【改訂再掲】ブログを書くということ | 映画の楽しさ2300通り

映画の楽しさ2300通り

ある映画好きからすべての映画好きへの恋文
Love Letters to all the Movie Lovers From a Movie Lover

先日、東京新聞の土曜の書評欄に、蓮見重彦氏の「見るレッスン」が紹介されていました。賛否はともかく「ディズニーの映画はなくてよい」というような、氏の映画観を確認したい気もして、購入しようか考えました。

実は氏の映画に関するゼミを学生時代に受講しています。「1年に100本以上の映画を映画館で観ること」が受講資格でしたが、当時は2本立て、3本立ての名画座も多かったので、その条件をクリアするのは難しくありませんでした。
ただ問題は、自分の「映画を読む」能力および方向性が、氏のそれとはかけ離れていたこと。「ダーティハリー」のような娯楽作品を否定したりはしない氏でしたが、ゼミ自体はあまり楽しめませんでした。
能力や方向性はともかくとして、やはり氏は映画ファンというより「研究者」なのだと感じます。「とにかくこの俳優が好きだからこの映画が好き!」のようなノリはなかったと記憶しています。そんなことも思い出しつつ、購入を見合わせました。

じゃあ替わりに昔から好きな双葉十三郎氏(故人。よろしければこちらの記事もご覧ください)の「ぼくの採点表」を買おうかと検索したら、紙の書籍はほぼ売り切れ。小説のように最初から最後まで一気に読む、というたぐいのものではないため、紙で持ちたいのでこちらも断念。手持ちの「写真で見る外国映画の100年」(淀川長治氏と双葉十三郎氏が監修)や「死ぬまでに観たい映画1001本」で間に合わせることにしました。

とAmazonを検索しつつ考えたのが、そもそも自分は誰かの映画評を読みたいのか、ということ。出た答えは、それほど、でした。
自分の観た映画についてほかの人と意見を交換するのは好きなのですが、映画を観る前に他人の評価を気にすることはありませんし、また「この人の評価を聞きたい」と思う評論家も一般人もいません。

あれ?、これって、自分の記事に書いたこのブログの狙いのひとつ「「次に観る映画」を選ぶ際の参考にしてもらうこと」と矛盾しているのでは?他人に映画をおすすめしておきながら、観る映画を選ぶときは他人の意見を参考にしない態度って、どうなの?

はい、確かにその通り、矛盾してますね。紹介・おすすめ系の記事は極力ネタバレなしとし、「こういう映画がありますよ」「この監督(俳優)はこういう映画も撮って(出演して)いますよ」的にFactを中心にしているのは、こうした「他人の"意見"は参考にならない」という意識があるからだと、改めて自覚しました。
その他の記事はネタバレありとしているのは、「自分の観た映画についてほかの人と意見を交換したい」、という思いもあるからなのですが、コメントをいただくこともほとんどないので、果たして書く意味があるのか、と考えることもあります。

本格的に映画を観始めたのは中学生になってから。映画館だけでなく、テレビでも淀川長治氏の日曜映画劇場を筆頭に、確か荻昌弘氏が月曜日、水野晴郎氏が水曜日、増田貴光氏が土曜日で、解説者は忘れましたが火曜、木曜(林冬子氏?)にも各局で映画が放映され、毎日のように映画を観ていました(映画館はお金がかかるので)。小森のおばちゃまもどこかで解説してましたね。

そのころは若い映画ファンのご多分に漏れず、観た映画の感想をノートに書いて、映画評論家のまねごとをしていました。将来は映画監督か、でなければ映画評論家、まあとにかく映画にかかわる職業に就きたいなどと考えたものです。
映画評論家になる夢が早々に潰えたのは、小林信彦氏がやはり中学時代につけていたという映画鑑賞ノートを読んだため。同い年にしてこの着眼点、文章力の違いでは、自分の出る幕はないと思ったのでした。
映画監督の方は、大学時代に自主映画製作で監督のまねごとをしてこちらでも才能のなさを思い知ったのですが、それはまた別の話。いずれにしても本当に不足していたのは才能ではなく、気概と努力であったと今では思います。

のような過去はあるのですが、それでも自分が映画を観て感じたり考えたりしたことを整理したい、という思いは常にありました。中学時代に手書きで書くのは大変(特に修正が)でしたが、PCのおかげで作成も修正も保存も検索も簡単。ノートPCであればコーヒーショップでも入力できる、ということで、「愛する100本」をまとめたのが2000年前後。Excelのおかげで観た映画約2200本のリストも簡単に作成・追加修正・保存ができます。

それだけのことなら、何もブログにアップすることはないのですが、ブログにはプロバイダーが責任もって保管してくれる、検索やテーマごとの分類が簡単などのメリットがあります。
記録のためなら非公開でよさそうですが、そこはちょっとスケベ心があり。いわゆる承認欲求かもしれませんが、前述のように「自分の観た映画についてほかの人と意見を交換したい」という気持ちもあるのです。

それも映画批評的な観点ではなく、「ブラピの映画はどれが一番好き?」とか「ウォン・カーウェイの映画ってどういうところが見どころなの?」みたいな。映画好き同士の会話なら観た映画の話からまだ観ていない映画の話に発展して、次に観たい映画が発見できるかもしれません。
観た映画の話から相手がどういう映画を好むのかがわかってくるので、その延長に出てきた「まだ観ぬ」映画がどんな映画なのかのヒントがつかめます。商売で批評を書いている評論家の批評を読むより、よほど確かな情報が得られそうな気がします。相手が観ていない映画を紹介した結果観てみようと思ってもらえたら(さらに気に入っていただけたら)、これもまた嬉しいことです。

と考えながら、ブログを日々書いている有様です。わかりやすく、共感できて、コメントしたくなる記事が書けるように工夫していこうと思います。

 

※これもまた、偶然ながら「寅どしよりのつれづれ」と同テーマの記事になりました。そちらは↓で。