前回、ネタバレなしの紹介記事をアップした本作ですが、久々に再見して見方が変わった部分があったので、レビューも書きたくなりました。
こちらはネタバレありですので、未見の方はまず紹介記事をお読みいただき、面白そうだったら鑑賞後にまたこちらにおいでください。
見方が変わった、と言っても、「愛する映画」であることには変わりありません。変わったのはジャンル、でして、悪魔教が絡んだ話だし、ルシファーは出てくるし、オカルト映画だと認識していたのですが、それはどうも違うのではないか、と感じたのです。
ミッキー・ローク演じる私立探偵エンゼルは、失踪した歌手ジョニー・フェイヴァリットの捜索を依頼されます。実はフェイヴァリットは戦争で記憶を失ったまま、自分が殺したエンゼルに成り代わって生きていたのですが、フェイヴァリット(つまり自分自身)を探す過程で連続殺人に巻き込まれ、フェイヴァリットの失踪の真相、すなわち自分の過去の行状を思い出します。それは悪魔との契約から逃れるための、人食いによる他人の人格奪取の物語でした。
連続殺人は、エンゼルの人格から遊離したフェイヴァリットが悪魔との契約から逃れるために関係者を抹殺していた、つまりエンゼルの仕業だった、という描写があり、悪魔の導きによる行為に見えることから"オカルト"と認識していたのですが、今回見直して、必ずしもそうではない、と考えるようになりました。
まず、ロバート・デ・ニーロ演じる悪魔を名乗るルイ・サイファー、別名ルシファーですが、彼が本当に悪魔かどうかは確認できません。エンゼルが"思い出した"ように見える殺人も、前後関係等考えると、むしろサイファーの仕業といってもおかしくありません。
エンゼルが当初殺人を犯したのは自分ではない、と信じていたことが間違いなのか、そうではなく自分だったと考えることの方が誤りなのかは、画面からは定かではないのです。エンゼルが、サイファーやエピファニー(リサ・ボネット)の息子(エピファニーは実はエンゼルすなわちフェイヴァリットの娘なので実の孫)に悪魔を見る描写も、エンゼルの妄想・幻視かもしれません。
わかりにくいので整理すると、悪魔崇拝者(人間)であるサイファーが、同じ悪魔崇拝者であるフェイヴァリットの魂と引き換えに彼をスター歌手にしてやるという取引をしたものの、フェイヴァリットが他人に成りすまして逃げようとしたうえに都合よく記憶まで失ったので、フェイヴァリットに記憶を取り戻させたうえで逃れようのない重罪(連続殺人)により極刑(多分死刑)に処せられるように仕組んだ、ということ。
そんなことをしてサイファーに何の得が?と思えますが、もともと彼の狙いは(エンゼルではなく)フェイヴァリットの魂を得ることなので、フェイヴァリットがすべてを思い出し自分自身に立ち返った上で地獄に堕ちれば目的通りと言えます。
記憶を失ったフェイヴァリットがエンゼルとして生活できた理由がつまびらかではないので、すべてつじつまがあったとは言えませんが、こうしてみるとオカルト色はそれほど濃くなく、むしろ「自分探し」がテーマのように思えます。
そんなところが、マーティン・スコセッシ監督、レオナルド・デカプリオ主演の「シャッター・アイランド」に似ているようにも感じたのでした。
テーマ:☆取りレビュー(一部ネタバレ)
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