日本一人口の多い村、読谷村を天国にしちゃうぞ!

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イエス・キリストとともに歩む、NaturallyにSupernaturalなクリスチャン・ライフを綴っていきま〜す!

「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは、信じる者がみな、人の子にあって永遠のいのちを持つためです。」(ヨハネの福音書3章16節)

 天パパ(父なる神)のとてつもなく大きな愛、イエス様(子なる神)の驚くべき恵み、聖霊様との親しき友情が、このブログを訪れてくださったみんなとともにありますように!
"The amazing grace of the Master, Jesus Christ, the extravagant love of God, the intimate friendship of the Holy Spirit, be with all of you." (2 Corinthians 13:14; The Message Bible)
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皆さ〜ん、お久しぶり!ウインク

 

ちょっと書きたい記事があるので、お付き合いを。

 

 

9月28日午後6時過ぎ、インドネシアのスラウェシ島をM7.5の大地震が襲った。

今なお現地の人々は大きな困難と苦しみの中にあり、世界各国の援助と祈りが必要だ。

 

地震発生の直後に、自分の命と引き換えに、ひとりの若者が140名の命を救った。

 

彼の名は、アントニウス・グナワン・アグン。

 

「地震の中で決死の管制、殉職した男性に称賛の声 インドネシア」(AFP)

【10月1日 AFP】大地震と津波に見舞われたインドネシア・スラウェシ(Sulawesi)島の空港で、航空管制官(21)が揺れが続く中でも現場を離れるのを拒み、旅客機を無事に離陸させた。管制官はその後で脱出を試みたものの、重傷を負って亡くなった。国内では、命をかけて職務を全うした管制官を「英雄」とたたえる声が相次いでいる。

 

「命がけで出発便を守った管制官、国民が哀悼 インドネシア地震」(CNN)

アグンさんが命をかけて離陸させたバティック・エア便の機長はインスタグラムへの投稿で、「『バティック6231便、第33滑走路から離陸してください』。それが彼の最後の通信だった」とアグンさんをしのび、「無事に飛び立つまで私を守り続けてくれてありがとう」と追悼した。

 

イエス様の次のおことばを思い起こすよなぁ。

 

「友のために自分の命を捨てること、これ以上に大きな愛はない。」

(ヨハネの福音書 15章13節)

 

本当にアントニウス君は英雄だ。

 

詳しくは、上記の2本の記事のタイトルをクリックして、読んでちょうだいね。

 

 

さてと、今日書きたいと思ったのは、離陸に際して殉職したアントニウス管制官と交信したパイロットの話だ。
 

<バティック・エア6231便の奇跡>

2018年9月28日金曜日。

 

その日、バティック・エアで機長を務めるリコステ・マフェラ氏は、なぜだかわからないが、朝からずっと落ち着かない気分でいた。

今、彼はスラウェシ島パル空港に向かう飛行機の中で、操縦かんを握っている。そんな不安な気分を払拭したくなり、クリスチャンであるマフェラさんは、大声でワーシップソング音譜を歌い出した。

 

副操縦士が(彼はモスリムなのだが)「機長、ご自分のワーシップCDを出したらどうですか口笛」とからかう。

(右がリコステ・マフェラ機長)


パル空港への着陸態勢に入った時、強風で機体は不安定な状態だった。その時、マフェラ機長は、心の中で「声」を聞いた。

 

「もう1周、上空を旋回しなさい」

 

パル空港は二つの山脈の結び目に位置しており、パイロットの間ではその形状から、「死の谷」と呼ばれている。

マフェラ機長は、詩篇23篇を声を出して唱えた。

「たとい、死の陰の谷を歩くことがあっても、私はわざわいを恐れません。あなたが私とともにおられますから。あなたのむちとあなたの杖、それが私の慰めです。」(詩篇 23章4節)

無事パル空港に着陸すると、マフェラ機長はもう一度、聖霊なる神の御声を聞く。

「急ぎなさい!」

機長は客室乗務員にいつもより短い、20分間の休憩で戻って来るよう指示した。

彼自身はコックピットに残り、管制塔に連絡し、予定時間より3分早く離陸するための許可を求めた。

飛行機は離陸の準備に入った。マフェラ機長は、今は緊急事態であることを強く感じ、離陸を急ぐために、決められた飛行手順を無視して、本来は副操縦士が行うはずの役割の一部を自らが請け負った。

離陸の瞬間がやってきた。滑走路を走り出すと、マフェラ機長は自分でもなぜだかわからなほど力一杯に操縦かんを押し続けた。

まさにその時、インドネシアに甚大な被害をもたらしたマグネチュード7.5の巨大地震が始まったのだ。マフェラさんも副操縦士も、機体が左右に揺れるのを感じた。

マフェラ機長はこう振り返る。

「もし当初の予定時刻に離陸していたら、140名の乗客の命を守ることはできなかったでしょう。滑走路のアスファルトが、風でたなびくカーテンのように、上下に揺れ動いているのが見えましたから。」

無事離陸して、彼は管制官に連絡をとろうとした。しかし、再びその声を聞くことはできなかった。

 

(震災後の管制塔)


マフェラさんが連絡を取ろうとした管制官の名は、、、アントニウス・グナワン・アグンさん。

 

大地震の中、出発便を守るために決死で管制を続けて殉職した若き管制官の名は、世界中で知られることとなった。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 

聖霊の御声を聞いて、普段とは違うアクションを起こしたリコステ・マフェラ機長。

定刻より早い離陸を許可し、ただ一人管制塔に残ってバティック・エア6231便が無事離陸するのを見届け殉職したアントニウス・グナワン・アグン管制官。

神様はこの二人を不思議に結び合わせて、多くの命を救われたんだよな。

キラキラキラキラキラキラキラキラキラキラ


元ネタ記事はこちらダウン

"Indonesia: Christian airline pilot prompted to speed departure before earthquake and tsunami hit"

『子どもカフェ沖縄』を応援しよう〜音譜ラブラブ

 

おにぎりピザハンバーガーカレーラーメン寿司パスタ焼肉お弁当たこ焼きステーキナイフとフォーク 

スイカバナナりんごぶどうドーナツプリンソフトクリームパフェチョコロールケーキショートケーキコーヒージュース

 

こちらもダウン読んでね〜おねがい

子どもフードバンクの働き…<(_ _)>

 

 

あなたがたが、これらのわたしの兄弟たち、それも最も小さい者たちの一人にしたことは、わたしにしたのです。」(聖書・マタイの福音書 25章 40節)

 

受けるよりも与えるほうが幸いである。」(聖書・使徒の働き 20章 35節)

 

 

寄付・募金で支援されたい方へ

■ 振込先口座

◎ ゆうちょ銀行: 店番708 記号17010 番号18146661 シャ)コドモフードバンクケーエフビー

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◎ 琉球銀行: (普)店番504  口座番号1021853 コドモフードバンクケイエフビー
<子どもカフェ沖縄連絡先>

メール: kfokinawa@gmail.com

 

お久しぶり〜!!ウインク

 

知らないかもしれないけど、今も昔も、歴史上ずっと、信仰の故に迫害されているクリスチャンが世界中に大勢いるんだ。

 

オープン・ドアーズという宣教団体があって、立派な人たちで、そんな迫害下にある人々を長年にわたって支えてきた。

 

今日は、オープン・ドアーズのホームページから一本の記事を紹介しよう。

 

ダウンダウンダウン

 

刑務所の中で迫害下にある兄弟姉妹の重荷を負う

2018年4月16日 by ケイト・イェーツ


(スイスの400名の若者のフラッシュモブ。迫害下にある教会と信仰の故に獄中にある人々と連帯して)


今朝、私はとても重苦しい気持ちで筆をとっています。内戦の中に閉じ込められているシリアの人々娘たちが無事に戻って来るのを待ち焦がれているナイジェリアの家族の皆さんトルコで裁判にかけられているブランソン牧師とご家族のことを思うと、そうなのです。これは、私たちオープン・ドアーズ内のトップ記事に過ぎません。誰もが知っているとおり、私たちのまわりには余りにも多くの痛みや苦しみがあります。私たちは身近にいる人々のためなら、比較的容易に、励ましたり、困難の中にある彼らと一緒に祈ったりさえできます。一方で、この世界の反対側で暮らしている兄弟姉妹たちの重荷を、どのように背負っていくべきなのでしょうか。問題にすらならないことなのでしょうか?

私たちオープン・ドアーズは、これは非常に重要な問題であると信じています。苦しみに遭っている教会のことを心配し慈しむことは、すべての信者のDNAの中にあると固く信じています。ブランソン牧師も同じ思いをお持ちで、監獄の中で綴った手紙にこのように書いています。

 

「神の恵みが私を支えてくれていることを私は知っています。恵みを感じられない時でさえ、そうなのです。神を信じる人々の祈りが私を取り囲み、私に力を与えてくれるのです。私が最も恐れていることの一つは、この刑務所の中で忘れ去られてしまうのではないかということでした。忘れないでいてくださり感謝します!...それによって、私は一人ぼっちではない、しっかり立ってないといけないんだ、いつも神が導かれる方角に自分を顔を向けて、とわかるのです。」


獄中に届く祈り

「牢につながれている人々を、自分も牢にいる気持ちで思いやりなさい。」とへブル書 13章3節は私たちに命じています。

ニック・リプケンは、迫害下にある教会にミニストリーを行ってきた経験を綴った回想録「神の狂気(Insanity of God)」の中で、あるロシア人男性のことを書いています。ディミトリという人で、彼は家の教会を指導したかどで投獄されました。投獄後17年たったとき、看守はついにこの男の気力を挫いて、キリストを否定させる方法を見出しました。彼らは嘘をつき、妻は亡くなり息子二人だけが残されたとディミトリに信じさせたのです。

「その夜、ディミトリは独房のベッドに座りました。深い絶望の中にいました。希望を失い悲嘆に暮れていました。時同じくして、そこから数千キロも離れた場所で、家族が、妻と、父親がいない間に成長した子どもたちと、ディミトリの兄弟が、聖霊に示されて、獄中のディミトリが絶望の淵にあることを知ったのです。ディミトリがこの証しをシェアしてくれた時、私は彼の最愛の家族が集まっていた、まさにその場所に座っていました。彼の家族は輪になって跪き、大声で祈り始めました。奇跡が起こりました。生ける神の御霊が、最愛の家族の祈りの声をディミトリに聞かせてくださったのです。


時間を犠牲にすること

私たちの神は恵み深い方です! 一緒にいることができない時でさえ、困難にある人々に私たちが祈っていることを感じさせたり聞かせたりしてくださいます。ブランソン牧師は、信仰とイエス・キリストの証しの故に投獄されている多くの牧師の一人です。獄中にいる彼らを祈りに覚える方法は、私たち一人ひとり異なっていることでしょう。(ノリーン・ブランソン夫人がそうしているように)スマホのアラームをセットしたり、仕事に向かう通勤時間を利用したり、毎回の食前の祈りで祈ったり、教会で祈りのグループを立ち上げたりと。やり方に関わらず大切なのは、従順であることです。継続してイエス・キリストの信仰の故に獄中にいるブランソン牧師や他の牧師たちのために祈り、とりなしていくことです。

「祈り:リアル・バトル(Prayer: The Real Battle)」という本の中で、オープンドアの創始者であるブラザー・アンドリューとアル・ジャンセンは、私たちの兄弟姉妹たちのためにとりなすことを軽んじてはならないとはっきりと書いています。

「代償は大きなものです。本当に私たちの祈りが、そして近くと遠くにいる愛する人々へのとりなしが変化をもたらすものになってほしいのなら、私たちは犠牲を払わなければなりません。それはどれくらい重要なことなのでしょうか? あなたは、そして私は、何がしたいと望んでいるのでしょうか? 私たちは命を捨てるように召されていないかもしれません。しかし、犠牲をささげるのです。私たちはとりなしの祈りが毎日のルーチンの一部になるために、進んでスケジュール調整することを望んでいるでしょうか? 世界中で起きている困難な状況について継続的に情報収集することにコミットできるでしょうか? 世界中で日々兄弟姉妹たちが耐え忍んでいる苦しみを、自分自信の重荷として背負っていく覚悟はあるでしょうか? 神の答えが見えないとき、感じられないときでも、諦めないで祈り続ける決意があるでしょうか?」 


神をさらに信頼するための恵み

昨日、教会で「Tis So Sweet」(邦題は聖歌496番「主と主のことばに」)を歌いました。歌っているとき、歌詞の内容を考え、イエス様に信頼する世界中の兄弟姉妹たちのことを思いました。私には想像すらできないほどに困難な状況にある兄弟姉妹たちのことです。

’Tis so sweet to trust in Jesus,
イエス様に信頼するのはなんと麗しいことでしょう
Just to take Him at His Word;
ただ主のみことばに信頼することは
Just to rest upon His promise,
ただ主のお約束に信頼することは
And to know, “Thus saith the Lord!”
「このように主は言われる」と知っていることは

Refrainリフレイン:
Jesus, Jesus, how I trust Him!
イエス、イエス、あなたに信頼します!
How I’ve proved Him o’er and o’er;
何度も何度も主を証言してきたことでしょう
Jesus, Jesus, precious Jesus!
イエス、イエス、尊きイエス!
Oh, for grace to trust Him more!
恵みによってもっと主を信頼できますように!

礼拝が終わって、この讃美歌の歴史を調べました。他の多くの讃美歌がそうであるように、この歌も喪失感と苦しみの中から書かれたものでした。ルイーザ・M・R・ステッドは、悲劇的に夫を失った後に、この讃美歌を作詞しました。彼女の夫は、ロングアイランド湾で溺れていた少年を救おうとして、命を落としたのです。ルイーザと4歳の娘のリリーは、その一部始終を目撃しました。

ルイーザが夫を亡くした後に、この讃美歌を作詞し、なおイエスに信頼すると宣言したと知って、私はへりくだらされました。私はしばしば、自分が納得できると思う形で神様が働いてくださらないとき、いらいらしたりがっかりしたりするのです。しかし、ここでルイーザははっきりと言いました。私たちはイエス様に信頼するのです。なぜなら、主は死によって私たちにいのちを与えるために、先に進んでいかれたからです。

Oh, how sweet to trust in Jesus,
イエス様に信頼するのはなんと麗しいことでしょう
Just to trust His cleansing blood;
罪をきよめる主の血潮に信頼するのは
And in simple faith to plunge me
シンプルな信仰によって我が身を置く
’Neath the healing, cleansing flood!
主の癒やしと罪浄める血潮の下に!

最後の歌詞は私の祈りのことばでもありますが、私自身の人生にも、ブランソン牧師とご家族の人生にも、娘が無事に戻って来るのを待ち焦がれているナイジェリアの家族の皆さんにも、内戦の悲劇の中にいるシリアの人々にも、同様に当てはまるものです。

I’m so glad I learned to trust Thee,
あなたを信頼できるのは我が喜びです
Precious Jesus, Savior, Friend;
尊きイエスよ、救い主よ、我が友よ
And I know that Thou art with me,
あなたは私とともにおられます
Wilt be with me to the end.
世の終わりに至るまで

私は先に、牢につながれている人々を覚えているようにと指示するへブル書13章3節のみことばを引用しました。今、神様が誠実なる方であることを教えるみことばを引用して筆をおくことは、相応しいことのように私には思えます。それはへブル書13章5-6節です。

「『わたしは決してあなたを見放さず、あなたを捨てない」と言われたからです。ですから、私たちは確信をもって言います。『主は私の助け手。私は恐れない。人が私に何ができるだろうか。』」

イエス様、あなたをもっともっと信頼できるよう恵みをください!

 

キラキラキラキラキラキラ

おお〜、久々のブログだぁ〜。グラサン

 

おれのどうでもいいマイストーリー、「余は如何にして基督信徒となりし乎」を前回アップしたのが、ほとんど2ヶ月前。元来の怠け癖が出てしまったよ。口笛

 

一応、続きは下書きフォルダに入っているんで、そのうちにアップするよ〜。音譜

 

 

 

さて、もうすぐ、23回目の結婚記念日ラブラブを迎えるんだ。

 

当日は忙しいことがわかっているので、数日前に、タイヨーステーキハウス(Taiyo Steak House)で、二人でお祝いした。

 

一番人気メニューのボンレス・リブアイステーキ(Boneless Rib-eye steak)。これ、なんと400グラム!! ボリューム満点だけでなく、ジューシーで美味だったなぁ〜。キラキラ


あ、写真はぼくのじゃなくて、昨年11月に、バプテスマを受けに沖縄にやって来たYさんが注文したもの。

 

お肉屋さんのYさんも絶賛。笑い泣き

 

それで、この時に、次の記念日はここに来ようと決めたわけさ。

 

Yさんのバプテスマの記事はこちら右差し 「なすべきことは、すべてしなければならないのです」

 

 

 

23年間を振り返って、いろいろあったけど、結婚して家族で生きていくのはほんまに良いものだ、とつくづく思う。

 

神様は不思議に、結婚と同時に、そして、節目の5年目毎に、サプライズな祝福をぼくらに与えてくれたなぁ。

 

結婚して即シンガポールへ。仕事で行ったのだが、5年間の新婚旅行みたいなものだったぜ。ラブラブ音譜

この5年間のシンガポール暮らしが、実にディープなものだったんよ。

 

そして、5年目に日本帰国。

 

10年目に、特別養子縁組でハンサムな男の赤ちゃんが、我が家の長男にビックリマークチュー

これによって、ぼくらの生活は、良い意味で激変したなぁ。

 

15年目に、これまた仕事で英国に引越し。この年に会社を辞めるつもりでいたんだが、海外転勤の辞令が出て、予定変更。で、サラリーマン時代の最後の3年間を、ヨーロッパで暮らすことに。

 

20年目に(正確には19年目なんだが、まぁいいか)、これまた特別養子縁組でかわいい女の子がわが子に。ラブ

これは、息子の祈りに対する神様の答えなんだけど、いつかブログに書くかも、ね。

 

それにしても、娘のクラスメートの親御さんたちの若いこと、若いこと、、、ガーン

 

大丈夫、ぼくらの若さも、鷲のように新しくなる、と聖書に書いてあるからな。ウインク

 

 

 

さてさて、25年目にはどんな祝福(事件?)が待っているのだろうはてなマーク

 

あっ!ひらめき電球 東京オリンピックの年じゃないか!クラッカー

 

楽しみだなぁ〜口笛

 

おれたち、何処にいるんだろうはてなマーク

 

アバ、イエス様、よろしくね〜おねがい

 

 

詩篇103篇1-5節

わがたましいよ。主をほめたたえよ。
私のうちにあるすべてのものよ。
聖なる御名をほめたたえよ。

わがたましいよ。主をほめたたえよ。
主の良くしてくださったことを何一つ忘れるな。

主は、あなたのすべての咎を赦し、
あなたのすべての病をいやし、

あなたのいのちを穴から贖い、
あなたに、恵みとあわれみとの冠をかぶらせ、

5 あなたの一生を良いもので満たされる。
あなたの若さは、鷲のように、新しくなる。

 

「余は如何にして基督信徒となりし乎」 〜 マイストーリー 第4話だ〜 ウインク

 

昨日は、高校入試の真っ最中、ぼくの目の前に仁王立ちする白衣のおっちゃんの話で終わったよね。

 

明和高校の化学の先生だと思うんだが、このおっちゃんが、ぼくの人生にとても大切なお働きをしてくれるとは...びっくり

 

あ、白衣着てるけど、この方ではないよ〜てへぺろ 

 

 

試験会場の教室に入って自分の席が最前列にあることがわかった時、やだなぁ〜と思った。今の自分と違って、当時は極度に緊張する子だったんだよ。あせるあせるあせる

 

で、数学の試験。英語は自信があった。国語も不安はなかった。数学は苦手科目だったので、自分にとって、数学でベストを尽くすことが一番重要だった。

 

時間の勝負でもあるので、ともかく落ち着いて問題を読み、考え、回答しなければならない。自分なりに順調に問題を解いていた、その時だ。

 

突然、目の前に人の気配を感じた!

 

白衣を着た試験監督官が、手を伸ばせば触ることができる程の距離に、仁王立ちしているではないか。ガーン

 

おいおい、おっちゃん、気が散るよ〜、えーん

 

と言いたかったが、相手は試験監督官だし、当時のぼくは小心者で、怖くて見上げることができなかった。

 

どうしておれの答案用紙をじっとみつめているのだろう? 何か問題なの? そう考えると、冷静さを失ってしまい、落ち着いて問題に取り組むことができなくなった。頭が真っ白になってしまった。


ほんの数分だったのかもしれない。

 

しかし、ぼくには永遠のように感じた。

 

プレッシャーを感じて、完全にペースを乱されてしまったよ。

 

これ、いじめだよな〜むかっむかっむかっムキー

 

まぁ、言い訳に過ぎないけどね。

 

 

全科目が終了して、クラスメートと一緒に校門に向かって歩いていたときのこと、地元民法テレビ局のインタビューを受けた。

 

「自信のほどはいかかですか〜?」

 

と、明るい声で訊かれた。

 

ぼくは、おそらく無表情に、こう答えた。

 

「自信は... ありません ...」

 

 

その日の夕方6時のTVニュース。

 

愛知県の公立高校入試がトピックの一つで、明和高校でのインタビューシーンが出て来た。

 

おれはどんな表情でインタビューを受けたんだろう ・・・ 見たくないと言う思いと同時に、好奇心もあった。

 

どの受験生も笑顔でインタビューに答えていた。遂に終わった安堵感と、ベストを尽くした満足感が表情から読み取れた。

 

結局、ぼくのインタビューは流れなかった。正直、ほっとしたよ。

 

 

 

競争倍率は1.01倍。つまり、100名中、99名が合格する計算だ。

 

そんなわけで、試験の出来栄えに自信はなかったけど、100名中の99名よりも、100名中の1名になるほうが遥かに難しいはずだ、という変な理屈に基づく期待感も自分にはあった。

 

遂に合格発表日が来た。

 

まさかのまさかが現実になった。ガーン

 

ぼくの受験番号(名前?)は、合格発表の掲示板の中になかった。

 

何度さがしても、みつからなかった。

 

(100名のうちのたった一人におれは選ばれたんだ...)と言う変な理屈で、自分を慰めた。ショボーン

 

 

 

その夜、じっと正座させられて、両親からの説教を受けた。おそらく30分くらいだったろうが、自分には時計の針が止まっているように感じられた。

 

両親からは一言も慰めの言葉はなく、おれはひたすら責められ続けた。

 

悔しかったけど、涙は一滴も流れなかった。

 

世間体もあるし、親族や近所の好奇心の目もある。期待を裏切られたわけでもあるし、説教垂れたい気持ちはわかるよな〜。おれも今は親だ。グラサン

 

でも、親父とお袋は言葉にこそ出さないが、やはり我が子を愛してくれていたドキドキ。それで、条件付きで、滑り止めの愛知高校に入学することを認めてくれた。

 

1. よく反省して、勉学に励むこと。

2. (私立大学に行かせる経済的な余裕はないから)国公立大学を目指すこと。

3. 国公立大学が無理なら、卒業後に就職すること。

 

文句を言われっぱなしの自分であったが、一人だけ、慰めの言葉をかけてくれた人がいた。

 

従兄のかおる君だ。

 

彼はぼくより4歳年上で、浪人生だ。家族は関東に引っ越していたが、かおる君だけ地元に残って、ひとりで浪人生活を送っていた。

 

かおる君は時々、我が家に晩飯を食べに来ていた。その時も、そうだったんだろう。

 

「公立高校よりも愛知高校のほうがいいよ、と言う神様のお導きだよ〜口笛

 

さすがに受験に失敗して意気消沈している自分には、全然慰めにならなかった。

 

しかし、この何気ない発言が妙に印象に残ったのも事実。実にこれが脳裏に焼き付いて、生涯忘れることのない台詞になるとは、、、

 

つづく...

 

 

あなたが右に行くにも左に行くにも、

あなたの耳はうしろから

「これが道だ。これに歩め」

と言うことばを聞く。

(聖書・イザヤ書 30:21)