たらちねの伝言 -3ページ目

たらちねの伝言

日本の若い娘たちへ

たらちねの伝言 12

 

私はモテる。でもいくら本当のことでも「モテる」と言うとたいていの人に引かれる。自慢だと思われて敬遠されるようだ。日本の社会生活の中では事実でも言っていいことと悪いことがある。私は友達が欲しいとか人に好かれたいとか全く思わないので、人を傷つけない限り好きなことを言うが、人から良く思われたい人はモテていても言わないほうがいい。

 

ちょっと昔の朝ドラで中華料理人が「好きじゃない人に触られたら気持ち悪いだけでしょ。」って言う台詞があった。役柄と相まっておもしろく、思わず吹き出した。これは実に的を射た名言なのだ。好きな人に好かれれば嬉しいが、好きでもない人にいくら好かれても困るだけだ。結局いくらモテても意味がないということ。だから私はモテることは自慢にはならないと思う。モテることがすごくいいことだとも思わない。10人に好きと言われてもその中に自分の好きな人がいなくて、自分の好きな人は自分のことを好きじゃなかったら、10人にモテることに何の意味があるだろう?自分の好きな人に愛されればもう何もいらない。

 

今月は引っ越しをする予定で忙しい。オランダは家賃がべらぼうに高い。日本はピンキリで高級住宅もあれば安いアパートもあるが、オランダは下限が高い。安いアパートはキッチンバス共有だ。共有のアパートも考えたが、書き物をするのでやっぱり一人の空間が必要だ。そんなとき、仕事関係の人が引っ越し先を紹介してくれた。紹介してくれた部屋はかなり田舎だが素敵な家なのに格安にしてくれて有難い。問題はその知人の家のすぐ近くということだ。彼は確実に私を落とそうとしている。彼はとてもいい人だが、私の直感はNoと言っている。友達にはなれるが恋人にはなれない。以前も触れたが、私は直感で恋人になれないと思った人は何年経っても恋人になれない。彼は夏になったらオートバイの後ろに私を乗せてツーリングし、私の好きな犬を飼おうと計画している。

 

部屋を借りるのならうまくかわしながら生活しなければいけない。生きるのはサバイバルなのだ。彼を傷つけたり弄んだりするつもりは毛頭ないが、私はこういう状況に慣れているので結構上手に立ち振る舞う。でもちゃんと恋人を作って彼を遠ざけたほうがいいのかもしれない・・・現状の私はデートしているが、決まった恋人はいない。ただ人生楽しんでいるだけだ。・・・でも部屋を借りたからといって彼と付き合わなきゃいけないわけじゃないし・・・でも・・でも・・とあれこれ考えあぐねて面倒くさくなってしまう。

 

若い娘さんたち、モテるということに何の意味もないことがわかったでしょ?モテないと嘆くことなかれ。自分の好きな人にだけモテるのが一番いいのだ。愛する人に愛される人であればいい。

 

「好きな人と付き合うか、好きになってくれた人と付き合うか。」という問題があるがこれはまた今度にしよう。

たらちねの伝言 11

 

私は自分の直感に近い感覚でいつも人を好きになる。だから地位や収入は二の次になる。第六感というか感覚がすべてだ。シャーマンか?超自然的能力か?いや、いたって自然な能力だと思う。私は出会って3秒でその人と寝られるかわかると言うと、友人は2秒だと言っていた。私たちに野生の能力が残っているのかどうかはわからないが、この感覚は正しいので最初の感覚が友達なら何年経っても友達だ。

 

今やAIで結婚相手を選ぶ時代になった。年収一千万円以上の男とだけ会うことができる。地位、収入など客観的データで人を好きになるのだろうか。それはその人じゃなくて収入が好きなんじゃないか?しかし結婚生活には経済的な安定は重要だ。結婚をビジネスと考えるのなら、必要な基準を設定してそのフィルターを通れた男だけを選んで会うのは理にかなっている。

 

膨大なデータに圧倒されて生きる現代社会で誰もが簡単に頭でっかちになれる。データを分析して頭で恋する。彼の姿を見る目、声を聞く耳、肌に触れる手、彼の匂いを感じる鼻、そして何より彼のすべてを受け取る直感を使わない。動物的な本能で男を好きになる私にはできない高度な技術だ。娘さんたちはダンゴムシをいじったり、ミノムシの皮を引っぺがしたり、トンボを必死で追いかけたりした子供時代がきっとないのだろう。残念なことだが人間の感覚が使われなくなっている。人間であることをもっと楽しめばいいのに。

 

若い娘さんたち、世界に一人しかいない人を愛したいの?お金を愛したいの?心を使って結婚する?頭を使って結婚する?結婚に失敗するのを恐れている?結婚にも人生にも失敗なんてないんだよ。

たらちねの伝言 10

 

時間は心の傷を癒さない。時間が心の傷を癒すなんて嘘っぱちだ。時間が優しい友達なんてまやかしだ。苦しくなるのは自分の思考に攻撃されるからだ。思考が起こるたびに悲しくなる。時間が経って悲しみが増すことだってある。悲しさが時間の経過によって薄くなったような気がすることがあるが、時間のおかげで楽になったのではない。悲しみを握り続けたらいつまでたっても悲しい。思考の持ちようによって心の傷は大きくなったり小さくなったりする。悲しい思考が浮かぶ度に悲しくなる。時間は関係ない。

 

男とうまくいかない時、やっぱり私は愛されないんだと思う。男に利用されるだけだ。どんなに愛しても愛されることはない、という思考が長年の経験から凝り固まって私のどこかに沈んでいる。男とうまくいかなくなるとその思考は待ってました!と現れて私に囁きかける。過去の出来事を思い出し悲しくなる。思考から感情は生まれる。思考がなければ悩みも悲しみもない。

 

若い娘さんたち、堂々巡りの思考の迷路に陥ったなら、しっかり自分と向き合いなさい。時間に任せて背を向けていると同じ事の繰り返しになる。心の傷に手を突っ込んで、なんで痛いのか見極めなさい。傷なんて本当はないのだから。あなたがそう思っているだけ。自分の思い癖を発見すればこっちのもの。思考に攻撃されたら、はいはい、またそんなこと言っているのね、と適当にあしらってやればいい。

 

悲しみや苦しさは思考がもたらすものにすぎない。思考を浮かばなくすることはできないから、うまく付き合う術を身につけるしかない。私、またこんなこと考えている?!と自分を楽しんでやればいい。何も心配しないで。大丈夫。あなたは絶対大丈夫。

たらちねの伝言 9

 

男に頼りたい。専業主婦は私の目下の夢の一つだ。野望といってもいいかもしれない。なぜなら私の人生には無縁の職業だからだ。

大学受験予備校生時代、とても尊敬する予備校の先生に「お嫁さんになる」なんてことを夢にするなと言われた。私の子供の頃は女の子に将来の夢を尋ねると「お嫁さん」と答える子が多く、お姫様、白馬の王子様の世界がふんだんに繰り広げられていた。先生曰く世の中の大半の人間がすることを夢に掲げるなということである。十八の私はいたく感動したものだ。

 

私は自立志向が強かった。高校三年間、学校でバイトは禁止されていたが、内緒で働き貯めたお金でイギリスに留学した。人に頼るのが苦手だ。一人で何でもやる。電球を変えることから、家電の配線はなんのその、パソコンの問題もたいてい解決できる。車の運転もうまい。ジャムの瓶も開けられる。

人生うまくできたもので、そういうところには働かない夫がやってくる。だから結婚しても働き続け、子供ができても責任感のない夫に堪忍袋の緒が切れて離婚してからは、子供二人を養うために死に物狂いで働いた。結局高校でアルバイトを始めてから働き詰めで自立してきた。だから今になって男に頼りたいと思うようになったのだろう。ババアは疲れているのだ。後悔はひとつもないが、今は少し路線変更をしたくなってきた。ジャムの瓶を誰かに開けてもらいたい。

 

ただ、二人の人間がともに人生を歩んでいく時にはお互いが経済的にも精神的にも自立していることが重要だと思う。どちらかがこけた時にもう一方が助ける。「病める時も健やかなる時も」だ。そうやってお互いが助け合っていくには両方が自立していることが必要だ。男女平等だとか、夫婦は対等だという論点ではない。長い人生、調子の悪い時もあるだろう。愛する人のために困難を乗り越えられるように自立した人間であったほうがいいということだ。愛する人のためならきっと何でもできる。

 

若い娘さんたち、自立しなさい。一人で凛として立っていられるようになさい。依存しっぱなし、依存されっぱなしの関係を続けるのは難しい。一人で生きられない人間が二人で生きられるはずがない。互いに自立した人間として、尊敬し、尊重し合う関係を築きなさい。そのためにはまず自分を大事にしなさい。彼氏も夫も誰もあなたを幸せにはできない。あなたはあなたしか大切にしてやれないんだよ。

たらちねの伝言 8

 

「付き合ってください」という告白から彼氏彼女になってプチ結婚のような制度が始まる日本の恋愛事情は今もあまり変わらないのだろうか。

西洋人(非常に大雑把なくくりだ)は付き合ってくださいと言わない。何度もデートして手を繋いで歩いて、どうみても彼氏彼女状態になっても自分が彼女だという確信は持てない。相手をめっちゃ好きになっていたら不安だろう。

でも付き合ってくださいと言われないのはいい面もある。もしそんなことを言われたらイエスかノーか返事しなければならないが、いったんイエスと返事したらゴリゴリの体育会系の私はもう他の男とは付き合えなくなる。

 

体育会系という言葉は若い娘さんたちにはわからないだろう。スポーツの部活動に属し厳しい上下関係の下、毎日勉強以外はスポーツする学生だった人間ということだ。そういう環境で育った私は挨拶は丁寧に行儀正しく、約束したことは必ず守ろうと努力する。

 

話がそれてしまったが、この告白なし制度も悪くないと思う。相手が他の女と遊んでも文句は言えないが、自分が他の男と遊んでも文句を言われない。そうしているうちにやっぱりこの人でないと駄目だなあと気持ちが固まってくる。相手も同じ気持ちなら彼氏彼女になり、ならなければ友達で終わる。なんかすごく自然だ。最初に型にはめて身動き取れなくさせて付き合うのは安心なのかもしれないが、結婚するわけじゃないから首輪をつけなくてもいいんじゃないかとこの頃思う。

 

不思議と付き合う相手によって自分も変わっていることに気づく。おぉ、あたしゃこんなに可愛い女だったのか、とか、こんなにドロドロしたこと考えるんだ、とか、新たな自分を発見したりする。面白い。最後は自分が一番心地よくいられる人と一緒になればいい。愛する自分が愛している人がいい。

 

若い娘さんたち、彼女になれないと嘆かないで。彼氏彼女制度に囚われることはないよ。浮気しろとか彼氏と別れろと言っているのではない。彼女になる前にもっと自由にいろんな人と出会って、自分を観察してみるのもいいと思う。まずは自分とじっくり付き合ってみて。あなたの幸せが一番大事なんだから。

たらちねの伝言 7

 

大昔、ジュディオングの「魅せられて」という歌謡曲が大ヒットした。♪美しすぎると怖くなる♪好きな男の腕の中でも違う男の夢を見る、ふうーん、はあーん♪私の中でお眠りなさい♪阿木燿子の歌詞はすごい。阿久悠とともに昭和の歌謡曲の巨匠である。

 

テレビが絶大なエンターテインメントとして日本に根付いていた当時、日本中でこの歌が流れ、日本中の人が口ずさんでいたように記憶している。幼い私も歌詞の意味など全く理解しないままこの魅惑の歌を絶唱していた。

 

私はいい女だが、怖くなったことはない。まだまだだ。しかしそれ以下の歌詞は経験済みだ。私も大人になったものだ。どんなに好きでも結ばれない人がいる。別れて次の男と付き合う。でもいつまでも一番好きな男は心の中で生き続けている。忘れられない。次の男が嫌いなわけではない。もちろん大好きだけれど心に住み続ける男は次の男に抱かれている時も心から出て行かないのだ。仕方がない。

 

女友達が「一番好きな人とは一緒になれないのよ。」と言った台詞がずっと忘れられない。

 

若い娘さんたち、この台詞をどう捉える?悲劇と捉えて涙に明け暮れる?私は長いこと泣き続けた。そして最後に悲しい気持ちを手放した。それは彼に出会えたことを喜べる気持ちのほうを大きくできたからだ。そんなに愛せる人は人生のうちで何人も現れない。そんな人と出会えたことを私は幸せに思う。

 

たらちねの伝言 6 

 

オランダに先週降った雪も今はもうすっかり消えた。雪の中アムステルダムの街をオランダ人の友達と散策した。写真の広場は昔、社交場だったそうだ。SNSどころか携帯電話もない時代、若い男女はここに集って恋の相手を探したり、出会ったりしたそうだ。友達の90歳の両親は70年前にここで出会って今でも一緒に暮らしている。2ブロックしか離れていないところに住んでいたそうだ。昔、子供に読んでやったバーバパパとバーバママの話を思い出す。バーバパパはバーバママを探しに旅に出たけど見つからず、家に帰ったら庭にバーバママがいたという話だ。私の記憶が正しければそういう話だった。

 

若い娘さんたち、あなたの運命の人はあなたの家の庭にいるよと言っているのではない。ご近所さんだよというのでもない。身近にいるというのでもない。探すことはないよということだ。彼氏が欲しいけど出会いがないと嘆いたり、気の進まない合コンに行ったり、婚活パーティーに出会い系アプリにサイトに・・・楽しいのならok、楽しみなさい。でも探して見つかるものではないのよ。出会う人には出会う、出会わない人には出会わない。嫌な人でも好きな人でもあなたに必要な人は必ず現れる。安心して。

 

ある高い山の絶壁に一輪の花が咲いている。岩場から伸びた花はただ咲いている。人が到達できる場所ではない。誰も花の存在を知らない。花は「私、咲きましたよ!ここで咲いていますよ!」とは言わない。花はただ咲いている。それでもどこからか蝶が飛んでくる。花はただ咲いている。蝶はその花に止まる。花はただ咲いているだけ。

娘さん、ただ美しい花でありなさい。

 

 

 

 

たらちねの伝言 5

 

私は嫉妬しない。今は。かなり苦しんだ経験という薬が効いて健康体に戻った。私を嫉妬させた男は知り会ったときすでに彼女持ちだった。私はフリーだったが真剣な付き合いは望んでいなかったし、すごく年下だったから軽い気持ちで友達になった。ところが恐ろしく気が合う。一緒にいても何も気を使うことがなく、お互い好きなことを言えて、好きなことができる。そして何よりめちゃめちゃ楽しい。不思議な存在だった。言うまでもなくすぐに恋に落ちた。彼女から彼を奪うつもりは毛頭ないが、彼女を傷つけていたら謝りたい。私は悪い女だ。反省している。

 

私と旅行に行っても彼女の機嫌が悪いと彼は彼女と長電話して(なだ)めている。私は一人で待っている。やっぱり彼女が一番で私は二番なんだと(はらわた)が煮えたぎる。結局私とは楽しい時間だけで、彼女とのような絆なんてないんだと鳩尾(みぞおち)が痛くなる。そんな気持ちを何度も彼にぶつけたが、彼は見事に受け止める。うまい。私を決して離さないのだ。私は彼を愛さないことができず長いこと嫉妬に苦しんだ。そのうち彼女と別れるんじゃないかとどこかで思っていたが、苦しすぎて彼との未来を諦めて何度も彼から去った。そして何度も引き戻された。しかし最後は我が身をぶった切る思いで離れて一人になった。一緒にいても辛く、離れても辛い。壊れそうだった。

 

嫉妬の闘病生活を乗り越えしばらくして私は新しい人に出会って愛するようになっていた。そこに彼が彼女と別れてやって来た。人生はたまに意地悪をする。人生の綾は妙だ。心も体も千切れる思いで離れた経験は私を彼に返さなかった。でも姉弟のような感情が大きくなっていて彼との関係は友達として細々と続くようになった。いつも彼がいい女と幸せであるように祈っている。

 

去年、彼は体調が悪いから検査を受けると言ってきた。その後医師から白血病で余命まで告げられた。彼も私も泣いた。自分にとってどれだけ彼が大事か思い知らされた。しかし二度目の検査で治癒可能な白血病だと診断され、大泣きしたのが馬鹿らしく、嬉し泣きした。白血病にはいくつか種類があるらしい。最初の医者を恨む。兎に角、彼は私にとって今でも大切な人である。

 

若い娘さんたち、嫉妬をどう扱うかは自分次第だ。嫉妬に操られてはいけない。嫉妬するような状況の相手は選ばないほうがいい。とはいっても好きになってしまうのはどうしようもない。それなら覚悟してとことん愛しなさい。でも自分を傷つけてはいけない。彼を愛さないことができなくても、辛いなら離れることはできる。離れても愛し続ければいい。愛するということは一緒にいてイチャイチャすることだけじゃない。彼を自分の所有物にすることでもない。愛は辛くない。嫉妬は人間の心の作用だが、愛はそんな些末(さまつ)なものではない。嫉妬が波しぶきなら愛は深い海の底の水だ。決して波立つことはない。

たらちねの伝言 4

 

タイトルの「老いらくの恋」は68歳の歌人が弟子と恋愛して家出し、「墓場に近き老いらくの、恋は怖るるものなし」と詠んだ歌から生まれた言葉だ。私は恋愛においてあまり年齢にはこだわらないほうだと漠然と思っていたが、よく考えると自分なりのルールがある。特にジジイには枯れて欲しい。これは父親に対する要求を世間一般に広げてしまった私の偏った願いである。ジジイには盆栽の手入れをして、俳句を詠み、なんでもわかっている(てい)で静かに頷いて(うなずいて)欲しい。決して若い女のケツを追いかけたり、女の裸を見て動じたりして欲しくない。父親と性欲は食い合わせが悪いのだ。100歳以上が8万人以上もいる現代日本には逆行した願いである。

 

何年か前にクロアチアを旅していた時、道に迷っていた私に声を掛けて助けてくれたアイルランド人がいる。彼はクロアチアに毎年来るらしく夕食に招待してくれた。レストランの人とも顔馴染みで魚介料理を美味しく食べながら数年前に亡くなった奥さんの話を始めた。長年連れ添った奥さんがクロアチアを好きだったから毎年ここに来るという悲しいが心温まる話だった。何歳で亡くなったか聞かなかったが写真の美しい奥さんは40代後半に見えた。でも彼はどう見ても70歳なのだ。私にはお爺さんとしか思えなかった。私も結構なババアだが、彼と並んだら親子にしか見えない。

 

それから、なぜか彼はずっと連絡をくれて、どうしているかと心配してくれる。愛妻家のいい爺さんだ、と思っていた。しかし私がオランダで暮らすようになってから連絡が頻繁になり、申し訳ないが面倒に感じ始めていた。友達といっても会話が面白いわけでもなく、共通の話題もなく盛り上がらない。悪い人ではないが年に一回の安否確認くらいでちょうどよい。それが最近彼の目的がわかった。私をガールフレンドにしたいのだ。血気盛んなお爺さんだなあと思ったが、恋愛に年齢は関係ないのだ。年がかなり上でもロバートデニーロやアルパチーノだったら私は間違いなく恋に落ちるだろう。有名人でなくてもそれなりの魅力があれば年齢に関係なく恋愛対象になる。

 

しかし私をウルウルさせるほどあんなに妻への愛を語っていた爺さんが何をとち狂っているのかと正直なところ引いてしまった。年齢に関係なく彼を恋愛対象に考えたことは一ミリもなかったからだ。でもお爺さんを弄ぶ(もてあそぶ)ほど私は悪い女でもないし、暇でもないので丁重に友達でいようと返事した。しかしそれがなかなかうまく伝わらず、彼は私に今彼氏がいるから付き合えないと曲解している。私はそんなこと一切言っていない。彼氏はいないがデートはしている、と言ったら「デートしている」を「彼氏がいる」と同義に受け取っている。アイルランドのお爺さんにはデートするのはボーイフレンドだけのようだ。従って彼氏がいなければあなたと付き合えたのに残念と私が思っていると思っている。めでたすぎる。

 

いや、これが長生きの秘訣かもしれない。「恋は怖るるものなし」ちょっとめでたい見方、考え方をしてみたら、さっきまで悩んでいたことが馬鹿らしく見えるものだ。人間めでたいほど幸せに生きられる。長く生きることが幸せとは思わないが、幸せに生きるほうが楽でいい。

 

若い娘さんたち、恋に悩んでいる場合じゃない。楽しみなさい。もし苦しかったら、周波数を変えてごらん。違う音楽が聞こえてくるよ。先はまだまだ長いのだから、どうせなら楽しい音楽を聴いて歩いて行こう。

たらちねの伝言 3

 

私は嫉妬の扱いに疲れたことがあるので、既婚者や彼女持ちと聞いただけで、どんなにいい男でも血の気が引いてロックオンのボタンを押さなくなった。だが、白状すると二十歳になる前に既婚者と付き合っていたことがある。嫉妬を治癒するために闘病生活に入る随分前のことだ。相手は四十くらいだったと思う。小さな貿易会社をやっていて、デートもいいところに連れて行ってくれる。恋に恋する夢子は楽しかった。私は結婚する気など全くないし、ただの遊びのつもりだから、お互い要求が合致していた。やがて私はイギリスに行くことになりお別れした。私は目の前の新しい環境に夢中になって、彼のことなどすっかり忘れた。その程度の関係だった。

 

今や不倫は大罪になった。時代が変わるとこうも変わるものかと思う。早く卒業しておいてよかった。あわや島流しか打ち首になるところだった。正直、他人の恋愛に全く興味がない。不倫だろうとなんだろうと好きに楽しんでほしい。当事者だけの問題なのだから、他人が口を出すことではない。しかしもし日本の若い娘さんたちが苦しんでいたら、と思って書いている。

 

私のこれまでのデータでは不倫する男の99%は妻と別れない。妻と別れて若い女と結婚して子供を作った男もいたがかなり少数だ。W不倫もいたが「恋に落ちて」(映画)のようになったのはみたことがない。既婚男は妻子を守りながら、外でちょうどいい加減で遊びたいだけだ。

 

若い娘さんたち、あなたの不倫相手は奥さんと別れて自分と結婚すると思っているだろうか。過去のデータから独断と偏見で言わせてもらうと、それはまずない。自分だけは違うと思っているかもしれない。が、若い娘と不倫する既婚男は所詮その程度の男だ。あなたの人生に全責任を持とうなどとは思っていない。さらに妻を捨てる決断もしなければ、あなたを手放す決断もしない。だからあなたから去るしか終わりにする方法はない。学びが終わったら自分から背を向けて、明るいほうに歩き出しなさい。あなたは自分で思っているよりもっともっと素晴らしい女性なんだよ。