管理人をしているFBグループ「鎌倉ムービーラバーズ」で「あなたにとっての青春映画決定版」をお尋ねしたところ、(少ない回答の中で)「アメリカン・グラフィティ」と「アニマルハウス」を挙げた方のほか、「太陽がいっぱい」を挙げた方がいました。
「太陽がいっぱい」は自分が「愛する青春映画」としてリストしている8本のうちの1本です。ほかにどんな作品があるかは"ジャンル別おすすめ映画248選"の過去記事「おすすめ青春映画8選」をご覧ください。
その記事に"青春映画"の個人的定義を次のように書きました。
年齢に関係なく、最近耳にする「アオハル」的な、裏付けのない自信と気合い、計算できない不安と期待、言葉にできない恐怖と希望、生きる喜びと苦しさで、ヒリヒリと痛いあの時代を体験している人々を描いた作品
ということで「冒険者たち」のような中年のおじさんが主役の作品も含んでいるのですが、愛する8本以外にも大好きな"青春映画"らしい作品もいくつかあるので、ここで少しご紹介したいと思います(カッコ内は公開年と監督です)。
■けんかえれじい(1966。鈴木清順)
以下に挙げる日本の青春映画はどうも暗さが先に立っているのですが、これは戦前のエネルギーをもて余した若者の暴れぶりを愉快に描いた作品、でありつつも、やはりラストでは明るいというより破滅的な結末を感じさせました。
■ひとりぼっちの青春(1969。シドニー・ポラック)
ベトナム戦争の真っ最中であり、ヒッピー・ムーヴメントのさなか(「ウッドストック・フェスティバル」が開催された年に公開)に作られたからか、救いようのない暗さを持ちながら、若者の心にストレートに届く作品です。と思いましたが、老人の心にもストレートに届くことに書きながら気づきました。
■いちご白書(1970。スチュアート・ハグマン)
「いちご白書をもう一度」というはやり歌がどうしても好きになれなくて観ずにいましたが、ふとした拍子に観ておのれの不見識を反省しました。みずみずしく切なく怒りに満ちた秀作です。
■青春の蹉跌(1974。神代辰巳)
ジョージ・スティーブンスの「陽のあたる場所」(1951)と似たプロットを持つ邦画ですが、痛々しい切なさが上回っていました。「秋田音頭」が胸に迫ります。
■祭りの準備(1975。黒木和雄)
同じ"田舎町の青春”を描きながら「アメリカン・グラフィティ」(1973)とはこうまで違うか、という日本の青春。黒木和雄監督の半自伝的な作品ということですが、昭和30年代の我が国の地方の閉塞感と若者の焦燥感をこれまた切なく描きました。原田芳雄が印象的。
■青春の殺人者(1976。長谷川和彦)
この青春は痛すぎました。若き水谷豊と原田美枝子が好演、なだけでなく、ベテランの内田良平、市原悦子もさすがの迫力でした。
■ヤングジェネレーション(1979。ピーター・イエーツ)
"外国かぶれ"の若者をぐっと明るいタッチで描きながら、青春の痛みとともに傷をいやす若さが強く印象に残りました。
これらはジャンル的にも「青春映画」と言っていい作品だと思いますが、ジャンル的には異なるものの強く"青春"を感じさせる映画をいくつかあげてみます(カッコ内は公開年と僕が考えるジャンルです)。
- 拳銃魔(1952。犯罪映画)
- 明日に向かって撃て(1970。西部劇)
- IT/イット[テレビ版](1990。ホラー)
- ナチュラル・ボーン・キラーズ(1994。犯罪映画)
- ロミオ+ジュリエット(1996。恋愛映画)
こうやって並べてみると、僕が青春映画だと考える作品は、"若者が大人になる過程の物語"と"大人になれない、またはなりたくない人々の物語"に二分されるようですが、どちらにしても"大人になることへの憧れと恐怖、そして胸の痛み"が描かれた作品が好きなようです。
※写真は「青春の蹉跌」の萩原健一と桃井かおり