「ゴッドファーザー」三部作とわたくし | 映画の楽しさ2300通り

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Love Letters to all the Movie Lovers From a Movie Lover

 

「ゴッドファーザー」がロードショウ公開されたときは中学生。幸い自分の学校ではよそではあったという鑑賞禁止のおふれが出ることもなく、映画好きの友人と連れ立って観に行きました。

ファミリーという切り口のマフィア像は、マーティン・リット監督、カーク・ダグラス主演の「暗殺(ヒット)」でも観ていたので、特に斬新とは感じませんでした。
ニーノ・ロータの曲の良さ、リアルな描写、イタリア系を中心にした俳優たち(マカロニ・ウェスタンで見知っていたアンジェロ・インファンティを発見したのが嬉しかった)の迫真演技など見どころ・聴きどころは多かったものの、暴力組織の抗争を美化しているとも見える内容に対する当時の高評価に反発を感じたのも事実です。

ならば続編まで観ることもないのでしょうが、当時は映画と名がつけばできる限り何でも観る(それだけ映画を観る機会は今に比べて少なかったのです)という時代および年ごろ。加えて一作目でマーロン・ブランドが演じたドン・ヴィトー・コルレオーネの若き日を演じるロバート・デ・ニーロの演技が素晴らしいと評判なので、これも鑑賞。
確かにデ・ニーロはよかったし、若きゴッドファーザー、マイケル・コルレオーネアル・パチーノ)の苦悩もよくわかりましたが、確信的犯罪者が何を気取って苦悩してるんだ、という思いもあり、やはり好きになるにはいたりませんでした。

ちょうど同じころ日本では、やはり組織暴力・犯罪を組織側から描いた「仁義なき戦い」が公開され、その後「仁義の墓場」や「仁義なき戦い」の原作者である飯干晃一原作による「日本の首領(ドン)」シリーズなど実録やくざ(暴力団)ものが次々と作られます。僕は正直くずをくずとして描いたこれらの作品の方がずっと好きになりました。
「仁義なき戦い」の金子信雄なんかほんとにどうしようもなく悪いのにコミカルなのが面白かったし、「日本の首領」シリーズで華々しく散っていくにしきのあきらら若衆たちの哀れさも胸に迫りました。
なにはともあれ、”カッコよさ”が微塵もないストーリー展開に好感を持ったのです。

そんなわけで、一作目の公開から20年ほど後に公開された「Part III」は観ていませんでした。それを急遽観ることにしたのは、監督フランシス・フォード・コッポラ"マフィアのグループを描くことによってアメリカと言う一つの国を描きたかった”という内容の発言をしていることを知ったからなのです(詳しくは拙ブログ「観る?観ない? ゴッドファーザー Part III」をお読みください)。
ある程度暴力を肯定していると見える犯罪組織映画のシリーズにそういう深みがあるのか、と興味を持ち、公開から30年余り、Part IIを観てからだと約50年ぶりに鑑賞しました。

でその結果はと言うと、相変わらずの血で血を洗うヤクザ組織の抗争物語であることには変わりなく、面白くは観られても感情移入も共感(や同情)も感動もありませんでした。
フランシス・フォード・コッポラ監督の娘ソフィア・コッポラがシリーズを通じて(乳幼児から大人まで)演じたマイケルの娘、メアリーは可哀相ではありましたが、そもそも殺人も辞さない犯罪者である従兄(アンディ・ガルシア)を愛してしまうのはわきが甘いというか、まともな知性と想像力があればありえない選択とも言えます。
ちなみに彼女の母(ダイアン・キートン)も同じように犯罪者マイケルを愛したわけですが、彼の婚約者になったのは彼が組織から遠ざかろうとしていたころだし、その後ヤクザ稼業を嫌って離婚しているわけだから大分まともだと思います。

 

確かに三部作全体を通して考えれば、自国の利益を追求するために暴力も辞さない(そしてそのために大切なものを失ってきた)アメリカ合衆国の縮図であるという見方は出来ます。

ただ、そうであればなおさらのこと、所詮他国の話でしかない米国民以外の観客が好きな作品としている理由がわからなくなりました。

以上、好きになれない理由を書いてきましたが、好きでないからと言って音楽も含めた映像作品としての質の高さは否定しません。なので"よく出来た面白い映画じゃん"と言われても、そうですね、としか返しようがありません。
感想を短く言えば、庶民の生活を脅かす犯罪組織の家族の苦悩にはあまり興味を持てない、というのが正直なところです。

 

※画像はNBC ユニバーサル・エンターテイメントジャパンから発売されている「ゴッドファーザー 4K Ultra HD+ブルーレイ」のパッケージからお借りしました。

 

ブロトピ:2024/05/013