名作です。

 

本作のポイントは、主人公であるヒカルが一人で戦っていない点です。囲碁の天才である藤原佐為が後ろにつきながら囲碁を売っているのです。

 

神の一手を極めるために藤原佐為はヒカルについていたと思われがちですが、実は違います。五冠を保有している塔矢行洋と藤原佐為の対局を見せるためにヒカルについていたのだと思います。

 

つまり、藤原佐為が現世に蘇ったのは、自らの欲望のためではなく、ヒカルを成長させるため、ひいては囲碁の歴史を紡ぐためだといえます。

 

ヒカルが囲碁を打っている理由としてこう語られています。

 

遠い過去と遠い未来を繋げるため

 

この年にして、ここまで達観できているとは驚きです。つまり、囲碁の歴史の一端に自分が乗ることに誇りを持って囲碁を打っている感じがします。

 

それに加えて、私が刺さった名言を紹介します。

 

知っとるか?碁は2人で打つものなんじゃよ。碁は1人では打てんのじゃ。2人いるんじゃよ。1人の天才だけでは名局は生まれんのじゃ。等しく才たけた者が2人要るんじゃよ、2人。2人揃ってはじめて・・・神の一手に一歩近付く

 

ヒカルで言うところの塔矢アキラです。これは、囲碁に限らず私達にも同じことが言えると思います。

 

仕事であれば同期とか、学生であれば同級生とかがライバルになれば、より成長していくことでしょう。

 

最後に伊角慎一郎の名言で締めたいと思います。

 

目標だけどゴールじゃない。道はずっと続いている。

 

名作です。

 

まず六花が厨二病の影響によって、不可視境界線というものを編み出しました。これは、父親が死んだ際に、その死を受け入れられなかったことへの抵抗です。

 

不可視境界線の先に父親が存在するという設定のもと、六花は行動しています。つまり、現実逃避です。

 

しかし、一時的にその死を受け入れたシーンがありました。その際、中二病という病は消えていました。

 

しかし、時間が経ってから、六花はもとの厨二病の自分に戻っていました。そして、六花と対極の存在になるのが、七宮です。

 

六花が恋愛と厨二病という2つのものを総取りした女性で、七宮は「恋愛と中二病は両立しない」と主張し、実際そのように行動していた女性です。六花が両立させてしまった手前、七宮は後悔しますが、それでも変わらず厨二病を続ける選択肢を選びました。

 

個人的には七宮は勇太とともに結ばれたかったのではないかと感じます。しかし、七宮は優しい人間なので、六花に譲ります。

 

いい人間が不幸になる典型例が七宮かなと思います。六花は革命家で、七宮は保身の人と形容できると思います。

 

しかし、個人的にはどちらの人生が正しいかという意味合いではないと思います。七宮がその道を選んだのなら、それでいいと個人的には感じます。

 

しかし、少し不憫なキャラクターだなと思ってしまいます。

 

ロミオとジュリエットの要素がある作品だと個人的には感じました。

 

主人公のすずは割と引っ込み思案です。だから、周作の家族らにないがしろにされても、何も反抗できません。

 

しかし、内心は思うところがあるでしょう。タイトルは「世界の片隅で私を見つけてくれてありがとう」という意味合いがあるらしいです。

 

非常に自尊心が低いすずらしいセリフです。ただ、すずは他人に寄り添える優しさを持っているので、その部分が周作との仲を紡いだのでしょう。

 

本作は人さらいにさらわれて、最後にはすず自身が子供を拾っています。人さらいにあう子供から、自分が人を拾う大人へと変化していく様を描いたのかなと感じました。

 

遊女のリンが良いセリフを吐いています。

 

誰でもなんか足らんぐらいで、この世界に居場所はそうそう無うなりゃせん。

 

原爆にみまわれ、周作一家からもないがしろに扱われ、居場所がないことに悩むすずに対してのセリフです。

 

リンがこのセリフをはいている時点で、リンとすずは一つの居場所を共有していると思います。

そういった心が癒やされるフィールドが何個もあると人間は救われるのかもしれません。

 

「一人ぼっちの抵抗」という題が副題にふさわしい作品だと思います。前作の「君の名は」も二人の純愛物語でしたが、本作ではそれに加え、周りの人々を巻き込んでまでも純愛を貫く少年の姿が描かれています。

 

作中に出てきた銃は己を守るための道具ではなく、世界に反抗する道具として描かれています。世界に風穴を開けてでも、陽菜を守るというかなり痛痛しい選択をとっています。

 

純粋であるがゆえに、世界を巻き込む選択をしてしまった帆高。どこか新世紀エヴァンゲリオンの碇シンジを思い出します。

 

こうなると監督である新海誠さんもそういった人間なのではないかと思ってしまいます。

 

須賀は帆高にあるセリフを言い放っています。

まぁ、気にすんなよ青年 世界なんてさ、どうせもともと狂ってんだから

 

非常に心強い助言です。この言葉が帆高を後押ししたことでしょう。

 

須賀と帆高は無敵の人に少し似ている部分があるのかと思いました。その無敵の人を主人公に置いているのですから、新海誠監督も色々誹謗中傷とかされる中で、反論したい部分があったことでしょう。

 

名作です。

 

一期では前原圭一がかなり疑心暗鬼になっており、一人で物事を解決しようとします。何度かそのルートをたどったのですが、例外なく報われることはありませんでした。

 

しかし、二期にて周りの人達とともに問題に立ち向かうことによって事件を解決に導きました。どんな残酷なことが起きても仲間を信じて真実に立ち向かうことの素晴らしさを本作で教えてくれています。

 

そして、周りがおかしいのではなく、前原圭一本人自身がおかしいという一期の序盤の展開には驚かされました。作中では風土病となっていますが、現実世界でいうところの統合失調症にあてはまると思います。

 

でも、それも結局一人で解決しようとしたことが敗因であります。こういった惨劇ものの作品は、個人プレイで打開しようとする主人公(例:漫画『亜人』)がいたりするものですが、本作は真逆です。

 

憧れるのは亜人の方でしょうが、現実的な解決策は本作に眠っていると思います。なぜなら、普通の人間は亜人の主人公ほど天才的な頭脳を持っているわけではないからです。

 

つまり、前原圭一はいたって普通の人間で、天才ではないということです。

 

自分が偏愛する漫画です。つらい状況を変えていくストーリーが楽しめます。

 

主人公は結婚しているのですが、村の真実を変えるため奮闘します。自分が生き残るために、つまり自己利益のために奮闘して生き残ってきた漫画『亜人』の主人公である永井圭とは別のタイプの主人公です。

 

家族も守って、なおかつ村の不正をも許さない熱血漢ぶりが見られるのが本作です。

 

正直にいうと、人を食らうことで紡がれる伝統はひどいと思います。なぜ後藤家はその伝統にこだわり続けるか謎です。

 

ちゃっちゃとみんな幸せになればいいのにとずっと思っていました。変なこだわりは捨てたほうが身のためだと言うことがよくわかる作品です。

 

悲惨な状況下を作品内で表したかったのがよく伝わる作品です。ストーリーよりも設定を重視している作品だと感じました。

 

最後は家族団らんで終わるラストも、正直取ってつけたようなラストなので、そのあたりはもう少しストーリーとして深みが欲しかったと思います。

 

非常に興味深い漫画です。人に興味がなく、無表情ですが、ちゃんと良い人であるフジイを主人公においている漫画です。

 

はじめは嫌悪感を抱かれ、人から避けられるフジイですが、徐々に周りの人々がフジイという人間を理解し知ることで、フジイがみんなの輪に入っていく様がとても心が和みます。

 

傍から見たら、至ってつまらない人生を送っていそうなフジイですが、本人は楽しんでいるようです。普通一般人が持ち合わせている価値観に影響されることなく、自分の価値観で幸せを享受しているフジイは素晴らしいと思います。

 

そういう姿を見て、周りの人間も考え方を変えていきました。実際田中は嫉妬心が減っているように見受けられます。

 

石川も以前より人を好きになれたと発言しています。

 

しかし、そんなフジイも欠点があります。それは、感情表現が苦手なところです。それにより、周りがフジイを避けているように見えます。

 

しかし、それでも関わってくれる仲間がいれば自分は幸せだと思います。

 

非常に均整のとれた作品です。まず韓国映画の鉄板でもありますが、貧富の差が非常に強調されています。

 

半地下と豪邸、身なりの違い、匂い、学歴、就職など様々な部分で差があることをしきりに強調しています。日本映画ではそういった描写が少ないので、韓国はよりそういった貧富の差が国内で問題視されていることがわかります。

 

貧乏であるキム一家はパク一家に忍び込み金を稼ぐ手段をとりました。正直その手段が正しいとは思えません。

 

実際食べ物を盗んで食べたりもしています。金持ちとの格差に嫉妬で苦しみながらも正当な手段で金を稼ぐ道が良かったのではないかと思います。

 

そして、キム一家とパク一家の貧富の差は一生埋まらないことを階段で示しています。それは仕方のないことだと思います。

 

これは、別の比較でも同じ事が言えると思います。美男美女とブスの差だって一生埋まりません。

 

整形という手段をとれば別ですが、たいてい埋まりません。それと同じことだと個人的には感じます。

 

非常に現実的な映画だと感じました。

 

非常に良い映画です。魂が震えます。

 

テーマとしては「夢を諦めるな。情熱を持って事に当たれ」というところでしょう。メッセージ性という観点から見ると、かなり単調な映画に見えます。

 

しかし、時間が過ぎるのが一瞬の映画です。終始笑いっぱなしで、楽しめます。

 

私は冷めた感じで人生を送っていたのですが、「もっと熱量を持って事に当たってもいいのかな」と思うようになりました。本作は脳内麻薬に近い効果を持っています。

 

ほぼニートだったデューイが音楽講師として復興したのは嬉しく思います。

 

デューイのような大人は、一般的な大人からすると軽蔑の対象だと思います。「もっとまともになれ」と思うことでしょう。そんな思惑すらデューイはふっとばし、子供っぽく純粋にロックに向き合ったところは彼の一番良い部分だと感じました。

 

そのデューイや子どもたちの姿を見て、保護者や小学校の校長も子供っぽくなり、純粋に子どもたちのバンドを応援する姿は見ていて気持ちが良かったです。デューイや子どもたちの純粋さが伝染したのだと思います。

 

私はデューイの姿を見て、「もっと自分らしく振る舞ってもいいんだ」と思うようになりました。日本ではデューイの立ち振舞いは、アメリカより嫌悪されるでしょうが、彼から学ぶことは多いでしょう。かなり興奮しました。

 

素晴らしい作品です。

 

主人公のグイドは強い主人公ではないと思います。メンタルも強くはないと思います。

 

しかし、つらい状況でも、自らの想像力によって人生を美しくする能力に長けています。グイドは適応能力に長けていると思います。

 

つらい状況をどうやってやり過ごそうとか、「なんで自分だけこんなことになっているのか」とか、愚痴を吐いてもおかしくない場面で、グイドは一切愚痴をはかず、今この状況を美しくすることだけに注力していたように見受けられます。彼のロマンティックにする能力は見習いたいものです。

 

「おもしろきこともなき世をおもしろく」と詠んだ高杉晋作に通ずるところがあると思います。結局はどんな状況であろうと、自分の気持ちや心持ちで人生は変革することを本作で教えてくれたように思えます。

 

たまに機転を利かせてズルをする姿もグイドらしいと今では思います。最後まで自分の筋を通したグイドはかなりかっこいいと感じます。

 

メンタル強者ではないですが、人生強者であるといえます。心に残る作品となりました。感謝します。