名作です。

 

純粋で不器用なジェルソミーナと、粗野で不器用なザンパノの物語です。ザンパノは作中終始ジェルソミーナを雑に扱いますが、ラストシーンでジェルソミーナが死んだことが発覚した際、思い出の浜辺でなき崩れます。

 

失くして初めて気づく王道パターンですが、非常に綺麗なストーリーテリングをしています。

 

ザンパノの荒くれ者の感じは非常に理解できます。感情のコントロールがきかず、酒を飲んで暴れたり、激情にかられ、人を殺してしまったときもあります。

 

そんな男がジェルソミーナを失って、初めて涙を流すからこそ、この涙の価値が高くついたのだと思います。

 

そもそもジェルソミーナとザンパノが師弟関係であり、なおかつ男尊女卑の時代でもあったため、余計にジェルソミーナが自分にとって大切であったことに気づかなかったのだと思います。

 

ジェルソミーナはザンパノの役に立とうとするのですが、そもそもザンパノにとってジェルソミーナが他愛もない会話を仕掛けたり、そばにいるだけで良かったのだと思います。二人は一種の精神上の恋人関係であったと思います。

 

私も近くにいる人を大切に思う気持ちを忘れずにいたいものです。

 

映画史上最高傑作と呼び声の高い作品です。

 

当時の映像技術から考えたら、とんでもないことをしているらしいです。例えば、近景から遠景までピントをあわせて撮るパンフォーカスや、時系列の配列を入れ替える方法とかです。

 

そうした斬新な撮影手法を始めて使用したらしいです。

 

そして、ストーリーの構成も素晴らしいです。

 

新聞王ケーンが死ぬシーンから始まり、その際、「バラのつぼみ」と言い残し死にます。なぜ、「バラのつぼみ」と言い残したのかを追求していく形で物語が進んでいきます。

 

つまり、過去をさかのぼっていくスタイルをとっていたのです。今となっては当たり前のスタイルですが、当時では斬新な手法です。

 

肝心の内容も面白いです。ケーンは幼少期に母親に見捨てられ、養父に引き取られます。

 

そして、結婚も二回ほどするのですが、離婚してしまいます。

 

その際、「愛しているのは自分自身だ」と言われてしまいます。つまり、ケーンは昔から愛されたことがなかったので、人の愛し方もわからなかったのです。

 

これは、非常に悲しいことです。そして、肝心の「バラのつぼみ」の意味ですが、最後までわからずじまいでした。

 

しかし、その真相を探っていた記者がこう語ります。

 

「人生を一言で語るのは不可能なんだ。バラのつぼみはパズルの1つ。かけた1つのね。」

 

つまり、バラのつぼみ自体にあまり意味はなく、ストーリーを進めていく上でのとっかかりでしかないと主張しているように見受けました。一つ一つの要素はたいしたことないと訴えているのではないでしょうか。

 

しかし、最後に母親からもらったソリに「バラのつぼみ」と書かれていました。つまり、ケーンが欲しかったのは大量の財産でもなく、権力でもなく、母親の愛情だったのではないかといえます。

 

死ぬ間際にそう悟るのはなかなか粋な表現です。

 

互いに愛することの大切さを学べた一作です。

 

 

名作です。

 

タイムリープを繰り返し、いろんなサークルに入り直し、様々な世界線を経験していくストーリーです。シリアスな感じで話は進まず、常にポップな感じでストーリーが進んでいきます。

 

その感じが非常に心地よいです。ですので、話のテンポが非常に良いです。

 

小津という腐れ縁の悪友とだらだら喋って飯を食らう世界線が非常に心地よかったことに最終回で主人公は気づきます。

 

つまり、本作で伝えたかったのは、「今現在のなりげない世界が素晴らしい」ということを言いたかったのではないでしょうか。

 

大切なものは失ってから気づくとはよくいったものですが、本当にその通りだと思います。

 

ここで樋口師匠のセリフを書きます。

 

「可能性と言う言葉を無限定に使ってはいけない。我々という存在を規定するのは、我々がもつ可能性ではなく、我々がもつ不可能性である」

 

「我々の大方の苦悩は、あり得べき別の人生を夢想することから始まる。自分の可能性という当てにならないものに望みを託すことが諸悪の根源だ。今ここにある君以外、ほかの何物にもなれない自分を認めなくてはいけない。」

 

つまり、どの選択肢をとっても大して変わらない人生を歩むことを主張しているのではないでしょうか。私は大学時代全く楽しめずにいましたが、自分の不可能性にフォーカスを当ててみると、自分の選ぶ選択肢が変わったところで自分の思考回路は変わっていないので、違うルートを選んでいたとしても大して変わらなかったのではないかと思い始めました。

 

まず、自分の今の何気ない人生を抱き寄せ愛するところから始めてみようではありませんか。

 

 

 

名作です。

 

主人公であるネオは、反乱軍の一員として目覚めます。つまり、マトリックスという仮想現実から本当の現実世界に目覚め、機械軍に対し、反乱します。

 

しかし、機械軍の方が人間軍よりかなり強大な力を保有しており、正直なところ勝てる見込みはありません。それでも、反乱軍は戦いを仕掛けます。

 

つまり、「自分の人生は自分で決められる。」ということを言いたかったのではないでしょうか。ただただ、思考停止してマトリックスの中を生きる人生はさぞ虚しいでしょう。

 

自分で「こうしたい」という意志を持って行動することの大切さを本作で訴えているのではないでしょうか。昨今の日本人に特に足りない要素だと感じられます。

 

しかも、ネオはコンピュータープログラマーとして働く傍ら、ハッカーとしても活躍しています。この積極性を見習いたいものです。

 

そして、なんといっても本作の設定には興奮しかしません。電脳世界で戦うという要素だけで魂が震えます。

 

アクションシーンもかなりかっこよく、よくいわれるバレットタイムはスタイリッシュすぎます。

 

何回でもみたい作品です。

 

神映画です。

 

主人公であるアンドリュー・ニーマンはかなり狂っています。血を出しながらでも、ドラムを叩き続ける狂気性を持っています。

 

それに対し、鬼教官であるテレンス・フレッチャーも狂っており、かなり厳しい教育を主人公にほどこしています。

 

つまり、令和の時代にかなり昭和な音楽教育をしている鬼教官と、それに必死についていく主人公の姿が見られます。

 

なんといってもラスト9分19秒の演奏が素晴らしいです。私は食い入るように見ていました。

 

ただひたすら狂って演奏する主人公の姿が見られ、見ている側からしてもかなり興奮します。

 

お互い憎しみ合っていた二人が最後二人の力で素晴らしいハーモ二ーを紡ぎ出すのです。なぜか私はSLAM DUNKを思い出しました。

 

主人公はドラムに時間を費やすため、恋人との縁も切りました。それぐらいの狂気と熱心さ、そして努力がともなわないと到達できない壁が存在することの証明でもあります。

 

実際、主人公はラストの演奏シーンで、狂気とともに壁を壊しました。それは、鬼教官の指導であったり、自分自身の狂った努力量がそうさせたのだと思います。

 

最高の映画です。

 

物語シリーズ屈指の偏屈者であり、自分が最も作中で好きなキャラクターです。卑屈な目線で世界を見渡しながらも、真実をついた発言をする男です。

 

名言の数も非常に多いです。

 

「この世は奇跡でできている。概ね、どうでもいい奇跡で。」

 

前者だけだとありきたりなきれいな発言ですが、後の付け足しによって貝木泥舟ならではのネガティブ要素が乗っかっています。好かれることは軽んじられることで、嫌われることは重く捉えられていることという発言も良いです。

 

好かれるということは自分を下に見ていることになります。逆に嫌われるということは嫉妬されていたり、相手を上に見ています。非常に人間心理をついた発言です。

 

非常に面白い作品です。最後の最後まで本作の魅力に引き込まれました。

 

まず、はじめにいっておきたいのが、本作の主要人物は同一人物です。つまり、赤ん坊=ジェーン=ジョン=バーテンダー=爆弾魔です。

 

タイムトラベルを繰り返したことにより、こういった事態に陥りました。そうなるとタイムパラドックスが起きそうな感じもするのですが、よくよく考えるとパラドックスが起きていません。

 

そういったプロットにしたのが、まず原作者であるロバート・A・ハインラインが天才です。

 

原作である『輪廻の蛇』というタイトルも完璧です。

 

つまり、主要人物は自分自身をずっと憎んでいたことになります。その連鎖が複雑に絡み合った結果が本作の内容となっています。

 

そんな輪廻に囚われ続けた主人公ですが、最後にこう言い放っています。

 

1つだけ分かるのは お前は最高だってことだ お前がひどく恋しい

 

最高のラストだと思います。過去の自分に思いを馳せ、その上で「お前は最高だ」といいます。自己肯定の塊です。素晴らしいです。

 

EDクレジットの音楽もすごくかっこよかったです。輪廻に囚われ続けても必死に生きる素晴らしい姿が見れました。

 

ただただかっこいい漫画、それがBLEACHです。

 

そんなBLEACHのテーマは「護る」だと思います。主人公である黒崎一護という名前からもそう考察できます。

 

序盤では朽木ルキアを救うために一護は奮闘します。

 

そして、何より作画やキャラクター造形が非常にかっこいいです。尸魂界(ソウルソサエティ)や破面(アランカル)などネーミングセンスも抜群です。

 

よく「セリフが少ない」や「背景が白い」など揶揄されることもある漫画ですが、私はそこすらもかっこいいと思ってしまいます。

 

ウルキオラ戦でウルキオラから「未だ俺を倒せると思っているのか?」と言われた際、黒崎一護はこう返します。

 

てめえが俺より強かったら…俺が諦めると思ってんのか…?

 

相手が自分より優れていようと、関係ないと断じているシーンです。ある種の覚悟が見える黒崎一護のシーンです。

 

この覚悟は現実世界でも重要だと思えます。黒崎一護はかなり肝が座っています。しかも、自分のためではなく、人のためにずっと戦っています。

 

いや、人のために行動しているからこそ、ここまでの力を発揮できているといえるでしょう。

 

そういった人間に私もなりたいものです。

 

 

ジャンプ黄金期の中枢的な作品です。

 

本作のテーマは、「信じること」、「つながり」だと思っています。そのテーマを体現しているのが主人公であるナルトの親友であるサスケだと思います。

 

一度里を抜け出し、大蛇丸のところに行っていたときは、つながりが消えて、歪んだ人格になっていますし、その後イタチとの対戦により、つながりを取り戻し、木の葉隠れに復讐しようとしますが、その後紆余曲折あり、今度は木の葉を守ろうとします。

 

純粋であるからこそ何色にも染まってしまう幼さがあるのだと思います。それと同時に、つながりを感じているときのサスケは魅力的に見えます。

 

逆に一人で物事を成し遂げようとしたり、自己利益だけ考えるキャラクターは、全員負けています。それは、大蛇丸や大筒木カグヤ、うちはマダラ、サスケだったりします。

 

個人的にはペイン戦のラストが好きです。ナルトVSペインで能力バトルして、ナルトが勝つのではなく、ナルトがペインに対し対話を仕掛けて、その対話に納得した長門がナルトに未来を託してペイン編が終わります。

 

まさに信じる力によって物語を終わらせています。非常にNARUTOらしいラストだったと思います。

 

 

 

言わずとしれた名作です。

 

まずリアリティーが半端ないです。超人的な必殺技や、超能力などを使うわけではないので、本作に出てくる登場人物の技を実際に真似ることは可能です。

 

ですので、我々にも努力すれば真似できるという親近感がまずヒットした要因の一つでしょう。

 

2つ目の魅力はキャラクターです。作者である井上雄彦さんはこう語っています。

 

登場人物すべてに、かならず1つ欠点を作ること

 

完璧な人間はこの世であまり好かれません。どこか抜けていたり、天然だったりする人が愛されたりするのです。

 

本作でいうと、主人公である桜木花道は身体能力がかなり高いですが、バスケ経験はゼロです。流川楓はテクニシャンですが、体力があまりなく、ディフェンス力がありません。

 

そういった穴があるからこそ、本作の登場人物は愛されるのです。現実の人間も完璧な人間なんていません。そういった面で、ここでもリアリティーに沿っているのです。

 

名シーンとして、挙げられるのが、桜木と流川楓のハイタッチです。ずっとこの二人はいがみ合っていましたが、お互いの穴を埋め合いプレイを紡いだ結果、最終戦に得点をとりました。

 

お互いの存在を認めあった最高のシーンです。

 

そういった存在がリアルにいたら、嬉しいものです。