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日本一人口の多い村、読谷村を天国にしちゃうぞ!

イエス・キリストとともに歩む、NaturallyにSupernaturalなクリスチャン・ライフを綴っていきま〜す!

「余は如何にして基督信徒となりし乎」 マイストーリー 第3話だぜ〜グラサン

 

昨日、飯田先生との三者面談を始めるところまで書いた。受験する高校を決めるための重要な面談だ。

 

 

中学生になってから、ずっと、親父に言われてきたことがあった。うちは貧しい家庭だから、とても私学の高校や大学には行かせられない、と。

 

当時、名古屋市は学校群制度を採用していた。国公立大学進学を目指すためには、6群(明和・中村)以上でなければならない、と言うのが親父の持論だった。

 

親父はもう一つ、妙な持論をもっていた。それは、珠算有段者なら、高卒であっても銀行に入って出世できるというものだった。この場合、普通科ではなく、商業高校でなければならない。

 

親父の友人に二人、珠算有段者かつ商業高校卒がいて、銀行で順調に出世街道を歩んでいたからだと言う。

 

そんなわけで、中3にもなって、ぼくは依然として珠算塾に通い続けていた。同級生でそろばんを習っているのは誰もいなかった。

 

はっきり言うと、おれはそろばんが大嫌いだった。嫌々習っていたから、上達も遅い。

 

中学入学の時、やめたい、と両親に懇願した。しかし、これはお前の将来のためだと、親父に猛烈に怒られてしまった。

 

中学1年の2学期に、成績がガタ落ちした。将来を案じた両親は、部活に精を出しているのが問題だと、卓球部をやめるように言った。

 

本当は、珠算塾通いをやめたかった。それで、ますますそろばんが嫌いになった。

 

 

三者面談に話を戻そう。

 

親父は飯田先生に尋ねた。

 

「息子は6群を受験できるでしょうか?」

 

飯田先生は、はっきりと言った。

 

「6群は難しいです。しかし、

 

 7群(明和・松蔭)なら、大丈夫ですよ。7郡を受験しましょう。」

 

6群が無理なのは、既にわかっていたことだった。7群を受けたかった。しかし、親父は信念をもって、こう言った。

 

「それでは、先生、息子には(愛知県立)愛知商業高校を受験させます。」

 

親父は明和高校は信頼していたが、松蔭高校を認めてなかったのだ。

 

目の前が真っ暗になった。ああ、おれの人生はこれでおしまいだ、と思ったかどうか記憶にないが、暗い気持になったのは確かだ。

 

親父は持論を展開して、どうして愛知商業高校に行かせたいかを説明した。

 

飯田先生は、礼を尽くしながらも、親父を諭すかの如くこう話してくれた。

 

「お父さん、おっしゃることはわかります。確かに、そのような時代がありました。しかし、時代は目まぐるしく変化しています。お父さんのご友人が経験したことを、息子さんが経験することは今後はもうないでしょう。これからの時代、大学に行ける人は、絶対に大学に行くべきです。また、国公立大学を目指すのに、松陰高校でも問題はありません。7群を受けさせてやりましょう。それが息子さんの将来のためです!」

 

 

奇跡が起きた。十字架

 

生まれて初めて、親父が持論を引っ込めるのを見たのだ。目

 

飯田先生はぼくを救ってくれた!ラブラブ

 

嬉しかった。心の中で「バンザ〜イ!クラッカー」と叫んだよ。爆  笑

 

晴れて名古屋7群を受験することが決まった。

 

 

 

受験の季節がやってきた。

 

まずは、1月に〝滑り止め〟の愛知高校(私学)を受験した。

 

ついに公立高校の受験日がやってきた。その年の7群受験会場は、愛知県立明和高校だった。

 

数学の試験が始まった。ぼくは最前列に座っていた。一所懸命に問題を解いていると、ふと、目の前に人の気配を感じた。

 

ちらっと目をやると、白衣が見えた。化学の先生なんだろうか。試験監督をしていた白衣のおっちゃんが、ぼくの目の前に仁王立ちしているぞ...ガーン

 

To be continued...

 

 

主よ。あなたは私を探り、
私を知っておられます。
あなたこそは私のすわるのも、
立つのも知っておられ、
私の思いを遠くから読み取られます。
3 あなたは私の歩みと私の伏すのを見守り、
私の道をことごとく知っておられます。

(詩編 139:1-3)

 

人生に偶然はない。

 

あらゆることを用いて、ご自分のもとに立ち返るようにと、神様がぼくらを導いているから。

 

天パパ(父なる神)が導かれない限り、ぼくらは決して、神の子であり救い主であるイエスと出会えない。

わたしをお遣わしになった父が引き寄せてくださらない限り、だれもわたしのところへは来られません。わたしのところに来る者を一人残らず、わたしは終わりの日に復活させるのです。(ヨハネの福音書 6:44)

イエス様と個人的な関係をもつことなしに、ぼくらは罪赦されて神の子どもとされることはない。

「わたしが道です。そして真理でもあり、いのちでもあります。わたしを通らなければ、だれ一人、父のところへは行けません。」(ヨハネの福音書 14:6)

しかし、すべての人が救われて天国に帰って来てほしい、というのが天のお父さんの願いだから、常にぼくらをイエス様との出会いに導いてくれているんだ。

神はすべての人が救われて、真理を理解するに至ることを切に望んでおられます。(1テモテへの手紙 2:4)

だから、人生に偶然はない。

 

必ずすべての人に神の導きがあるんだ。

 

聖霊なる神様が、今、このブログを読んでいあるあなたの心にも、語りかけているんだよ。

 

 

 

水戸黄門の主題歌に、「人生楽ありゃ苦もあるさ音譜」という歌詞があるよね。

 

楽しいことも、苦しいことも、神様はご自分の計画を遂行するために用いてくれる。

わたしは、おまえたちのために立てた計画をよく知っている。それは災いではなく祝福を与える計画で、将来と希望を約束する。(エレミヤ書 29:22)

振返ってみると、ああ、あの時、確かに神様がそばにいてくれてたんだなぁ〜、とわかる。

 

自分の歩みの中に神様が残された足跡 ・・・ 誰もがそれを持っている。

 

それがわかると、神様に愛されていることがわかる。

 

十字架の愛がわかるはずだ。

 

あなたにもそれに気付いてほしい・・・、と神様は願っているよ。

 

 

 

さて、ぼくが辿ることができる最初の神様の足跡 ・・・、 

 

それは名古屋市立豊正中学校の3年の時、担任の飯田和実先生との出会いにまで遡る。

 

お名前の和実は、「かずみ」と読む。最初のクラスで、「よく女性と間違われる」と飯田先生は言っていた。そう、男の先生だ。

 

運命の転機は、受験校を決めるための、三者面談の時に訪れた。

 

ぼくは親父と一緒に、机を挟んで飯田先生と向かい合わせに座った。

 

つづく.........かな〜口笛

 

「余は如何にして基督信徒となりし乎」(よはいかにしてきりすとしんととなりしか)

 

内村鑑三さんの自伝だ。

 

歴史の教科書にも出ているはてなマーク有名人だよね。

 

オリジナルは英語で書かれ、タイトルは"How I Became a Christian"。

 

高校時代に読書に目覚めて、文庫本を読み漁った時期があった。その時、この本も読んでみたいと思ったのだが、手付かず。

 

で、ついさっき、アマゾンで中古本を注文した。

 

 

さて、昨年暮れあたりから、ずっと神様に語られていることがある。

 

「ストーリ〜音譜を書きなさい」と。

 

なんのですか〜はてなマークはてなマークはてなマーク

 

「君のだよ爆  笑

 

ガーンガーンガーン

 

 

2015年8月に、生まれて初めてブログなるものを始めた。

 

聖書の世界観神の愛を、いろんな人に伝えたいと思ってね。

 

しかし、面倒くさがり屋で、怠け者のおれは、長らくブログを更新することがなかった。

 

これじゃまずいなぁ〜と思い、ちょっと心を入れ替えて、去年の11月に再出発した。

 

その間、ブログを更新する度に、天パパ(父なる神)とイエス様は、「違うよ、違うよ、違うよ...」と言うてはったんだろうな〜キョロキョロ

 

 

先日、S先輩が沖縄を訪れた。

 

Sさんは世界中を旅している人で、アジアのキリスト教が話題になった。

 

台湾で、少数民族の皆さんと出会った。少数民族の多くが、戦後、クリスチャンになった。

 

「どうしてあなたがたはクリスチャンになったの?」と質問した。

 

その時、Sさんは、彼らのストーリーを聞いたはずだ。

 

なんだか神の摂理を感じるな〜。

 

 

クリスチャンになってわかったことがたくさんある。

 

その一つは、人生に偶然はないと言うこと。

 

神の視点では、すべてが必然なんだ。

 

神を知るチャンスは、すべての人に平等に与えられている。

 

すべての人が神に愛されているから。

 

あらゆる出会い、出来事、たとえそれがネガティブなことであっても、それを用いて、神様はあなたをご自分のもとに導いているんだ。

 

ここで誤解してほしくないのは、酷い仕打ちを受けたこと、裏切られたこと、傷つけられたこと、大病に苦しんだこと、あらゆる苦難や不幸 ・・・ これらは決して神があなたの人生に送ったものではない。

 

しかし、そんな負の体験をも、神は用いてくださる。

 

プラスに変えてくれる。

 

 

すべての人の人生に、神様が残された足跡がある。

 

この足跡に気付き、それを辿っていくと、あなたも神に愛されていることがわかるかもしれない。

 

今日から、自分の人生に残された神の足跡を辿って、「余は如何にして基督信徒となりし乎」〜 マイストーリー 〜を綴っていこう。キラキラ

 

 

 

と言うことで、今後、連載していくつもりなんだけど、、、

 

いつスタートして、どのくらいの頻度で、何を書いていくか、自分でもわからない。

 

お待たせするのもなんなので、

(えっ、別に待ってない?、そうだよね〜口笛

 

お友だちのかずみんさんのメラメラストーリー音譜を紹介しよう。ウインク

 

もう、おれが書かなくてもいいかもな。グラサン

 

 

詩篇32 (リビングバイブル訳)

1-2 罪を赦された人は、どれほど幸せなことでしょう。

罪がすっかり消された喜びは、
どれほど大きいことでしょう。
罪を告白し、その記録を消し去ってもらった人は、
どれほど解放感を味わうことでしょう。


3 私には、罪を認めたくない時がありました。
しかし、私はかえってみじめになり、
くる日もくる日も挫折感にとらわれて過ごしました。
4 神の御手が、いつも重くのしかかっていました。
私の力は、強烈な日ざしの照りつける
水たまりのように干上がりました。
5 とうとう私は、自分の罪を
神の前にさらけ出さざるをえませんでした。
「何もかも主にお話ししよう」と決心したのです。
すると、あなたは赦してくださいました。
私の罪は跡形もなく消えたのです。
6 私は神を信じる人々に、
自分の罪に気づいたら、まだ赦される間に
神に告白しなさいと、大声で忠告します。
そうすれば、その人はさばきを免れるのです。


7 この人生に、どんな嵐が吹き寄せようと、
私は神のもとに避難します。
そこでは勝利の歌が響き、
苦しみに巻き込まれることがないからです。
8 主はこう言われます。
わたしはあなたを教え、最善の人生へと導こう。
助言を与えて、一歩一歩を見守ろう。


9 くつわをはめなければ言うことを聞かない、
馬やらばのようになってはいけない。
10 悪者どもは次々と悲しみに見舞われますが、
主に信頼する人は無限の愛に包まれます。
11 ですから、神のものとなっている人々は喜びなさい。
神に従おうとする人々は、
喜びの声を上げなさい。

 

詩篇34篇 (新改訳改訂第3版)

 

ダビデによる。彼がアビメレクの前で気が違ったかのようにふるまい、彼に追われて去ったとき

 

私はあらゆる時にをほめたたえる。
私の口には、いつも、主への賛美がある。
2 私のたましいはを誇る。
貧しい者はそれを聞いて喜ぶ。
3 私とともにをほめよ。
共に、御名をあがめよう。


4 私がを求めると、主は答えてくださった。
私をすべての恐怖から救い出してくださった。
彼らが主を仰ぎ見ると、彼らは輝いた。
「彼らの顔をはずかしめないでください。」
この悩む者が呼ばわったとき、
は聞かれた。
こうして、主は凡ての苦しみから彼を救われた。
の使いは主を恐れる者の回りに陣を張り、
彼らを助け出される。
のすばらしさを味わい、これを見つめよ。
幸いなことよ。彼に身を避ける者は。


9 を恐れよ。その聖徒たちよ。
彼を恐れる者には乏しいことはないからだ。
10 若い獅子も乏しくなって飢える。
しかし、を尋ね求める者は、
良いものに何一つ欠けることはない。


11 来なさい。子たちよ。私に聞きなさい。
を恐れることを教えよう。
12 いのちを喜びとし、しあわせを見ようと、
日数の多いのを愛する人は、だれか。
13 あなたの舌に悪口を言わせず、
くちびるに欺きを語らせるな。
14 悪を離れ、善を行え。
平和を求め、それを追い求めよ。
15 の目は正しい者に向き、
その耳は彼らの叫びに傾けられる。
16 の御顔は悪をなす者からそむけられ、
彼らの記憶を地から消される。
17 彼らが叫ぶと、は聞いてくださる。
そして、彼らをそのすべての苦しみから救い出される。


18 は心の打ち砕かれた者の近くにおられ、
霊の砕かれた者を救われる。

19 正しい者の悩みは多い。
しかし、はそのすべてから彼を救い出される。
20 主は、彼の骨をことごとく守り、
その一つさえ、砕かれることはない。
21 悪は悪者を殺し、
正しい者を憎む者は罪に定められる。
22 はそのしもべのたましいを贖い出される。
主に身を避ける者は、だれも罪に定められない。