とてもかっこいい映画です。元CIA工作員の経験を生かし、敵相手に無双するブライアンが楽しめます。

 

娘のためなら、敵を惨殺する冷淡さが非常に好きです。アクションシーンも興奮します。

 

展開としては非常にテンプレですが、勢いがすごいので、時間が経つのが早く感じます。

 

妻とはもう離婚しており、その妻にはすでに継父がいるのがポイントです。ブライアンは非常に難しい立場だと思います。

 

継父側からしても、ブライアンをどう扱えばいいのか難しいと思います。その継父は、ラストシーンでブライアンに感謝の意を示していたので、ブライアンと良好な大人の関係を築いているのだと思います。

 

離婚理由に関しては、仕事とプライベートの両立ができなかったことにあるそうです。CIA工作員なので、そもそも仕事が忙しくて当たり前の職業ですから、妻のレノーアはもう少し甘めに見ていいのではないかと思いました。

 

私の父親もブライアンみたく仕事が忙しい人なので、余計にそう感じました。

ただただ渋くてかっこいいブライアンが見られる映画です。

 

個人的にはそれなりに好みの作品です。中国アニメならではの演出が多いと感じました。

 

貧乏を匂わす演出が多く、日本以上に中国では貧富の差が激しいのだと思わせます。一話の被害者も春巻きが母親の思い出の品であるシーンが出ており、中国ならではのシーンが盛り込まれています。

 

5話で地震で全員死んでしまう展開は、中国の現実主義な面が表出しています。一話一話オムニバス方式で話は展開されていきますが、連続殺人事件という一本の筋がしっかりと存在しており、話の構成も上手だといえます。

 

登場人物は美男美女ばかりで、泥臭いシーンを入れにくいことは重々承知なのですが、もう少し泥臭いシーンがあっても良いのかなと個人的には感じました。

 

今回は双極症についてのお話でした。個人的にはかなり刺さりました。

 

まず大前提として双極症は治らない病気だということを仰っていました。非常に残念な事実ですが、受け入れる他ないでしょう。

 

今回は玄さんという方が病気を患っていました。割と私と似たタイプだったので、非常に感情移入がしやすかったです。

 

基本的に一人で抱え込み、頑張り続けるタイプであり、双極症と診断されても、「自分はまだやれる」という言葉を吐いていました。そして、自殺を匂わすことを検索したりもしていました。

 

躁状態のときは女性を連れ込んだりもしていました。ドラマという客観的な視点から見ることで、玄さんがいかにやばい状態かがわかりました。

 

精神病棟にいた際に、他の患者を見下すシーンが見受けられました。同じ患者であることには変わりない事実を受け入れることが重要かと思いました。

 

何がきっかけで調子が悪くなったのかを探ることが必要だとも弱井先生は仰っていました。玄さんの場合は、上司からのノルマが超えられないことへのプレッシャーと上司からのパワハラによって、調子を崩していました。

 

自他共栄の精神は非常に刺さりました。人を頼ることも強さという概念は非常に大事だと思いました。

 

最終的に玄さんは、周りの人達の意見を受け入れ、頑張らない生き方で戦い続ける方法をとりました。これはかなり大きな変化だと思います。

 

今までの自分の生き方を捨てて、新たな戦い方を模索して生きる玄さんを私は応援したいと思います。

 

 

精神科のお話です。非常に良かったです。

 

1話ではパニック症についての話でした。閉鎖的な空間にいる状況下だと苦しんでしまう病気です。

 

まず感じたのは、パニック症にかかっている葵が、「自分がパニック症であることに気づいていない」ことです。精神疾患は全般的にこの傾向にあると思います。

 

弱井先生が出したアメリカと日本の例も非常に良かったです。精神疾患の患者数が非常に少ないが、自殺率が多いのが日本で、精神疾患の患者数が非常に多いが、自殺率が少ないのがアメリカらしいです。

 

つまり、日本人は見栄っ張りの人間が多く、我慢してしまう国民性であることがいえます。精神科に通うことがそんなに恥ずかしいことではないことがいえます。

 

本作のタイトルであるshrinkは、「ちぢむ」という意味らしいです。症状を完全に消すことはできないが、少しでも小さくすることはできるという意味に自分は捉えました。

 

葵が弱井先生の病院を見て「こんな感じの精神科ってあるんですね」という発言も良かったです。精神科というと、もっと重いイメージが自分自身ありましたが、もっと軽くてポップな感じに精神科に通院してもいいのだなと感じました。

 

ベイビーステップという言葉が非常に本作で強調されていました。つまり、少しずつ自分が恐怖を感じる事象に慣れていくことが重要だということです。

 

いきなり大きい刺激を受けてしまうと、観覧車に乗ってしまった葵みたいに壊れてしまいます。

焦らず治療を続け、自分のできる範囲で行動していくことが精神疾患を治す鍵なのかと思いました。

 

非常に鬱要素の強い作品です。よく議論に挙げられるのが、叔母さんと清太との関係です。

 

叔母さんが清太と節子に対し、強く当たるところがよく見えます。個人的に叔母さんは悪くないと感じました。

 

ただでさえ自分の娘を食わすのに必死なのに、清太と節子まで養うとなると余計苦しいです。清太が当時中学生とはいえ仕方のない対応かと思われました。

 

清太も困窮しているので、盗みを働いたりします。クズという一言で清太を断罪するのは簡単ですが、そうならざるを得ない状況下にあったのだと思います。

 

節子も節子で清太に心配をかけないよう、体調不良を隠したりしています。結果節子は清太より早く死んでしまいます。

 

迷惑をかけてもいいから、とりあえず問題は信頼できる人にすぐ共有した方が良いと思いました。相手を思いやる気持ちは大事ですが、自己犠牲的になるとよくないと感じました。清太も結局栄養失調で死んでしまいます。

 

昨今では特に災害も戦争も起こっていないので、平和に金を稼ぐことができ、飯を食らうことができます。しかし、作中ではそれはとても素晴らしいこととして間接的に描かれています。

 

「普通は普通ではない」ことが身にしみてわかる作品となっています。

 

はっきり言ってかなり気分を悪くする物語です。因果応報がしっかり色濃く残っている物語です。

 

石田は西宮をいじめていましたが、竹内先生に糾弾されることになり、今度は石田がいじめられる側になりました。石田は自分がいじめをして以降反省し、西宮と手話を用いてコミュニケーションをとろうとします。

 

いじめていた張本人が近寄ってくるという経験は、非常に虫唾が走るものだと感じられます。自分の罪を認めず、相手が悪いという態度を変えずに行動する人もいるので、その点石田は反省の色が見えるので良かったです。

 

竹内先生については正直仕方のない対応かなと感じました。島田も石田のいじめに加担はしていましたが、立ち回りがうまいので、糾弾される立場にはありませんでした。

 

石田全部に責任を押し付ける形が一番楽なので、そうしたまででしょう。そして、私がこの世で一番キライなキャラクターである川井みきについて話します。

 

いじめの主犯ではないですが、ちょくちょく西宮を煽る発言をした上で、自分に責任が回りそうになったら、泣き出して悲劇のヒロインぶる始末です。はっきり言って気持ちが悪いです。

 

多分無意識でそういった行動しているのでしょう。ですので、救いようはないです。

 

人間の根本は変わらないので、そのまま生きることでしょう。「自分だけが可愛い」という思考だと自己中な行動を無意識に引き起こすのだと改めて感じました。

 

私は改めて川井みきみたいな人間にだけはならないよう気をつけたいものです。

 

神ゲーです。

 

まずグラフィックの綺麗さが異常です。かなりゲームの世界に入り込めます。

 

なんといっても自然の美しさが素晴らしいです。そして、オープンワールドの形式を取っているので、自由度がかなり高いです。

 

クエストそっちのけでいろんな場所を旅してしまいます笑

 

絶対に壊れてしまう武器のシステムもかなり画期的でした。本システムにより、本作のリアリティーが非常に増していました。

 

そして、本作のタイトルであるブレスオブザワイルドは日本語訳に直すと、野生の息吹となります。そのタイトル通り、様々な野生動物が出現します。

 

その動物達を狩りとったり、はたまた愛馬にして乗りこなしたり、敵になったりします。

 

さらに、ゲームのセーブ面でも凄さを発揮しており、どのタイミングでもすぐにセーブが可能なので、ストレスレスにゲームを進めることが可能となっています。

 

ストーリーの方はかなり王道な展開をとっています。最終的には厄災ガノンを打ち倒しました。その際も、美しいグラフィックと共にゲームが終了を迎えました。

 

色んな面でハイクオリティーさを発揮した素晴らしいゲームだといえるでしょう。

 

主人公であるグレゴール・ザムザが、急に虫に変わってしまう物語です。

 

虫になった瞬間、家族からの反応は冷たくなります。つまり、どんな親密な関係性を保持していても、見た目が酷かったら相手にしてもらえないことを表しています。

 

かなり酷な事実です。そして、作者であるカフカは、虫を具体的なイメージで描こうとしませんでした。

 

つまり、どんな虫の姿かわからない状態なのです。では、虫はどういう象徴で本作に出されたのでしょうか。

 

それは、「役に立たない」という意味で出されたのだと思います。もう少し詳しくいうと、人間の役に立たないという意味で虫という存在を出したのだと思います。

 

虫になった以上、働きにも出られないですし、見た目も良いものとはいえません。そうなると、家族からも見放されるのです。

 

グレゴール・ザムザは作者自身を表しているといえます。カフカは文学の道を志そうとしましたが、カフカの父であるヘルマンはそんなカフカを冷笑的な目線で見ていました。

 

しかし、当時の時代背景として労働を重きに置いていた時代だったので、その背景とカフカの志望する文学の道とで、カフカ自身が自分の生きる道に迷っていたと解釈することができます。

 

つまり、役に立たないことが排除されることへの悲しみ、そんなに簡単に排除していいのかという作者の訴えが本作のメッセージとして受け取れます。

 

役に立たなくても、真に心に訴えるものがあればそれでいいのではないかと個人的には感じました。

 

名作です。

 

序盤のプロローグでは名言が出ています。

 

「重要なのは筋書ではない。枠組なのだ。」
「事の成否は、あとは己の知力と機転、そして何よりも運にかかっている。」

 

犯人である守須の計画は、かなり行き当たりばったりです。順に殺していくにしても、誰かに見られたら終わりです。

 

しかも、本土と島を行き来するのもかなりリスキーです。しかし、その分枠組という名の柔軟性を本作で発揮したともいえます。

 

これは現実世界でも同じことがいえます。仕事でうまくいかなかったり、人間関係で悩んでいたりしているときは筋書き部分でうまくいっていないことになりますが、大枠でうまくいく、つまり、ちゃんと社会人として適合して、お金をもらえていればいいという風に考え方をシフトチェンジすればいいのではないかと思いました。

 

そして、本作の鍵であるどんでん返しの部分の1文がこちらです。

 

「ヴァン・ダインです」

 

この一文だけで、犯人がヴァンであるのと同時に、ヴァン=守須であることが発覚します。一文だけですべてを悟ることができる構図が非常に素晴らしいです。

 

そして、犯行のすべてを記した小瓶を守須が海に流したのですが、それがラストで海をわたって再び守須の元に返ってきます。そして、守須は小瓶を探偵の島田にわたすよう近くにいた子どもたちに言います。

 

小瓶が島田や他の誰かにわたるのではなく、守須に渡るのが粋です。彼自身に最後の審判を託したかのような描写です。

 

最後は守須の自首で物語は終わりを告げます。彼の良心がこの結末にするよう仕向けたのでしょう。

 

非常にきれいな物語です。

 

非常に狂っている作品であり、はっきり言って気持ち悪い部分が多々あります。

 

まず大前提として、登場人物の大半が狂っています。S君は犬猫を殺していますし、ミチオはおじいさんを殺してますし、おじいさんは犬猫の手足を折っています。まともな人間が一人もいません。

 

最終的な結末としては、大体がミチオの妄想だったという結末になります。トカゲを妹のミカに見立てたりしています。そうやって現実逃避しないと精神が持たなかったことが伺えます。

 

そして、ミチオは家に火を放ちます。もう全てめんどうくさくなって、この物語を終わらしたかったのでしょう。そんなミチオの精神状態がわかるセリフがあります。

 

「僕だけじゃない。誰だって、自分の物語の中にいるじゃないか。自分だけの物語の中に。その物語はいつだって、何かを隠そうとしてるし、何かを忘れようとしてるじゃないか」

 

ミチオの例はかなり特殊ですが、多かれ少なかれみなさんも自分の都合の良いように物事を解釈しているのではないでしょうか。本当は自分が悪いのに、他人のせいにしないと自分が保てなかったり、認めたくない現実からその事実をなかったことにしようとしたりすることは誰にだってあると思います。

 

個人的には別に現実逃避しても良いのではないかと思います。あまりに現実を直視しすぎると、メンタルが壊れる可能性があるので、事実から逃げる選択は悪いことではないように思えます。

 

しかし、すべての事柄から逃げると、人生を棒に振ることになるので、そのあたりは調節が必要なのかなと感じました。