生きるように演じたヴィヴィアン・リー | 映画の楽しさ2300通り

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先日、ヴィヴィアン・リーの特番を観る機会がありました。内容に新鮮味はありませんでしたが、「風と共に去りぬ」、「美女ありき」を三ツ星に数えている自分がまだ彼女の記事を書いていなかったことに気付いて驚きました。

「どうしてだろう」、という自分に相棒いわく、「書くことが思い付かなかったからでしょ」。
いやそのとおり。では何故思い付かなかったかといえば、多分それは自分が知る範囲(かなり狭い)の現実のヴィヴィアンと彼女の演じるキャラクターの間に、ギャップというものがないから。言い換えれば、彼女の映画にはヴィヴィアン・リーというスター女優はおらず、彼女の演じるキャラクターだけが存在しているように見えてしまうからなのです。

「ヴィヴィアン・リーはスカーレット・オハラを演じるために生まれた」、というのはよく聞くセリフですが、それは半分しか真実ではなく、実はレディ・ハミルトン(「美女ありき」のヒロイン)もブランチ・デュポワ(「欲望という名の電車」のヒロイン)も演じるために生まれてきたのに、「風」が一番観られたに過ぎないのです。「哀愁」と「愚か者の船」の役名は忘れましたがそれらについても同様、ヴィヴィアンはいつでも全身全霊でキャラクターになりきっています。それゆえ、ヴィヴィアン・リーという女優が好き、という感情を抱きにくいのです。

それでもヴィヴィアン・リーが好きだとすれば、それは彼女が演じるキャラクターが共通して持つものに惹かれるということでしょう。自分にとってのそれは純粋で高潔な不屈の精神です。それが顕著なのは「風」と「美女」ですが、「欲望」のブランチも屈したのではなく、屈しなかったからこそ折れてしまったのだと信じています。

こう書くとワンパターンの演技のように聞こえるでしょうが、彼女のなりきり力は折り紙つきですし、作品を観さえすればわかることです。むしろキャラクターになりすぎて、ヴィヴィアンというスター像のファンを作りにくかったのかもしれません。でもスカーレット・オハラのファンなら大勢いるわけで、彼・彼女らはレディ・ハミルトンのファン予備軍であるとすれば、自分のようなヴィヴィアン好きの役目は「美女ありき」を勧めてまわることでしょう。
ちなみに、「美女」を観ればローレンス・オリヴィエがどんなに素敵だったかがわかります。DVDは買っても500円ですので、ぜひ!!