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イエス・キリストとともに歩む、NaturallyにSupernaturalなクリスチャン・ライフを綴っていきま〜す!

お久しぶり〜!!ウインク

 

知らないかもしれないけど、今も昔も、歴史上ずっと、信仰の故に迫害されているクリスチャンが世界中に大勢いるんだ。

 

オープン・ドアーズという宣教団体があって、立派な人たちで、そんな迫害下にある人々を長年にわたって支えてきた。

 

今日は、オープン・ドアーズのホームページから一本の記事を紹介しよう。

 

ダウンダウンダウン

 

刑務所の中で迫害下にある兄弟姉妹の重荷を負う

2018年4月16日 by ケイト・イェーツ


(スイスの400名の若者のフラッシュモブ。迫害下にある教会と信仰の故に獄中にある人々と連帯して)


今朝、私はとても重苦しい気持ちで筆をとっています。内戦の中に閉じ込められているシリアの人々娘たちが無事に戻って来るのを待ち焦がれているナイジェリアの家族の皆さんトルコで裁判にかけられているブランソン牧師とご家族のことを思うと、そうなのです。これは、私たちオープン・ドアーズ内のトップ記事に過ぎません。誰もが知っているとおり、私たちのまわりには余りにも多くの痛みや苦しみがあります。私たちは身近にいる人々のためなら、比較的容易に、励ましたり、困難の中にある彼らと一緒に祈ったりさえできます。一方で、この世界の反対側で暮らしている兄弟姉妹たちの重荷を、どのように背負っていくべきなのでしょうか。問題にすらならないことなのでしょうか?

私たちオープン・ドアーズは、これは非常に重要な問題であると信じています。苦しみに遭っている教会のことを心配し慈しむことは、すべての信者のDNAの中にあると固く信じています。ブランソン牧師も同じ思いをお持ちで、監獄の中で綴った手紙にこのように書いています。

 

「神の恵みが私を支えてくれていることを私は知っています。恵みを感じられない時でさえ、そうなのです。神を信じる人々の祈りが私を取り囲み、私に力を与えてくれるのです。私が最も恐れていることの一つは、この刑務所の中で忘れ去られてしまうのではないかということでした。忘れないでいてくださり感謝します!...それによって、私は一人ぼっちではない、しっかり立ってないといけないんだ、いつも神が導かれる方角に自分を顔を向けて、とわかるのです。」


獄中に届く祈り

「牢につながれている人々を、自分も牢にいる気持ちで思いやりなさい。」とへブル書 13章3節は私たちに命じています。

ニック・リプケンは、迫害下にある教会にミニストリーを行ってきた経験を綴った回想録「神の狂気(Insanity of God)」の中で、あるロシア人男性のことを書いています。ディミトリという人で、彼は家の教会を指導したかどで投獄されました。投獄後17年たったとき、看守はついにこの男の気力を挫いて、キリストを否定させる方法を見出しました。彼らは嘘をつき、妻は亡くなり息子二人だけが残されたとディミトリに信じさせたのです。

「その夜、ディミトリは独房のベッドに座りました。深い絶望の中にいました。希望を失い悲嘆に暮れていました。時同じくして、そこから数千キロも離れた場所で、家族が、妻と、父親がいない間に成長した子どもたちと、ディミトリの兄弟が、聖霊に示されて、獄中のディミトリが絶望の淵にあることを知ったのです。ディミトリがこの証しをシェアしてくれた時、私は彼の最愛の家族が集まっていた、まさにその場所に座っていました。彼の家族は輪になって跪き、大声で祈り始めました。奇跡が起こりました。生ける神の御霊が、最愛の家族の祈りの声をディミトリに聞かせてくださったのです。


時間を犠牲にすること

私たちの神は恵み深い方です! 一緒にいることができない時でさえ、困難にある人々に私たちが祈っていることを感じさせたり聞かせたりしてくださいます。ブランソン牧師は、信仰とイエス・キリストの証しの故に投獄されている多くの牧師の一人です。獄中にいる彼らを祈りに覚える方法は、私たち一人ひとり異なっていることでしょう。(ノリーン・ブランソン夫人がそうしているように)スマホのアラームをセットしたり、仕事に向かう通勤時間を利用したり、毎回の食前の祈りで祈ったり、教会で祈りのグループを立ち上げたりと。やり方に関わらず大切なのは、従順であることです。継続してイエス・キリストの信仰の故に獄中にいるブランソン牧師や他の牧師たちのために祈り、とりなしていくことです。

「祈り:リアル・バトル(Prayer: The Real Battle)」という本の中で、オープンドアの創始者であるブラザー・アンドリューとアル・ジャンセンは、私たちの兄弟姉妹たちのためにとりなすことを軽んじてはならないとはっきりと書いています。

「代償は大きなものです。本当に私たちの祈りが、そして近くと遠くにいる愛する人々へのとりなしが変化をもたらすものになってほしいのなら、私たちは犠牲を払わなければなりません。それはどれくらい重要なことなのでしょうか? あなたは、そして私は、何がしたいと望んでいるのでしょうか? 私たちは命を捨てるように召されていないかもしれません。しかし、犠牲をささげるのです。私たちはとりなしの祈りが毎日のルーチンの一部になるために、進んでスケジュール調整することを望んでいるでしょうか? 世界中で起きている困難な状況について継続的に情報収集することにコミットできるでしょうか? 世界中で日々兄弟姉妹たちが耐え忍んでいる苦しみを、自分自信の重荷として背負っていく覚悟はあるでしょうか? 神の答えが見えないとき、感じられないときでも、諦めないで祈り続ける決意があるでしょうか?」 


神をさらに信頼するための恵み

昨日、教会で「Tis So Sweet」(邦題は聖歌496番「主と主のことばに」)を歌いました。歌っているとき、歌詞の内容を考え、イエス様に信頼する世界中の兄弟姉妹たちのことを思いました。私には想像すらできないほどに困難な状況にある兄弟姉妹たちのことです。

’Tis so sweet to trust in Jesus,
イエス様に信頼するのはなんと麗しいことでしょう
Just to take Him at His Word;
ただ主のみことばに信頼することは
Just to rest upon His promise,
ただ主のお約束に信頼することは
And to know, “Thus saith the Lord!”
「このように主は言われる」と知っていることは

Refrainリフレイン:
Jesus, Jesus, how I trust Him!
イエス、イエス、あなたに信頼します!
How I’ve proved Him o’er and o’er;
何度も何度も主を証言してきたことでしょう
Jesus, Jesus, precious Jesus!
イエス、イエス、尊きイエス!
Oh, for grace to trust Him more!
恵みによってもっと主を信頼できますように!

礼拝が終わって、この讃美歌の歴史を調べました。他の多くの讃美歌がそうであるように、この歌も喪失感と苦しみの中から書かれたものでした。ルイーザ・M・R・ステッドは、悲劇的に夫を失った後に、この讃美歌を作詞しました。彼女の夫は、ロングアイランド湾で溺れていた少年を救おうとして、命を落としたのです。ルイーザと4歳の娘のリリーは、その一部始終を目撃しました。

ルイーザが夫を亡くした後に、この讃美歌を作詞し、なおイエスに信頼すると宣言したと知って、私はへりくだらされました。私はしばしば、自分が納得できると思う形で神様が働いてくださらないとき、いらいらしたりがっかりしたりするのです。しかし、ここでルイーザははっきりと言いました。私たちはイエス様に信頼するのです。なぜなら、主は死によって私たちにいのちを与えるために、先に進んでいかれたからです。

Oh, how sweet to trust in Jesus,
イエス様に信頼するのはなんと麗しいことでしょう
Just to trust His cleansing blood;
罪をきよめる主の血潮に信頼するのは
And in simple faith to plunge me
シンプルな信仰によって我が身を置く
’Neath the healing, cleansing flood!
主の癒やしと罪浄める血潮の下に!

最後の歌詞は私の祈りのことばでもありますが、私自身の人生にも、ブランソン牧師とご家族の人生にも、娘が無事に戻って来るのを待ち焦がれているナイジェリアの家族の皆さんにも、内戦の悲劇の中にいるシリアの人々にも、同様に当てはまるものです。

I’m so glad I learned to trust Thee,
あなたを信頼できるのは我が喜びです
Precious Jesus, Savior, Friend;
尊きイエスよ、救い主よ、我が友よ
And I know that Thou art with me,
あなたは私とともにおられます
Wilt be with me to the end.
世の終わりに至るまで

私は先に、牢につながれている人々を覚えているようにと指示するへブル書13章3節のみことばを引用しました。今、神様が誠実なる方であることを教えるみことばを引用して筆をおくことは、相応しいことのように私には思えます。それはへブル書13章5-6節です。

「『わたしは決してあなたを見放さず、あなたを捨てない」と言われたからです。ですから、私たちは確信をもって言います。『主は私の助け手。私は恐れない。人が私に何ができるだろうか。』」

イエス様、あなたをもっともっと信頼できるよう恵みをください!

 

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