たらちねの伝言

たらちねの伝言

日本の若い娘たちへ

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たらちねの伝言 32

 

ババアは困っている。というか気持ちが悪い。昨夜この田舎の安い部屋を紹介してくれた男からメッセージがあった。以前も書いたが、この男は私を自分の彼女にしたいのだ。でもそれが無理とわかった途端に、部屋にある家具などを譲渡するからという名目でお金を要求してきた。それまでは一切お金の話などしていなかったので凄く驚いたが、私は手切れ金のつもりで支払った。

 

引っ越した後にお礼の手作り夕食をご馳走し、それ以後連絡をよこさなくなったので一件落着とほっとしていたら、その夕食から二か月経って、昨夜連絡してきた。それも、私がチャットしないのはtoo bad酷すぎると言うのだ。優しい私は、チャットしたかったら連絡してください、と丁寧に返信した。

 

そうしたら、両方向のコミュニケーションじゃなきゃダメだと言う。お前も連絡して俺も連絡するのだ、だって。頭おかしいのか?私が連絡しないのは、この男のことに全く興味がなく、連絡しなければならない用事もないからだ。もうただ気持ちが悪い。この男はもちろん私の住んでいる場所を知っているので、恐ろしくもある。引っ越しの時に鍵は変えていない。

 

昨夜はストレスで胃が痛くなった。ババアも繊細なところがあるのだ。しかし私は護身術を習ったこともあるし、キックボクシングもやっていた。やれるもんならやってみろ!という気構えで眠りについた。

 

若い娘さんたち、しつこい男に困っていたら、一人で悩んでいないで誰かに相談しなさい。事件に発展することは滅多にないと思うけれど、絶対に自分の身は守って。親でも友達でも警察でも誰でもいいから話してみて。助けが必要なら助けを求めて。助けてと言うことは全然恥ずかしいことじゃない。あなたは本当に本当に大事な存在なんだよ。絶対にしつこい男に傷つけられてはいけない。

 

 

たらちねの伝言 31

 

初恋の人の夢を見た。中学の時に同じクラスになった男子だ。バスケット部で勉強もすごくできる。とにかく好きだった。初めて人を好きな気持ちを実感した人だ。幼稚園の時に好きな男の子が出べそだったことを知って嫌いになるような初恋ではなくて、本当に人を好きになるってことを経験した人だった。淡い恋愛だったからちゃんと付き合うということはなかったが、大学くらいまでちょこちょこ連絡を取っていた。

 

その彼が夢に出てきて驚いた。気になって彼の名前をネットで検索してみた。見事なくらい何も出てこない。今どきこんな人がいるんだろうかと不思議なくらいだ。そして死んじゃったんじゃないかと思った。すごく悲しくなった。もう自分の人生に何の関わりもない人だけど、幸せで元気でいて欲しい。

 

長い人生でも出会う人は限られている。その中で本気で愛せる人はもっと少ない。そんな人と出会う経緯も神がかっている。偶然と偶然が重なってとか、もうそれはあり得ない確率で出会っている。まさに人知を超えているといつも思う。

 

だから例え目の前の人が自分にとって愉快な人でなくても、有難く出会って去って行くのを見送る。目の前の人を愛するなら全身全霊で愛する。去って行くなら寂しくても有難く見送る。去った後もその人の幸せを祈っている。

 

若い娘さんたち、出会う人を選ぶことはできないけど、自分の心の持ちようはどうにでもなるよ。自分にとっていい人でも悪い人でも、やって来ては必ず去って行く。長い期間一緒にいる人もいるが、死ぬまで一緒にいたいと願っても去って行く人は去って行く。執着せずに見送ってやろう。

 

何とかしようと足掻いても仕方のないこともある。私たちの考えも及ばない力のようなものが、ちゃんと私たちの人生の面倒をみてくれているから、何も心配することはない。ただ自分が幸せで心地よくいられるようにすればいい。苦しまず楽に生きていいんだよ。

 

 

たらちねの伝言 30

 

日本の友達から眠れないとこの頃よく電話が掛かってくる。日本の夜中3時はこっちの夜8時だから時差がうまく作用する。彼女はもうすぐ40だが男と付き合ったことがない。日本では珍しいことではないらしい。恋活しているがことごとくうまくいかないと言う。友達を紹介すると友達はうまくいくので、キューピッド役がうまくできるらしい。そうすると余計に自分はいつも一人だと思ってしまい、落ち込んで嘆いている。

 

いろいろ話を聞いてみると、人を好きにならないわけではなく、逆にすぐ惚れるみたいだ。でもデートまで漕ぎつけていい男に会っても、自分はこの人には相応しくないと思ってうまくいかなくなるらしい。自信のなさが恋愛成就を妨げている。

 

恋愛対象は目の前にいて、自分の外の世界に現れるから、自分とは無関係の別物のように映るけれど、目の前の人は自分を映す鏡である。これはよく聞いたことがあると思う。外を見ているようで自分を見ているのだ。

 

彼女は好きな人を前にすると、自信がない自分が現れる。自分を否定し始める。それは恋愛だけでなく仕事にも現れる。彼女は仕事を終えられないのではという不安にいつも苛まれている。終わらないかどうかは締め切りが来なければ判明しないが、締め切りのずっと前から心配して眠れなくなる。

 

自分に自信を持って大丈夫と思えたら、好きな人と付き合うことも、不安なく仕事をすることもできるだろう。それでも好きな人にフラれたり、締め切りまでに仕事が終わらない時もあるだろう。それはその時に考えればよくない?もちろん危機管理も将来の計画も必要だけれど、まだ来ていない未来を心配して今をぶち壊すなら、そんな危機管理はしないほうがいい。今しか生きられないのだから。

 

人それぞれ性格があり、向き不向き、得手不得手があるけど、全部それでいいのだよ。そのままで大丈夫。優れているとか劣っているとか、いいとか悪いとか、各人の小さな物差しで測ってそう思っているだけだ。

 

若い娘さんたち、自信を持って生きてる?「自信を持って!」ってよく聞かれる言葉だけれど、これは自信をなかなか持てない人にとってはそんなに容易いことじゃない。自信を持てなかったら、ひとまずこれで良し、今のままで大丈夫と思うところから始めてみたらどうだろう。あんまり自分に厳しくしないで、現状のままでいいんだ、先のことはなるようになると肩の力を抜いてみよう。大丈夫、絶対大丈夫。

 

 

たらちねの伝言 29

 

ひと月ぶりくらいに大家さんのランチの招待を受けることにした。私がほぼ一日部屋にこもっているので落ち込んでいるのではないかと心配してくれている。ありがとう。彼は毎日人と会いコミュニケーションをして、自然と触れ合うことがいいことだと信じている。そしてそれ以外の生活は不幸だと思っている。

 

私は一日机に向かい書き物をしていることがとても幸せだ。もちろんデートもするし、自然にも出掛ける。でも毎日デートしたり自然の中にいたいとは思わない。もしそうしたいならそうするけど、その日何をするか全く決めていない。書きたければ一日書いているし、出掛けたければ出掛ける。一人でいることが全く苦痛ではない。むしろ有難い。

 

大家さんはここには何でもあると思っている。自然豊かな町だと言う認識だ。しかしここは自然しかないド田舎なのだ。私には何もない。これまで住んでいた町が恋しい。ここには何もないが、人々の監視はある。小さな村では全員が全員を知っている。私が男と湖の畔で日向ぼっこしていると何人もが声を掛けてくる。大家さんに紹介された隣人や大家さんの兄弟姉妹である。

 

大家さんは、この前フランスナンバーの車が家の前に停まっていたね、と言う。フランス人の男が来ていた時のことだ。「だから何?」と言いたい。「おぎです。やはぎです。おぎやはぎですけど、何か?」って言いたい気分だ。もう息が詰まるのだ。初対面の女性に平気で年齢を尋ねたり、プライバシーが一切ない。それがここの常識であり美徳なのだ。

 

私はここで生まれ育っていないので窮屈で仕方ない。引っ越し先を既に探し始めている。問題はいろいろな価値観が世界にはあるということにここの人は気づかないということだ。そして自分の基準がすべて正しく幸せであるから、それ以外が有り得ないし、不幸だと考えてしまうこと。

 

私には私の価値観があるがそれを人に押し付けようとは思わないし、それで人を判断はしない。だって自分とは違う人間なのだから。自分はこう思うよ、とは表現するが、その後は相手が判断し決めることだ。それをどうこうしようとは思わない。

 

私は日本の若い娘さんたちが笑顔で暮らしてくれるように私の考えたことを書いているが、私の言うことが娘さんたちにとって正解かはわからないし、言うことを聞かせようとは思わない。こんな考えをしているババアもいるんだって知って楽になってくれたら私も幸せだと思うだけだ。

 

若い娘さんたち、自由に生きて欲しい。いろんな考えの人が世の中にいる。それは無数だ。たくさんの価値観に触れて自分を作っていってほしい。あなたは自由なんだよ。何を考えてもいい。そして自分の考えに固執しないで、他人の考えに隷従しないで、自由に変化できるようであって欲しい。楽に、どんどん楽になれるように変化してほしい。大事なのはあなたが幸せであること。私たちは本当に自由なのだ。

 

 

たらちねの伝言 28

 

しばらく一人を楽しんでいる。デートしないわけではなく、特定の恋人を持たずに恋愛しているということだ。一夜限りの付き合いを渡り歩くようなアバンギャルドな生き方ではなく、真剣に男と付き合わずにそこそこ楽しいところだけを掬い取っているのだ。自分の人生も与えて、相手の人生も受け入れるほどエネルギーがないのかもしれない。それほど本気になれる男に出会えていないともいえる。

 

数年前、最後の男と出会った。諸事情により別れることになった。憎しみ合って別れられたらよかったと思う。それ以来誰も愛せない。デートを楽しめるまでにようやく回復したが、恋愛ままごと遊びに興じるだけだ。

 

以前に書いたが西欧人は彼氏彼女という定義が日本のように厳格ではなくて、「彼女になってください。」「ちょっと待った!」「ごめんなさい。」とかそういうやり取りがない。ババアはねるとん紅鯨団が懐かしい。(若い娘さんはググってください)日本では許されない西洋のシステムをババアは有効に活用している。複数とデートしたって彼女になるまでは優良物件物色中でいいのだ。

 

問題はダブルブッキングである。初めから同じ日にデートしようなんてミスは犯さないが、デートが楽しくてずれ込んでしまい、次のデートの時間になっちゃうとか、っていうことが発生する。すごく焦るが、今はそれもそれで楽しかったりする。不誠実な悪い女と責められるかもしれないが、嘘をついているわけでもなく、お互い楽しみ、一緒にいる時はその相手を精一杯愛するから、後ろめたさはない。

 

若い娘さんたち、楽しんでる?あまり深刻にならずに恋愛を楽しむのもいいもんだよ。思い通りにならなかったり、期待が外れたりして、辛くなったり苦しくなったりする時もあるけど、いつまでも苦しみの中にいないで、次に行こう!決して、「いい加減に男と接しよう!」と推奨しているのではないよ。悩み過ぎなさんなということ。秘訣は未来や相手に期待せず、瞬間瞬間を懸命に愛すること。どんな経験もあなたを必ず豊かに楽にする。何も心配せず、軽やかに生きておくれ。

 

 

たらちねの伝言 27

 

オランダで同性婚が認められて、もう20年も経っている。ヨーロッパのほとんどの国で同性婚が認められている。G7の中で同性婚が認められていないのは日本だけである。日本は夫婦別姓すら未だに認められず、120年前に作られた民法を戦後から少し少し変更して使い続けている。日本は同性愛の人たちの住みにくい国である。

 

キリスト教では結婚の目的は子供を作ることだから、同性婚は教義上有り得ない。ヨーロッパはキリスト教徒の国なのに、それでも同性婚が認められている。日本はキリスト教が根付いた国家ではないのに、同性婚は法的に認められていない。

 

大学時代の友人が同性愛者だったが、とても悩んでいた。詳しくは書けないが、壮絶な苦しみだった。日本のエンターテインメントの世界ではかなり許容されてきたかもしれないが、一般社会ではまだまだ同性愛で悩む人たちは多いと思う。国として法的に認めることで、社会的に支えていく基盤ができる。日本の法整備が進むことを願っている。

 

誰が誰を好きだろうと、男が男を好きだろうと、女が女を好きだろうと、どうでもいいだろうと思う。人が人を好きになる気持ちにとやかく意見する気が知れない。人を好きな気持ちを批判することができる人などどこにいるのだろう。どんな愛も尊重されるべきである。

 

若い娘さんたち、同性を好きになっても苦しまないで。人を愛する気持ちに自信を持って。たとえその恋愛がうまくいかなくても、その人に対して抱いた愛情に自信を持って。人を愛するということは素晴らしいことだよ。相手が同性であろうと誰であろうと、あなたは愛を持っているんだから。あなたは素晴らしい人だよ。

 

 

たらちねの伝言 26

 

~♪会えない時間が愛育てるのさ

目をつぶれば君がいる

友達と恋人の境を決めた以上もう泣くのも平気

よろしく哀愁♪

 

「よろしく」と「哀愁」というなんとも水と油のような単語をくっつけた安井かずみさんの作詞能力に脱帽だ。私がまだ物心もつかない頃にヒットした曲だが、なぜかメロディーを覚えている。昭和歌謡の凄まじい底力だ。そしてスターHiromi Goの力だろう。前置きが長くなったが、今になって「会えない時間が愛育てるのさ」っていう歌詞を考えている。

 

好きな男に会えない時、その人のことを考える。その時の関係や状況によって楽しく考えることもできれば、イラつくことも、悲しいことも寂しいこともあるだろう。何を思っても最後はその人を愛していたら、その時間は彼への愛を育てていたということになるのかもしれない。

 

そして自分に向き合う時間でもある。自分がどういう風に人を愛するのか、じっくり観察できる時間でもある。こんなことで悲しくなるのだとか、あんなことで嬉しくなるのだとか、自分の性格の傾向がわかる。そういう意味では自分への愛を育てるということにもなるだろう。

 

それからもう一つ気づいて欲しいことがある。会えない時に考えているということは、彼は目の前にいないということだ。つまりあなたの頭の中だけで過去や未来に思いを巡らせているということだ。だから彼を思って嫌な気分になるなら考えるのを止めちまえ!ってこと。

 

若い娘さんたち、好きな男と会えない時間、何を考える?彼と過ごした時間か、彼が今どうしているか、彼との将来か・・・ババアの結論は「ウキウキしないなら考えないほうがいい」である。考えて不安になったり、ムカつくなら、考えるのを止めて、美味しいものをたらふく食べて、いっぱい寝なさい。

 

恋に恋して悩みたいのならそうすればいい。でも辛かったら考えなければいい。簡単だ。自分で自分を苦しめていることに気づくのだよ。いっぱい食べていっぱい寝られれば、人生たいていのことは大丈夫だ。

 

 

たらちねの伝言 25

 

週末、男と過ごした。金曜に家に来て日曜に帰って行った。散歩に行って、ピクニックして自然の中でコーヒーを飲み、一緒に食べて一緒に寝て、普通の生活のように過ごす。自分と生い立ちも育ちも全く違う人間と過ごす。種類の違うチーズを同じナイフでは切らない、手に着いた石鹸の泡は気にならない、土足で歩く床を裸足で過ごしそのままベッドに入る・・・私が気にしないことに彼はこだわりを持ち、私の気にすることに彼は無関心である。

 

同棲や結婚生活の始まりはみなこういうことに驚いたりイラついたり、喧嘩になることもある。私は面白がるようにしている。一人の生活が長くなってしまうと相手が帰った後に寂しいというよりほっとしたりする時がある。相手への思いの強さにもよると思うが、寂しくて泣くよりは自分に優しい気がする。でも一人が楽になってしまうと、ずっと一緒にいようと思える人はなかなか現れなくなるのではという恐れがないわけでもない。

 

この頃はほっとするというより、その時その瞬間をとても大切にするようになって変わった気がする。その人といられる時間はその時しかなくて、別の日に一緒にいられたとしても、その時は以前の時とは違う。いつもその時を大事にしていると、別れた後も心が満たされている。寂しさでも安堵でもない。あぁ一緒にいられてよかったと心から思う。感謝する。出会いも一生に一度なら、その人との時間も一生に一度である。

 

若い娘さんたち、辛い恋をしているなら一緒にいられる時間をもっと大事にしてみて。その後もう一生会えない人かもしれないし、一生一緒にいる人かもしれないが、その時自分が心から愛せたらそれでいい。そうすると後も振り返らず、先も望まず、心が幸せに満たされるのがわかる。愛するって本当に素晴らしい心の経験だよ。苦しむのは止めて楽しもう。

 

 

たらちねの伝言 24

 

私は離婚経験者だ。かなりの上級者であると自負している。結婚生活最後の十年は地獄だった。子供がいると離婚はかなり重くなる。離婚してくれと何度頼んでも聞き入れられず、最後は二人の子供を抱えて(抱えなくても自分で歩ける年だったが)家を出て、裁判所に離婚を申請した。

 

しかし別居直後、法的に認められる離婚原因が存在せず離婚が認められなかった。一年半の別居状態を作って再び裁判所に行った。そこからやっと離婚調停が始められ、裁判所命令に従わず出廷しない元夫をなんとか出廷させ、調停数回後、別居から二年で司法に離婚させてもらった。私は長いこと法律を勉強していたので法律や裁判所には少し慣れていて弁護士を雇わず一人で闘ったが、離婚届に判を押さないと本当に面倒なことが待っている。

 

日本には戸籍という制度があるが、私は離婚した時一人籍を抜いて子供はそのままだった。だから子供と苗字が違う。そのために様々な手続きで苦労する。携帯電話の家族割もできない。彼らは私の股間から出てきたし、家族なのに。子供と苗字が違うと言うと人から可哀そうがられる。それも面白い。不幸な女を演じてみたりする。子供への愛情が苗字なんかで変わるはずもない。永遠だ。人の不幸なんて他人の物差しじゃ測れない。私は離婚できて本当に幸せになった。

 

子供たちは私の苗字に変えたいと言い出し、裁判所に申し立てをして、今月私と同じ苗字になった。姓名判断占いなら人生変わるのかもしれない。今後が楽しみだ。

 

今、離婚すべきか悩んでいる娘さんたち、その理由も辛さも人それぞれだが苦しいと思う。決して楽しいことじゃない。子供がいるとなおさら辛いだろう。しかし、別れるべきは別れるのだ。離婚すると決めたなら、全力で前進しよう。心からエールを送る。この苦しさはいつまでも続かないから大丈夫だよ。必ず大変だった時を振り返る時が来る。できるだけ早く脱出されることを祈っている。

 

若い娘さんたち、我慢しなさんな。周りではなく、もっと自分に優しくしてやって。離婚したかったらしなさい。離婚は決して悪いことじゃない。最善の選択肢の場合もある。一つの扉を閉じると必ず別の扉が開くもんだよ。

 

 

たらちねの伝言 23

 

【以前の記事「近況報告」の続編】ど田舎に引っ越してもうすぐ二か月になる。この部屋を紹介してくれた知人を遠ざけ、デートしていて引っ越しを手伝ってくれた人から離れ、二人のジジイから自由になったが、予想外にジジイ大家さんに気に入られてしまい困っている。占いでもしたらジジイにモテモテの運気だったのだろう。大家さんからはいわゆる告白をされ、彼の人生に私は組み込まれている。お気持ちは有難いが無理ですということは伝えてあるが、彼は第一印象で何かの啓示を受けたらしくなかなか忘れてくれない。

 

引っ越し当初はいろいろ世話になったので、毎日の誘いも最初のひと月はできるだけ受けて、距離をうまく保ちつつ一緒に夕飯を食べ、コーヒーを飲み、卓球をし、ビリヤードをし、映画を観たりしていたが、大家さんは私にとって人のいいお爺さんでしかなく、全く恋愛対象ではないので、私も限界に達して断る回数が増えた。そうしたら、「大事な話があるんだけど夕食の時に」という、情報が欲しければ夕飯を一緒に食べようみたいな、餌で釣る作戦とも取れる誘い方に変化した。

 

そしてウンザリしてきた私はほとんどの誘いを断るようになり、私の新デート相手が家に来たのも目撃され、誘いもなくなって安心していたら、家賃の値上げを示唆してきた。光熱費が前よりかかっているからだそうだ。引っ越して二か月で家賃を上げるなんて暴挙である。家賃は光熱費込みで契約しているのだから。

 

まったく男はわかりやすい。自分のものにならないと判明した途端の手のひら返しである。私に花を買ってプレゼントし、知り合いの店があるから自分のツケで水着を買ってきなさいと言っていた人の豹変ぶりに絶句する。ジジイ三人目を遠ざけるのは大家という立場があって微妙な駆け引きが必要だ。

 

そういえば、知人からこの部屋を紹介された時もそうだった。知人は引っ越しを手伝うと言ってくれていたが、私がもう一人のジジイに頼むことにして断ったら、引っ越す寸前になって部屋の家具を買い取れと言われてお金を払うことになった。それまではそんなこと一言も言っていなかったのに、これまた豹変である。

 

オランダ人は非常に合理的だが、これはオランダ男の文化的特徴でわかりやすく合理的なのかもしれない。自分のものにならないとわかった途端、その女には価値がないから尽くすのを止める。そしてそれまでしてやったことに対する見返りを要求する。単純明快。私は去ってくれて有難いから手切れ金のように金を払う。これって当たり屋だ。自分から勝手に好きになって、受け入れられないと闇金の借金取りに変わる。質が悪い。デート費用を寝た回数で割り算する男の話を聞いたことがあるが、同じようなものだろうか。好意を受け取る時は覚悟して、当たり屋には気を付けないといけない。

 

若い娘さんたち、世の中にはいろんな種類の男がいるが、当たり屋や詐欺師もいる。怪しい男には近づかないように気を付けて。お金で済めばいいけれど、心まで傷つけられてはいけない。好きな男の仕打ちは惚れた弱みで太刀打ちできない時もあるが、好きでもない男の理不尽な仕打ちなど一刀両断に遠ざけよう。水着を買ってもらわなくてよかった。私に非はない。家賃はきちんと払っている。ババアは強く立ち向かうのだ。