飢餓海峡 1965 ☆☆ | 映画の楽しさ2300通り

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ある映画好きからすべての映画好きへの恋文
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3時間超という大作である本作の制作・公開裏話がWikipediaで公開されています。映画の長さに関する制作・配給サイドと監督(作家)サイドの確執は珍しいことではないものの(マイケル・チミノの「天国の門」のように監督が製作会社を潰した例もあります)、本作の場合、短くしてしまうのには無理があったろうと思います。

水上勉の小説の映画化ですから、殺人を含む犯罪だけを追うわけにはいきません。3時間のなかには、戦後間もない日本の、猥雑ながら懸命でバイタリティあふれた庶民の姿が活写されています。
それは一般の労働者だけでなく、社会の裏と表のあわいに生きる者も、違法な行いを取り締まる警察官も例外ではありません。役者たちのうまさ、というよりも、誠実に人間を演じようという姿勢が、登場人物たちの情感を生き生きと(ときには暑苦しく思われるほどに)伝えています。

最近の邦画をほとんど観ていないので新しい作品のことはわかりませんが、日本のミステリー映画には、犯罪やトリックよりも関係者(特に犯罪者)の情感を色濃く描く作風のものが多いように思います。
一時期アメリカで流行ったフィルム・ノワールは、プロットこそ経済的な損得よりも人間関係の機微・明暗に焦点を当てた作品が多いですが、いかんせん、語り口はヘミングウェイダシール・ハメットの影響を受けたかのようなハードボイルドな印象です。一方、わが国では、大ヒットした「砂の器」のように情緒的な語り口が好まれるようです。
そのあたりは別途記事にするとして「飢餓海峡」。

戦後のどさくさの中で、法を犯すものも含め、自分に誠実にたくましく生きようとする登場人物たちの"縁"や"情"が事件を産み、またそれを解決しようとする展開は、サスペンスフルというよりエモーショナル。観ている側は、絡んだ糸がほぐれていくのを期待する以上に、むしろそのままほっておいてほしいさえ思うのに、無情にもことは犯罪が晴天の下にさらされる方向に進んでいきます。

ストーリーは、戦後の生きづらさをものともしない左幸子のバイタリティに目を奪われた前半部から、心ならずも重罪を犯してしまう三國連太郎高倉健伴淳三郎藤田進ら正義感に燃える法の番人たちの対決を描く後半部へとシフトしますが、全編にわたってかなめとなるべき主人公樽見京一郎(三國)の苦悩があまり伝わってきません。

そう感じたのは、三國という役者に対する個人的な印象が邪魔をしただけなのかもしれませんが、前述のように犯罪自体の興味深さや人狩りのサスペンスよりも人間ドラマが主体の話なので、主役に感情移入しにくいのはマイナスでしょう。

熱演の左幸子を始め、役者としてうまいのか下手なのかよくわからないが道民の特徴をよくとらえていると感じた伴淳三郎、特に芝居をするわけでもないのにオーラがある高倉健が好演、内田吐夢の演出も適度な重さがあって手堅いだけに、主人公の印象の薄さが残念だったように思います。

ということで、個人的な評価は☆なのですが、割と珍しい主人公の名前(ファーストネームの方)が自分と同じなので☆1つおまけです。