」と言う人だ。

  地獄に行く者はみな、自分で地獄を選んでいる。




周囲から「神の子」と呼ばれていたナザレのイエスは、
自分のことを話すとき「人の子」と呼んでいた。

そして自らが語ったように、高ぶることがない人であった。

それは、それこそが「愛」の本質だからなのだと思う。


だが、今流行りのスピリチュアル系の世界では、
自分をマスターやティーチャー(先生)と呼ぶ者も多い。

そして、自分を神であるかのように呼ぶ者もいる。

誰しも内面に神の愛と同じ性質を備えていると思うが、
ダークサイドの誘惑に負ける弱さも内在しているのが人間だ。

この世において他の者より高く在ろうとする慢心は、
イエスが荒野(あらの)で対峙したサタンの誘惑と同じに感じる。


人間の傲り高ぶりに比例するかのように、増えゆく自然災害。

以前は隠し通せていたものが明らかになりゆく最近のニュース。

イエスが使徒に話した預言、臨死体験者が伝え聞いた神の計画、
それが今現在、着実に進行しているように感じる。


これは個人的な感想なのだが、もしそうならば…

知られずに隠していた闇の部分が明らかになることは、
この世に生きている間に悔い改めの機会を与えてくれている、
神の愛なのではないだろうか。


最後に、イエスが「悔い改め」について語った言葉を。

  罪人がひとりでも悔い改めるなら、
  悔い改めを必要としない99人の正しい人のためにも勝る
  大きい喜びが、天にあるであろう。




今回の曲は、マライア・キャリールーサー・ヴァンドロス
デュエット曲で『エンドレス・ラヴ』。

ライオネル・リッチーとダイアナ・ロスが歌った、
1981年の映画『エンドレス・ラブ』の主題歌のカヴァー。


Endless Love / Mariah Carey & Luther Vandross